笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(6/8)

清藤孝さんの講座で「頼朝と義経 ―その栄光と確執―」の5回目になります。

 ≪第二章 源義経の波乱万丈≫

源義経の出自

父は源義朝、母は常盤御前の三男として平治元年(1159)京で生まれる。名は「牛若」と名付けられた。母の常盤御前近衛天皇中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女で、絶世の美女と言われ、九条院で雑仕女を募った時には千人の応募があり、その中から選ばれたという誉れの高い方であった。兄は「今若」、「乙若」と名乗った。牛若の生まれた平治元年には「平治の乱」が勃発し、父の義朝が清盛に敗れ、敗走途中で暗殺されていた。この時に母常盤御前は、やはり乳飲み子の牛若を抱き必死で奈良の宇田に逃げるのですが、都で実の母が折檻されているという報を聞き、九条院の許に戻り、九条院から清盛の六波羅に出頭し、子供の命乞いをするのです。23才の美貌の常盤御前は清盛の愛妾となり、三人の子の命は助かるのです。

今若-(醍醐寺)、乙若-(園城寺)に入寺、牛若は母と清盛の六波羅に6年間住まいすることとになり、その時には父は清盛と思っていたのです。母は清盛との間に女子を産み、それが清盛の正妻時子に知られ、清盛から離れ一条(藤原)長成に再婚することになります。

母と長成との間にも男子が生まれ、「牛若」は、鞍馬の寺に預けられることとなった。

その経緯は、鞍馬寺別当「東光坊阿闍梨(とうこうぼうあじゃり)」は父義朝の祈りの師であったことが常盤御前は知っていたので入寺をお願いした。阿闍梨別当は快く引き受けて、名を「遮那王」と名乗らせたのであります。その時遮那王11歳になっていた。

鞍馬の遮那王

鞍馬の山へ入った遮那王、ここで初めて父の仇が清盛であると知り愕然とする。遮那王、剃髪せず鞍馬の山を駆け巡り剣術の修行に励んでいたという。伝説で天狗から剣の極意を伝授され、都の五条の橋で刀狩りの猛威を奮っていた「武蔵坊弁慶」とも出逢い、そして戦い破り、終生家臣として伴っていたということです。

また、鬼一法眼(きいちほうがん)が秘蔵する「六韜三略(りくとうさんりゃく)」という兵法書を、法眼の娘を通じて学んだと義経記に書かれているといいますが、この兵法書は中国周の時代(紀元前千年~四百年前)の太公望呂尚(りょしょう)が著した六巻から成り、この中の四巻目の「虎の巻」が特に、これが源平の戦いのときの義経の戦術・戦闘の基本になっていたのではないかと推考しています。

遮那王—奥州藤原家へ

遮那王16才になりました。この年齢になると平家から何らかの新たな処分が下されるかもしれない。それを見越して、遮那王は奥州藤原家の御用商人「金売り吉次信高」に伴われ平家の支配する京の都から逃げるのです。

この義経の奥州行の手配したのも母常盤御前の力が発揮されたのであります。それは「平治の乱」に父義朝と一緒に戦った藤原信頼の兄・藤原基成が、奥州藤原家三代当主藤原秀衡に娘を嫁がせ、四代泰衡を誕生させているのです。また、常盤御前の夫一条長成藤原基成の遠い縁戚関係にあたるため遮那王の身を依頼したと思われるのです。

遮那王から義経

金売り吉次信高に伴われ、近江国鏡宿(滋賀県竜王町)に着いた義経は、この地で、一人で元服の儀を行うのです。事前に準備していたと思われますが、「源九郎判官義経」と自ら名のり上げるのです。「義」は源氏の通字、「経」は源氏の姓の初代「経基王」からいただいたと思われるのです。

次回は5月25日投稿予定で「義経奥州での挙兵」から始まります。ご期待ください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(5/8)

清藤孝さんの講座で「頼朝と義経 ―その栄光と確執―」の4回目になります。

 頼朝の挙兵を知る平家

以仁王の平家打倒の流れは、東国に於いて頼朝の挙兵につながっていった。京の平家は、この情報を9月初めには大庭景親石橋山の戦いで勝利したとして捉えていた。平家の総帥清盛も、福原への遷都構想や厳島神社への周遊をしていたころで、9月5日には、朝廷より「源氏討伐の宣旨(せんじ)」をいただくのですが、14才当時の頼朝を思い浮かべたのか、全体的に状況を軽く見ていたのか、頼朝に対しての対策が遅かった。燎原の火のように広がる源氏の反攻に、慌てるように、長男の平宗盛に討伐軍を召集させたのですが、公家的生活に20年浸かった平家はなかなか軍の整備ができず時間がかかった。ようやく源氏の御曹司頼朝への討伐軍2万の兵を10月13日に清盛の孫・平維盛(これもり)を総大将として京を進発させるのです。

富士川の戦い

京を進発した平家軍は実戦の経験のない軍勢で、士気もそれほど上がっていなかったのではと考えられるのですが、10月18日の夕刻には駿河国富士川の河畔まで進み、頼朝討伐の陣を張ったのです。

これを迎える頼朝軍は20万の大軍をもって鎌倉を進発し、10月18日には駿河国「黄瀬川宿」に陣を張り、明日にも富士川で平家軍との決戦と意気込み、士気は非常に高い状態であったろうと考えられるのです。

10月19日の早暁、陽もまだ上がらずの富士川の上流から、北条時政を先陣として甲斐の武田軍は決戦の場にひたひたと下ってきた。そこには渡り鳥が数万羽、羽を休めていた。武田軍の進軍の響きに驚いた渡り鳥、一斉に飛び立つ。この轟音に驚いたのは戦いに慣れていない平家軍、雲の子を散らすように逃げてしまいます。

10月20日には、頼朝戦わずして勝利してしまうのです。頼朝勢い余って平家を追いかけ、京まで軍勢を走らせようとするのですが、臣従してきた千葉常胤や上総介広常等は、「東国が未だ治まらずの時に、まだ京へ攻め上る事は早すぎる」という諫言(かんげん)を受ける。これには、頼朝は受け入れ鎌倉の地で東国を固めることを決意する。

10月21日鎌倉へ凱旋しようかというところへ奥州から駆け付けた弟義経の軍団が到着する。しかし、家人の土肥実平や熊谷義実等は、会ったこともないこの義経を怪しみ直ぐには面通しはさせなかったのです。しかし、頼朝の「会ってみよう」の一言で涙の対面となったのです。そして鎌倉へ同道するのでした。

平家軍の敗退と清盛の遺言

源氏の御曹司頼朝と一戦も交えず敗退した総大将の維盛は11月2日に清盛へ報告する。清盛!怒りに怒り、それが因の一つになったかもしれないが、原因不明の熱病に侵されるようになる。そして、自分の死期を感じたのか、ますます勢力を拡大しつつある頼朝を腹に据えかね、平家の次の総帥に期待する平宗盛に壮絶な「遺言」を残したという。それは、

伊豆の国の流人、前の右兵衛佐頼朝が首をついに見ざるつるこそやすからね。吾に万一のことあらば、後には堂塔を建て、孝養をもなすべからず。我が塚(墓)の前に頼朝の首を晒し、それぞ孝養にあらんずる。』平家物語 巻六)

ということで、14歳の頼朝に命乞いされ斬首しなかったのが、余程憎かったことが如実に表れた「遺言」なのであります。

その清盛、翌治承5年(1181)2月4日死を迎えるのであります。

頼朝の鎌倉

京の都、天皇家に仕え、乳母が4人とも5人とも歴史の文献に書かれているが、56代清和天皇から始まる軍事貴族源氏の御曹司として期待されてゆく頼朝は、父義朝が平家の総帥清盛に敗れたことにより、一転にして一族の壊滅となる。命を助けられた頼朝は14才の幼き頃から父母と死別し、そして罪人として伊豆は蛭ヶ小島で20年間の流人生活となったのであります。

しかし、その流人も乳母の一人比企尼(ひきのあま)から絶大な援助を得、流人の生活は苦しくはなかった。当初は孤独ではあったかもしれないが、成長するにつれ「佐殿(すけどの)」と呼ばれるように、側近もでき北条宗時のように「平家打倒」をあからさまに唱える武士とも交遊し次第に平家打倒を真剣に考えるようになっていくのです。

そして芯の強い北条政子と出逢い大姫を誕生させるのですが、「平家にあらずんば人にあらず」と豪語することに反旗を翻した「以仁王の令旨」が叔父の源行家が伊豆の北条館の頼朝を訪ね、令旨を手渡す。頼朝これに呼応し果敢にも「平家打倒」に立ち上がる。

三島神社の祭礼の日を選び、政子と大姫を伊豆権現に守らせ、東国武士を従え、幾多の難関を突破し、ついには「鎌倉」は大倉郷に堂々と鎌倉幕府を築いていくのです。

次回は5月21日投稿予定で「義経の出自」から始まります。ご期待ください。

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頼朝と義経 ―その栄光と確執―(4/8)

清藤孝さんの講座で「頼朝と義経 ―その栄光と確執―」の3回目になります。

伊豆配流の日々

蛭ヶ小島」に配流された頼朝は、伊東荘の豪族「伊東祐親(すけちか)」と北条郷の豪族「北条時政(ときまさ)」の監視下に置かれ、当初は、父母を弔い毎日のように読経と写経に打ち込んでいたと伝えられています。

日常の生活は、乳母の一人「比企尼(ひきのあま)」は頼朝が伊豆配流と決まると夫の「比企掃部允(かもんのじょう)」とともに武蔵国比企郡を請所として下ってくるのです。そして、頼朝の生活を支え続けているのです。さらには娘三人を安達盛長河越重頼、伊東祐清に嫁がせ頼朝の側近として育て上げているのです。

また、もう一人の乳母の息子・三善康信からは月三度、康信の家人を使い洛中の情報を、届けてさせていたということです。時が経つにつれて監視が薄くなり頼朝に近い年代の若者、北条宗時三浦義村(よしむら)たちと伊豆の山野を駆け巡っていたというのです。

それから、頼朝は恋多き方とも伝わり、一つには伊東祐親の娘「八重姫」と恋に落ち子どもを誕生させています。しかし、この頼朝の行動に大激怒したのは、まぎれもなく父の祐親でした。大番役から帰ってきてすぐさま、家人を使い子供を狩野川へ菰に包み流してしまいます。そして、頼朝の征伐に向います。これには側近として育った伊東祐清が知らせ、北条宗時に助けられ北条館に匿われることになります。この北条館にて運命の遭遇が待っていました。政子との出逢いであります。

当初は大番役から帰ってきた北条時政も反対し、政子を目代山木兼隆に嫁がせようとしますが、政子の頼朝への愛には勝てず黙認し、治承2年(1178)頃、長女の大姫が誕生し、時政は頼朝を北条の婿として迎え入れるのであります。

流人頼朝20年間の平家の驕り

平治の乱を制した清盛は、父忠盛の築いた「日宋貿易」を独占し、世界最先端の磁器や宋銭などを輸入し、その財力によって朝廷の天皇家は勿論、摂関家や貴族の中にも、清盛の支持者を増やしていった。

特に二条天皇の親政を育み、日宋貿易の拡大を図り、自らは太政大臣となり、日本の政治を動かすという武家政権を作ったのが、日本で最初との見方も出てきます。さらには厳島神社の造営、また福原(神戸)への遷都構想など多岐に亘り日本の現在の文化遺産を造りあげているのであります。

さらには娘徳子を高倉天皇に入内(じゅだい)させ、安徳天皇外戚(がいせき)となり、その権勢には後白河上皇をも凌ぐほどになっていきます。その勢いは地方にももたらされ、東国の目代(代官)などの中には目に余る暴挙の者も出てきた。それにつけてか妻時子の弟・平時忠は「平家にあらずんば人にあらず」と豪語するほど平家の時代が続いていたのであります。

以仁王(もちひとおう)の令旨

平家の権勢は、後白河法皇院政をストップさせ、あまつさえ大内裏後白河法皇を幽閉に近い立場に立たせたことから、安元3年(1177)6月、「鹿ケ谷(ししがだに)」の平家打倒の陰謀も発覚するようになってきた。このような平家の暴挙を按じた後白河法皇の第三皇子の「以仁王」は治承4年(1180)4月9日に各地の源氏に対し平家打倒の武装蜂起を呼びかける令旨を配するとともに、自らも立ち上がることを決意する。この令旨は叔父の源行家が4月27日北条館にいる頼朝にも届くのです。

ところが、この令旨の一件は平家には早々と発覚してしまい、以仁王は京を脱出し園城寺に逃げ込みます。さらに興福寺を頼って奈良に向かうが、途中の宇治で平家の軍勢に追撃され以仁王は5月26日に誅殺されてしまいます。

これにより、各地の源氏を討伐する平家の作戦が開始され、いち早く土佐に流された弟の「希義(まれよし)」が討伐されたとの報が頼朝の館にも報せが入ってきた。京の三善康信からも以仁王の敗死とともに頼朝の身にも危険がせまっていることを伝え、弟の康清(やすきよ)に休暇をとらせ頼朝のもとへ事態の緊迫していることを伝えているのです。

頼朝の挙兵

これら一連の動きに対し、いよいよ頼朝の挙兵を決意し、頼りの北条時政一家と家人の安達盛長を父義朝の「源家累代御家人(げんけるいだいごけにん)」を訪ねさせ援軍の要請に走らせる。すぐに参じた土肥実平(さねひら)、熊谷義実、三浦義澄(よしずみ)など馳せ参じた家人には「慇懃の御詞(いんぎんのみことば)」をかけるパフォーマンスで、平家打倒に奮い立たせるのです。

先ず標的としたのは平兼隆(かねたか)とその後見・堤信遠(のぶとお)であった。8月17日三島神社の祭礼の日、目代館の護衛が少ないことを事前に察知した北条時政は夜陰に乗じて、山木館へ、佐々木経高の軍団は堤館に攻め上がり、これから続く4年7か月の源平の合戦の火ぶたは切られたのです。

翌早朝には頼朝の挙兵の初戦は勝利を飾ったが、すぐさま次の作戦行動を起こしていきます。8月20日ようやく300騎を揃えた頼朝軍は、土肥実平の館に(湯河原町)に陣を張る。海上を馳せ参じる三浦軍の合流を待つのであるが、天候は次第に嵐模様になり波浪高く海を渡れず三浦軍陸路での援軍となった。

これに対し頼朝討伐軍の大将・大場景親(かげちか)は軍勢3000騎をもって襲い掛かる体制を整え、また伊東祐親(すけちか)も300騎の軍勢もって頼朝の首に狙いを定めた。

8月23日頼朝軍は石橋山(小田原市)を拠点とし三浦の援軍を待つのでありますが、ますます悪天候となり豪雨となってきた。酒匂川も氾濫し三浦軍の合流はここにきて難しくなってきた。夜になり大庭軍、伊東軍は石橋山を取り囲み臨戦態勢を敷いてきた。

この時、頼朝軍!時の声を上げ夜陰に紛れて戦闘に入っていくのですが、多勢に無勢。士気の高い頼朝軍であったが、翌朝には大惨敗となり、それぞれ別れ別れとなり箱根山中に逃げ込むのです。

頼朝も執拗な大庭軍の追求を逃れ、小人数で土肥実平の巧みな案内で逃げ回り、湯河原の「しとどの窟(いわや)」で疲れを休めることとした。そこに大庭軍の「梶原景時」が現れるが、わざと見逃していくのです。また、箱根の山には超詳しい箱根権現別当行実(ぎょうじつ)にも助けられ、大庭景親の追跡を振り切り、8月28日には土肥実平真鶴岬から海路で安房に向けて脱出していくのです。

安房から鎌倉へ

ようやく安房の猟島(千葉県鋸南町竜島)に着いた頼朝を出迎えたのは、援軍の主力三浦一族であった。また、北条時政、義時も合流した。そして、父義朝が京で活躍していた時、源氏の御曹司頼朝の幼少時を知り尽くしていた家人安西景益(かげます)も出迎え、その館を頼朝へ提供するのでした。

休む暇もなく、平家打倒の作戦を開き、下総の千葉常胤(つねたね)に安達盛長(もりなが)を使者として援軍要請、上総の上総介広常には和田義盛を派遣する。また、北条時政には甲斐源氏武田信義の援軍要請に走らせる。

根回しの終わった頼朝、9月13日には主力の三浦軍を率いた300騎で鎌倉を目指し進発するのです。

9月の17日には千葉常胤軍も合流。援軍には懐疑的だった上総介広常も源氏の嫡流としての頼朝の威厳に圧倒され9月17日には兵2万騎を率いての援軍となった。

10月3日には隅田川を渡り武蔵国に入る。この頃になれば頼朝を頼り馳せ参ずる武将豊島清元、葛西清重足立遠元(とおもと)等が続々と帰順し、その数3万に膨れ上がってきた。翌10月4日には、敵対していた畠山重忠河越重頼江戸重長等も投降し、畠山重忠を先陣に千葉常胤を後陣として、10月6日には、6万の大軍勢として堂々と父義朝ゆかりの「鎌倉」の地を踏むのです。

次回は5月18日投稿予定で頼朝の挙兵を平家が知ったところから始まります。ご期待ください。

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頼朝と義経 ―その栄光と確執―(3/8)

清藤孝さんの講座で「頼朝と義経 ―その栄光と確執―」の2回目になります。

保元の乱

頼朝10歳の時の保元元年(1156)7月、世にいう「保元の乱」の事件が起こります。この時朝廷は、皇位継承問題で揺れていました。

鳥羽天皇は長子の顕仁(あきひと)親王を「崇徳(すとく)天皇」とし、自らは「上皇」となり、さらには「法皇」となって「院政」を始め権力を振るいます。そして、次の天皇には第4皇子の雅仁(まさひと)親王を「後白河天皇」とし、この系統に皇位継承させることにしたのです。

これには、「上皇」となった崇徳上皇は怒ります。藤原摂関家(せっかんけ)を巻き込み、武士の力を利用し「後白河天皇」排除を企みます。「後白河天皇」も同じような行動を起こします。

ここに於いて二つに割れた朝廷はお互いの陣営に武士を召集し、京の町を揺るがす争乱に発展してしまいます。

結果は平清盛源義朝の武力が勝り、後白河天皇が勝利するのです。敗れた崇徳上皇は讃岐(さぬき)に流され生涯この地にとどまり崩御(ほうぎょ)していき、この時の武力の源為義(義朝の父)は斬首、為朝(弟)は弓を二度と使えなくなるように腕の腱を切られ、伊豆大島へ遠流されてしまうのです。

そして、戦後処理は、信西(ふじわらしんぜい)が辣腕を振るい勝利に加担した平家方に恩賞の多くを与え、源氏方には少ないという不公平感があり、その後の「信西」の朝廷での剛腕ぶりの反発もあり、世情はまた混とんとしてくるのでした。

頼朝の叙爵(じょしゃく)

保元の乱を制した「後白河天皇」は、父義朝を佐馬頭(さまのかみ)という要職にも任じ、また内昇殿(うちしょうでん)をも許します。義朝ますます軍事貴族としての源氏の地位を高めていきます。

また、「上西門院」は後白河天皇の姉にあたり皇室の官位も非常に高く、このことも影響するのか頼朝は保元3年(1158)2月皇后宮権少進(こうごうぐうごんのしょうじょう)に任じられていくのです。

時に頼朝12才の春のことであった。そして、翌年の平治元年(1159)2月には、母由良御前の力も加わり、さらに上位の「上西門院蔵人(じょうさいもんいんくらうど)」に任じられていくのです。

しかし、悲しいことに母由良御前は、この年3月死去してしまうのです。

平治の乱

保元の乱の収束から、朝廷の政権に辣腕を振るってきた「藤原信西」はますます権力を強め、さらに平清盛の勢力も引き入れ、後白河上皇の寵臣「藤原信頼(のぶより)」と対立するようになる。ここに、もう一人「信西」に恩賞の一件で大不満の「源義朝」が居り、この藤原信頼と組み「信西」打倒を目論んでいたのです。

平治元年12月9日(1159)平清盛が熊野参詣に出た留守中に藤原信頼は、父義朝に大内裏だいだいり)を占拠させ、後白河上皇二条天皇を確保する。そして、すぐさま「信西」を追い込み殺めてしまうのです。平治の乱の勃発である。

初戦を成功したことに酔った信頼は一時的に天下を治め、ここで、官位をばら撒くのです。この時、頼朝は朝廷よりの官位「右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ)」を12月14日に授与されるのであります。

この右兵衛権佐に任じられたことは、有力な院の近臣(いんのきんしん)の子弟なみの待遇であった。頼朝は都の貴族社会の一員としての道を昇っていくはずであった。このような頼朝への道筋は、父義朝の勢力拡大の政策であったのだろうと考えられています。義朝は庶子(しょし)の義平へ東国の地盤を委ね、義平は父義朝の期待に副(そ)うべく北関東まで勢力拡大し、父の弟・源義賢(よしかた)(木曾義仲の父)をも排除していったのです。

こうした東国における武力の背景を見せながら京都政界で活躍することが、将来の頼朝には期待されていたのです。まさに頼朝は「東国知らずの源氏の御曹子」として成長していたのであった。

信頼、義朝のクーデターを聞きつけた清盛は、急遽京の六波羅に入り、最初は対抗する意思を見せずにいたが、信頼、義朝の隙を突き二条天皇を自宅の六波羅に、後白河上皇仁和寺に逃避させ、信頼・義朝を朝敵(ちょうてき)としてしまうのです。

そして、間髪を入れず清盛は、信頼・義朝軍に戦いを挑みます。平治の乱の勃発です。そして、たちまち、信頼、義朝軍を敗戦に追い込んでしまうのです。

この時、頼朝13才の初陣であったが、敗れた父・義朝や兄たちと東国を目指し敗走する。しかし、途中で一行とはぐれてしまい、翌年の永暦元年(1160)2月に近江国平清盛の弟頼盛(よりもり)の郎党平宗清(むねきよ)に捕らえられてしまう。

一方、再起を目指した父・義朝は尾張の国で、年来の御家人であった長田忠致(おさだただむね)・景致(かげむね)父子によって謀殺され、次兄朝長(ともなが)は戦闘中深手を負い敗走中に命を落とし、長兄善平(よしひら)は義朝一行と別れ、清盛暗殺を画策していたが、京での潜伏中捕らえられ処刑されてしまうのであります。

池禅尼の嘆願

平宗清に捕縛され、清盛の前に引き出された「頼朝」。「死にとうない。生きて父と母の弔いをしていきたい」と願い出るも死罪が確定する。しかし、この時奇跡が起こるのであります。

死刑が当然の頼朝に、清盛の継母・池禅尼(いけのぜんに)が清盛へ助命の嘆願を申し出て断食を始めたとも伝えられ、これには清盛も折れ、頼朝は罪一等を減ぜられ「伊豆の蛭(ひる)が小島」への流罪が決定されたのです。

翌月の3月11日には流罪となった頼朝は、この時14歳であった。また、この日には頼朝の同母弟希義(まれよし)も土佐に配流がきまり旅だったとされています。

流人 頼朝の旅立ち

ここに源義朝の一家は壊滅状態となり、京を追われる頼朝は母由良御前の弟藤原祐範(ゆうはん)が人をつけて見送ってくれたほかは、ごくわずかな人々が供をしただけの寂しいものだったという。保元の乱に勝利し叙爵(じょしゃく)も果たし貴族社会の仲間入りと若くして殿上人(てんじょうびと)にも上り詰めようとした矢先、平治の乱により一転して流人に落ち人生の暗転となっていったが、これら一連の出来事が、後々の頼朝の性格を形作っていくものと推考されるのです。

次回は5月14日投稿予定で、頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流されたところから始まります。ご期待ください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(2/8)

NHKで放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されています。時を同じく当笑楽日塾の塾生清藤孝さんが頼朝と義経 ―その栄光と確執―を、より深くより分かり易く解説してくださいました。今回から本編に入りますのでご期待ください。

「わらび」地名由来の伝説

蕨市のホームページに「わらび地名の由来」の諸説が載っていますが、その中の一つに、源義経の「立ちのぼる煙を見て藁火村と名付けた」という説が記載されています。では、義経はどの場所からこの煙をみたのでしょうか。

義経の煙を眺めた場所は?

蕨市の隣町、川口の江戸時代には日光社参(しゃさん)のため、徳川将軍が通ったという元例幣使街道(れいへいしかいどう)の荒川スーパー堤防の前に「鎌倉橋記念緑地」(川口市本町8-19)があり、その中に「鎌倉橋の碑」が建てられています。そして、鎌倉時代以前からの主要な幹線道「中ノ道」でもあったことで、「義経記(ぎけいき)」の文も刻まれ、義経はこの地で軍勢を整えたということであります。

物語として、この時、西の方に「煙」が立ちのぼって いた。義経は家臣に「あの煙は何じゃ?」と問えば、「藁(わら)を燃やしているのです」と答えた。義経は「オー藁火(わらひ)か」とつぶやいた。この情景が「藁火」伝説の素になったのではないかと推考するのであります。

≪第一章 源 頼朝≫

江戸時代後期の斎藤月岺(げっしん)が親子三代三十年かけて著した、江戸のガイト誌‐御府内(ごふない)は勿論、江戸の近郊まで長谷川雪旦(せつたん)の描写と相まって超有名な「江戸名所図会の五」に「川口の渡し」の項があり、次のような文が記載されています。『川口の渡し』  (往古(おうこ)は、こかわぐちといへり)。

義経記(ぎけいき)には、九郎御曹子[源義経、1159―89]奥州より鎌倉に至りたまふといへる条下に、『室の八島(むろのやしま)をよそに見て、武蔵国足立郡(あだちごうり)「こかわぐち」に着きたまふ。御曹子御勢(おんぞうしおんぜい)八十五騎にぞなりにける。

按ずるに、渡し場より壱丁ほど南の方の左に府中道と記せる石標(みちしるべ)あり。これ往古(むかし)の奥州海道なり。板橋には附きて、「兵衛佐(ひょうえのすけ)殿[源頼朝、1147-99]は」と問いたまへば、「おととひ、ここを立たせたまひて候」と申す。これより、府中の六所町(ろくしょまち)より玉川を渡りて、相模の平塚へは出でしなり。・・・・』

義経の軍勢、走りに走り平塚に至りなば、頼朝すでに武蔵、相模を制し。さらには、富士川平維盛(これもり)が率いる軍勢2万を迎え討つべく黄瀬川宿(きせがわじゅく)に陣を張る。そこへ義経の軍団ようやく到着するのであります。

乳飲み子の義経と別れて20年、頼朝の家人、土肥実平(どいみさねひら)や熊谷義実(くまがいよしざね)等の警戒は解けず、すぐには面通し叶わず、暫くの時間を要したが、漸く頼朝の面前に迎えられ涙の対面となったのです。

しかし、この瞬間から、頼朝と義経の栄光と確執は、ここから始まるのであります。

源頼朝の出自

源頼朝は、源義朝(よしとも)(河内源氏源為義嫡流)を父に、熱田大神藤原季範(すえのり)の娘・由良御前(ゆらごぜん)を母として、久安3年(1147)に誕生した。場所は京都である。すでに母親の違う二人の異母兄義平(よしひら)、朝長(ともなが)がいたが、母親の違う二人の兄達より、頼朝の母は身分の高い貴族の出身であったがため、頼朝は、生まれながらにして源氏の嫡子に立てられたとされている。

父・義朝の躍進

当初、父の義朝は京都で生まれ成長し、東国の源氏の地盤を強固にしていこうという目論見か京都を離れ、伝来の鎌倉を拠点に南関東にその勢力基盤を築きあげていった。当時の東国では武士たちを中心に様々な 紛争が頻発していたと考えられています。

義朝はそれらに積極的に介入し、上総氏や三浦氏といった周辺の武士団と結託し、千葉氏や大庭氏を服属させ、この武士団の棟梁(とうりょう)として頭角を現してくる。そうした中で生まれたのが頼朝の異母兄の、義平と朝長であった、義平は永治元年(1141)ころの生まれで、母は三浦義明(よしあき)の娘であった。朝長は、天養元年(1144)ころの生まれで、相模の豪族波多野義道(はたのよしみち)の妹であった。

この東国での活躍は、遠く離れた京でも話題となり、鳥羽天皇は、義朝を大抜擢し「下野守(しもつけのかみ)」に任じ、鳥羽天皇や後の後白河天皇となる雅仁(まさひと)親王内親王の「上西門院(じょうさいもんいん)」の皇族たちも含めての護衛を行う軍事貴族とするのです。その時、鎌倉の守りは長男の「義平」に譲り東国を任せていきます。そして、上西門院の女官として仕えていた由良御前と出逢うのです。

頼朝の母「由良御前」の家柄

熱田大宮司藤原季範家は、鳥羽天皇や皇后待賢門院(たいけんもんいん)に一族を上げて近侍し、貴族社会にネットワークを強めていた家柄でした。長子の範忠(のりただ)は雅仁親王に仕え、後に後白河天皇として践祚(せんそ)すると藤原家の家名も強くなっていくのです。そして、この後白河天皇の姉が「上西門院」であり、ここに由良御前が女官として仕えていたのです。

この母の関係から、頼朝は幼少時代から朝廷の仲間入りを果たし「上西門院」に仕えるようになるのです。

御曹子頼朝

その勢いのある義朝のもとで、頼朝は誕生したのである。成人後も、常に二寸(約6センチ)の銀製の正観音像を信仰していますが、これは頼朝が三歳の時、その将来を祈願して、清水寺に参篭(さんろう)した乳母が、霊夢のお告げを受けて忽然として得たものだという。

頼朝は終生これを髷に結わいつけ大切にしていくのです。

その乳母は文献に4名登場しています。頼朝に仕えた乳母は東国武士出身の女性が多く、下野の武士小山政光(おやままさみつ)の妻寒河尼(さむかわのあま)、相模の武士山内俊通(やまのうちとしみち)の妻山内尼(やまのうちのあま)などである。

また、武蔵国比企(ひき)郡を請所(うけしょ)として下ってきた比企掃部允(ひきかもんのじょう)の妻比企尼(ひきのあま)、そして、下級貴族三善康信(みよしやすのぶ)の伯母(母の姉)も頼朝の乳母を司(つと)めています。清水寺に参篭(さんろう)した乳母がどなたかはわかりませんが、いずれにしても大切に育てられたことは事実であったのです。

次回は5月11日投稿予定で「保元の乱」から始まります。ご期待ください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(1/8)

2022年3月10日(木)20時より、笑楽日塾 オンライン公開講座 PartⅡ第8回「頼朝と義経 ―その栄光と確執―」が開催されました。

笑楽日塾のオンライン公開講座も今回が20回目となり、予定していた講座すべてが終了いたしました。

奥州から頼朝の下へ85騎で駆け付ける義経が、蕨のお隣川口で軍勢を整えたという話からスタートし、今NHKで放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描ききれない世界を詳しく解説してくださいました。今回は公演内容を8回に分けて水曜日と土曜日に投稿しますが、まずは塾長の挨拶とこれまでにご紹介しました19回の講座を振り返ってみます。

≪荒井塾長挨拶≫

皆さん こんばんは 笑楽日塾の荒井貞夫です。

今夜はオンライン公開講座にご参加いただき、誠に有り難うございます。オンライン講座開催に当たり、一言ご挨拶申し上げます。

実は、今夜がオンライン公開講座の最終回です。これまでの講座を振り返りたいと存じます。

一回目から今夜の20回目までをご紹介いたします。

1回目 2020年8月13日  :高木輝雄  料理用包丁と砥石

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2020/08/19/083000

2回目    9月10日   :吉田喜義  世界に橋を架ける

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2020/09/16/060000

3回目    10月8日   :先崎 隆  江戸の大名庭園

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2020/10/21/060000

4回目    11月12日  :荒井貞夫  鉄道の始まり

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2020/12/02/063000

5回目    12月10日  :八木 守  弓道の真善美

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/01/13/060000

6回目 2021年1月14日  :南 英倫  電動機と製鉄

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/02/10/060000

7回目    2月11日   :菊地正浩  蕨の土地

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/03/10/060000

8回目    3月11日   :内田 茂  個人情報の話

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/04/07/060000

9回目    4月8日   :荒川徳広  ビールの話

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/05/12/060000

10回目    5月13日   :新井 斉  マンションの話

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/06/09/060000

11回目    6月10日   :清藤 孝  蕨城主 渋川公の話

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/07/07/060000

12回目    7月8日   :栗原秀人  下水道のふかーい話

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/08/11/060000

ここからPart-2に入りました

13回目 2021年8月12日  :新井邦夫  シニアの地域活動

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/09/15/060000

14回目    9月9日   :前田則義  地球に優しい緑のカーテン

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/10/20/060000

15回目    10月14日  :吉田喜義 海外コンサルタント生活タイ・カンボジア

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2021/11/17/060000

16回目    11月11日  :岩田好廣  日本人だから知っておきたい箸のマナー

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2022/01/05/060000

17回目    12月9日   :荒井貞夫  新幹線電車発祥の地は何処ですか

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2022/01/19/060000

18回目 2022年1月13日  :菊地正浩  手漉き和紙の里・探訪記

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2022/03/02/060000

19回目    2月10日   :岩田好廣  加速する温暖化

https://warabijyuku.hatenablog.com/entry/2022/03/30/060000

20回目    3月10日   :清藤 孝  頼朝と義経 その確執と栄光 ≪5月7日投稿分から本編に入ります≫

この20回の中にはSDGsに関係の深い講座がありました。それは、12回目 栗原さんの「下水道のふかーい話」、14回目 前田さんの「地球に優しい緑のカーテン」、19回目 岩田さんの「加速する温暖化」です。

これら20回分を記念誌にまとめました

第一集として 第1回から第6回まで 2021年6月1日 発行。

第二集として 第7回から第12回まで 2021年10月1日 発行。

第三集1/2として 第13回から第16回まで 2022年4月1日 発行。

第三集2/2として 第17回から第20回まで 2022年5月1日 発行。

皆様に支えられて20の講座を修了することが出来ました。

この講座を蕨ケーブルビジョンがWinkの番組で放送して下さり、多くの視聴者からご声援を頂きました。

また、いつの日か皆様とお会い出来る事を願って、オンライン講座最終回の挨拶とします。

今日の講座は塾生清藤孝さんによる「頼朝と義経 ―その栄光と確執―」でございます。

 

次回の5月7日から清藤孝さんが解説してくだました「頼朝と義経 ―その栄光と確執―」の本編に入ります。まずは、「わらび」地名の由来伝説や源頼朝の出自(しゅつじ)からです。ご期待ください。

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東京の小さな美術館

当笑楽日塾の塾生間では様々な情報が飛び交い、皆さんが知識として共有しています。先日は塾生のお1人からメールが届き『美術館・博物館巡りのご趣味が高じ「東京の小さな美術館」を調べ、まとめられた』とか。早速塾内で共有いたしましたので、皆様にもご紹介します。

以下はご本人のメッセージですが、お近くにお住いの皆様は是非ともご参考にしてください。

『大きな美術館や博物館はありますが住宅街の一角とか、閑静な場所にあったりとか、特定のジャンルだったりとかの「ちいさな美術館リスト」を閑にまかせて作成しましたので宜しければ、ご活用願います。

すでに行ったところもあるのですが、まだ行ったことのない所はコロナ禍でなかなか行けません。

終息したら一気に行こうと考えています。

埼玉県坂「ちいさな美術館」リストもあると楽しいと思います。

蕨には「河鍋暁斎記念美術館」がありますね。』

なお、ご本人は弓道に精通しておられ、笑楽日塾の第5回オンライン公開講座弓道の真善美」では熱弁を振るっていただきました。

また、書画にも深い知識をお持ちで、全く才能のない私にはうらやましい限り。昨年7月14日には当ブログ『塾生の趣味(特技)紹介「絵手紙」』でご紹介しています。

 

蕨の小さな美術館「河鍋暁斎記念美術館」をご紹介します(河鍋暁斎記念美術館HPより)。

公益財団法人 河鍋暁斎記念美術館 にて、今後開催予定の展覧会

5月の企画展は「古今東西暁斎人物図鑑」展(仮称)

開催期間:2022年5月1日(日)〜2022年6月25日(土)

〒335-0003 埼玉県蕨市南町4-36-4

電話:048-441-9780

開館時間:10:00~16:00

休館日:木曜日、毎月26日~末日、年末年始

料金:大人300円(200円) ※500円(400円) 中~大学生200円(100円) ※400円(300円) 小学生以下100円 ※200円(100円) ※は特別展時の料金 ( )内は団体(20名以上)料金 (要予約)

アクセス:京浜東北線西川口駅」下車。徒歩約15分 (西川口駅西口の交番に当館までの地図あり) 「西川口駅」よりバスの場合:国際興業バス西川64 (西川口駅西口 ー蕨駅西口ゆき)にて、「南町ボンプ場前」で下車、 徒歩3分 【お車の方】 駐車場 7台分 有

 

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大豆ミート

2022年2月10日(木)20時より講師に蕨市内にお住いの岩田好廣さんをお迎えし、笑楽日塾 オンライン公開講座 PartⅡ第7回「加速する温暖化」が開催されました。

お話の中では最近の和牛ブームを取り上げ「牛を育てて1㎏の肉を作るのに穀物が20㎏必要だ」「20㎏の穀物を牛に食べさせ、育ててから1㎏の肉を食べるよりも、人間が穀物を直に食べたほうが大勢の胃袋を満たすことが出来る。」と言われていました。このようなことから「穀物の大豆で作った大豆ミートが商品化され、販売されている。」とも。

この話を家族にしたら早速スーパーマーケットで「水で戻してから調理するタイプ」の大豆ミートを購入。野菜と一緒に炒めてくれたので食べてみたものの味はいまいちで残念な結果。

この程度のものかと思っていましたが、先日ニッポンハム大豆ミートを使用した商品で「陳健一 四川辛口麻婆豆腐」というものが販売しており、これが大変美味しいとお聞きしました。まだ食べてはいませんが、スーパー巡りをして是非とも見つけたいもの。

またまたこのことを家内に話したら、今度はニッポンハム大豆ミート商品で「ナチュミートから揚げ」を買ってきてくれました。食べてみると私の馬鹿舌では鶏肉と遜色のない味で、これならいける。下手に調理した肉よりもこの方がよほどましと感じてしまうほど。

家内曰く「お店によってはによっては、大豆ミートの商品を集めたコーナーを作っているところもあるよ」とのこと。そこには大豆で作った牛肉・豚肉・鶏肉の代替品が販売されており、私が頭の中で考えていたよりも現実の社会はかなり進んでいるようです。

牛肉の消費量は食生活の向上により年々増え続け、昭和35年度には1人当たり約1kgだったものが40年後の平成12年度には7倍を超えて7.6kg。

豚肉は牛肉に比べて安価なため消費が増え続け、昭和35年度の1人当たり約1kgだったものが59年後の令和元年度は10倍以上の12.8kg。

鶏肉の消費も毎年増加を続け、昭和35年度の1人当たり約1kgだったものが59年後の令和元年度には14倍に近い13.9kg。鶏肉は牛肉や豚肉と比べるとより安価なうえ、ヘルシー食品としての人気も高く、平成24年度の消費量は豚肉を抜き日本で最も多く食べられる食肉になったとか。

冒頭の岩田さんのお話で「牛を育てて1㎏の肉を作るのに穀物が20㎏必要だ」と書きましたが、「餌の穀物を育てる等、牛を飼養するためには水が1万5千ℓ(1ℓのペットボトルで1万5千本分)必要」ともお話しされています。

日本は外国から食肉をたくさん輸入しています。1㎏の牛肉を輸入するということは水1万5千ℓも輸入していることになります。これは水の量に差異はあるものの輸入する食肉全てにいえることです。

日本は山間部が多く雨の量が豊富だから水の心配はないと思われがちですが、既に輸入食品として大変な量の水を輸入し、自国の水を使わないで済ませているのです。

※:食品だけにとどまらず材木等の植物も水を輸入していることになります。

「バカにできない?肉の生産で出る温室効果ガス」

東京新聞 TOKYO Web 2020年7月28日 18時30分(一部分を抜粋)によると

地球温暖化の原因とされる二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガス。発電したり、車を運転したりなど工業分野での大量排出はイメージしやすいが、畜産や農業など食生活と密接に関わる分野を通じた排出も少なくはない。「地球異変・温暖化のはてな」の3回目は、豚肉と牛肉を例に、食肉を作るためにどれくらいの温室効果ガスを排出しているのかを解説する。(イラスト参照)。

豚肉を1キロ生産するのにCO2を7.8キロ排出しており、その内訳では、餌のトウモロコシや小麦の生産・輸送が30%、飼養管理に17%、ふん尿処理が50%。また、これとは別に小売店までの配送等で3.3キロ排出しているとか。

なお、牛が「ゲップ」で排出するメタンの量は豚肉の4倍で、国内で育てられた黒毛和牛の場合、骨付きの枝肉1キロ当たりの排出量がCO2換算で23.1キロとも。

大豆ミートから話を膨らましてみました。今は生活が豊かなために贅沢な食事も可能になりましたが、「食べ物は大切に無駄なく食べ、食品ロスをなくする。」「お肉はできるだけ大豆ミート等に代えて、穀物を大勢の人が食べられるようにする。」これが大事だと思います。

私たちの生活が豊かになるということは、地球環境の犠牲の上に成り立っています。食品ロスを減らすために「購入する商品はなるべく賞味期限切れの近いものを優先し、お店や製造元が廃棄しないで済むようにすること。」賞味期限切れの近いものは、お財布にも優しくなりますしね。

最後に大豆ミート地球温暖化対策にも役立ちますよ」ということでした。SDGs 17の目標 2.飢餓をゼロに 12.つくる責任 つかう責任 13.気候変動に具体的な対策を。

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広報WARABIに先崎 隆さんが載る

蕨市で毎月発行される広報誌「広報WARABI」4月号に笑楽日塾の塾生が紹介されました。「輝いています ひと」欄に、「つながるバンク工作講師 先崎隆さん ものづくりの楽しさを伝えたい」とのキャッチで、紹介されたもの。

木の実を使ったジオラマクリスマスリース。木と釘の迷路に紙電車。そんな手作りの暖かみある工作教室を、公民館や福祉施設などで開催しているのが先崎隆さんです(出典:広報WARABI 2022年4月号より抜粋)。

https://www.city.warabi.saitama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/327/202204honshi.pdf

先崎さんは当笑楽日塾の塾生(世話役さん)であるとともに、記事内でも紹介されているように、市内の小学校で子供たちの育成活動をしている事業「放課後子ども教室」や「土曜塾」のスタッフにも加わっておられます。放課後子ども教室や土曜塾のことは、リーダーとして活躍されている笑楽日塾塾生の新井邦夫さんが詳しくご紹介してくださいましたのでご覧ください(6回に分けて投稿しています)。

また、蕨駅開業120周年を機に始まった「わらてつまつり(蕨市で毎年7月に行われる鉄道祭り)」のイベント担当としても大活躍されています。しかし、残念ながら一昨年と昨年に続き今年も中止が決定したようです。

 

なお、先崎さんの多彩な趣味の中には「庭園めぐり」があります。当笑楽日塾のオンライン公開講座では3番バッターとして登場して「江戸の大名庭園」と題し、日本庭園の様式「池泉庭園(ちせんていえん)」、「枯山水(かれさんすい)」、「露地(茶庭)」について解説してくださいました。

≪広報誌を見た塾生の感想≫

『それにしても広報誌に笑楽日塾・塾生の人達の掲載がなんと多いことか。「輝いている人」がそろっているということですね。』

『輝いている集団笑楽日塾』嬉しいですね。

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花まつり

既に過ぎてしまいましたが4月8日(金)はお釈迦様の誕生日「花まつり」でした。

花まつりはもともと灌仏会とか仏生会降誕会などともと呼ばれ、お釈迦様の生誕をお祝いすることと子供達の健康を祈る仏教行事のこと。

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お花で飾った小さな御堂「花御堂(はなみどう)」を作り、御堂の中の桶には甘茶を満たし、お釈迦様が右手で天を指し左手で大地を指した誕生時をかたどった彫像、誕生仏(たんじょうぶつ)を安置します。

桶の中から柄杓ですくった甘茶を3回お釈迦様にそそぎ、子供たちの健康を祈ります。

花御堂はお釈迦様が生まれたルンピニ園の花園を模したもので、甘茶をそそぐのは「お釈迦さま誕生の時に、9匹の竜が天から甘い水を産湯としてそそいだ」という説があるそうです。

今では甘茶のことをご存じない方も多いでしょう。甘茶とはアマチャの木から作られた、独特な甘さのあるお茶のこと。

≪アマギアマチャ≫

アマチャの木は自生しているもので、葉をかむと少し甘味を感じられるそうです。有名なのは伊豆の山に生えるアマチャの木で、ここの木は特に甘みが多いことから峠の名前を甘木峠と呼んでいました。甘木峠がいつの頃から転じて天城峠という地名になったとか。

≪蕨の花まつり

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蕨市内でも以前は幾つかのお寺さんでお祝いしていたようですが、今では塚越稲荷神社内の定正寺観音堂で行われているのみ。

私も嘗ては毎年伺っていたものの、一昨年と昨年はコロナを警戒してすっかりご無沙汰。

定正寺では「一昨年はさすがに中止したが昨年は行った」とお聞きしましたので、今年は思い切って私も参加してきました。平日の昼間ということに加え自粛されている方もおられたのか混雑することもなく、適度な人出でしたので今のコロナ禍でも安心です。

比べるのは如何なものかと思うものの、キリストの誕生を祝うクリスマスに比べて派手さはありません。まったりと過ごせた楽しいひと時で、今年参加されなかった方には来年こそ是非お勧めします。

お接待の方も奮闘されており、花祭りの謂れなどをお話しいただくのも楽しいですよ。お釈迦様に甘茶をそそぐ作法も親切に教えてくださいますが、特に厳格なものではないようです。

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私もお釈迦様に甘茶をそそいで、子供たちの健康の他に世界平和やコロナ退散、笑楽日塾の繁栄等を欲張ってお願いしてきました。

お釈迦様は生まれてすぐに歩き始め、右手は天を、左手は地を指さし天上天下唯我独尊」と唱えたそうです。

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写真は撮り忘れてしまいましたが、花御堂の手前には緋毛氈が敷かれた床几台が置かれ、私も腰かけて甘茶とお菓子をいただいてきました。

来年はコロナを気にすることなくお参りできるといいですね。

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SDGs過去の記事

当ブログの 「加速する温暖化(5回シリーズ)」は13日で終了しましたが、最近はSDGsという存在が世間に幅広く知れ渡ってきたため好評を得ることが出来ました。

 

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朝日新聞デジタル2022年2月28日21時00分によると、

SDGsという言葉を聞いたことがある人が76%に達し、そのうち60%の人が関心を持っていることが、朝日新聞社が行った認知度調査で明らかになった。調査は2021年12月に全国の5千人からインターネットで回答を得た。今回で8回目となるが、SDGsについて聞いたことがあると答えた人は前回(20年)の46%から30ポイントも増えた。様々なメディアで取り上げられる機会が増えたことが、背景にあると考えられる。』

と紹介されています。

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笑楽日塾では過去にもSDGsに関係したオンライン公開講座を2回開催しています。

 

1回目は2021年7月8日(木)講師に下水道の専門家 栗原秀人様をお迎えし、下水道の歴史や各地で取り組みが進んでいる「下水の再生と活用」「下水からコロナを検出し流行とその収束を予知する技術」など、私たちの暮らしを支える「下水道の深~い話」を解説してくださいました。その中からごく一部分ですが御紹介しています(8月11日のブログに投稿)。

 

2回目は2021年9月9日(木)「埼玉県地域デビュー楽しみ隊」の隊員であり「つるがしま緑のカーテン市民実行委員会(愛称:みどりかぜ)」の代表でもあります、鳩山町の前田則義様をお迎えし「地球にやさしい緑のカーテン(10月20日から3回に分けてブログに投稿)」を開催しました。

 

なお、前田様にはオンライン公開講座とは別に2019年10月6日(日)蕨市の旭町公民館に於いて「私たちの暮らしと地球温暖化」と題し、地球温暖化に関する問題点をお話ししていただきましたのでご紹介します。(2021年12月8日から8回に分けてブログに投稿)

以上が過去記事のご紹介ですが、地球環境の改善に少しでもお役に立ちたいと願っております。笑楽日塾には様々な経験をお持ちの方がおられますので、これからも多様な視点でSDGsに取り組みたいと考えています。

 

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

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加速する温暖化(5/5)

これから先私たちに何ができるのでしょうか。カーボンニュートラルや、環境型経済。私たちが取り組まなくてはならない問題をお話してくださいます。

≪何ができるのか≫

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それでは一体我々に何ができるのか。最近はカーボンニュートラルという言葉をよく耳にすると思います。これは「CO2の排出量をゼロにする」という事です。とはいっても実際に排出量をゼロにすることは絶対に出来ないので、今まで排出してきたものを減らしたり、海や森林などに吸収させてプラスマイナスをイーブンにする。このことを「ゼロにする」といっているのです。ということでCO2の排出を少なくする努力と、いかに多く回収するかが大切な問題で、「CO2をエネルギーにしよう」とか、「CO2を集めて地下に埋めよう」という動きが出てきました。

プラスマイナスゼロで実質ゼロにしましょうというのがカーボンニュートラルの世界なのです。

≪CO2を排出しない≫

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本当はCO2を排出しないのが一番の解決策になります。火力発電から太陽光発電水力発電風力発電に変えることが重要になり、九州では海上に設置した風力発電も稼働し始めています。日本は山間部が多く降雨量も多いので、この水を使った水力発電が有望だといわれています。しかし、規模が大きい分お金もかかってしまいます。そこで現在は「下水でもできる発電」が浮上しています。写真のようにU字溝に取り付ける小さな発電も開発されており、将来的に期待したいものです。

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今後我々が取り組んでいかなければならないのが循環型経済になります。ごみという概念をを無くし、物を循環させるという考え方が「LOOP社会」といわれています。アメリカのLOOPという会社では容器 の中身だけを売り、容器は回収しに来る販売方法です。日本でも昔は牛乳瓶やビール瓶などがそうでしたが、今では容器をもっとお洒落なものにして利用者が飛びつきやすくするという企業が出てきました。このようなことが我々のできる選択肢になるのではないかと思います。

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ガラスのリサイクル量は大変多くありますので、これを再利用しないとリサイクルは成立しません。ごみを回収する時にリサイクルできる瓶とできない瓶を分別しておくことが必要になります。このようにしてエネルギーの無駄を最小限にしていくことは市民一人ひとりの意識にかかってきます。

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もう一つは皆さん既に実践されていると思いますが、レジ袋を止めてエコバックを使うことです。私はエコバックを持っていない時にはポケットにそのまま入れて持ち帰り、なるべくレジ袋は貰わないようにしています。

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最近は量り売りもあちこちで行われるようになり、無駄な容器を使わないために量り売りが利用され始めました。またお酒の量り売りもあるそうですので、そういうものを活用すると良いと思います。

我々に出来ることをする。あるいは良いことだと思ったら行動する。このようなことが温暖化に対しての行動変容をするうえで重要な事と思っています。

これからも自分たちに何が出来るのかを皆さんと一緒に考え、一緒に行動変容出来たら嬉しく思います。

本日は以上です。ご清聴ありがとうございました。

≪Q&A≫

Q:貴重なお話お頂きありがとうございました。私の知らない単語を数多く教えていただき、びっくりしております。

岩田さんには本講座PartⅡの4回目に「箸のマナー」についてお話していただきました。

今夜は全く違う分野のお話でしたのでお聞きしたいのですが、この幅広い知識はどこで学ばれたのでしょうか。大学でこのような分野を専攻されたのでしょうか。

A:私は好奇心が強い方なので何時も「なんでだろう?」と思って調べ、その答えはネタ帳などにまとめてみたりしています。なお、大学では物理学を専攻し、社会人になってからは原子力発電の原子炉設計をしていました。その後転職し、今の仕事は人材育成のために心理学などを駆使したり、時代にマッチした組織の変容のセミナーを専門に行っており、箸や地球の温暖化とは全く別のジャンルになります。

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「下水でもできる発電」は楽しみですね。さらに進化して、家庭からの排水で自宅の電力を賄う時代が来たら最高です。本日のブログで前半にもありましたが、日本は山間部が多く水は豊富にあります。これを利用しない手はないですよね。「SDGs」全人類の課題です。他所の国と戦争をして国土を破壊している場合ではない。

「加速する温暖化」は今回で完結です。岩田様ありがとうございました。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

加速する温暖化(4/5)

加速する温暖化の4回目です。最悪なシナリオ そして私たちは何をすべきかを考えてみましょう。本当に最悪のシナリオ通りになったら怖すぎます。(前回のリンクを貼る)

≪最悪なシナリオ そして私たちは何をすべきか≫

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写真一番上は第一段階なのですが、北極の氷が解け始めています。本来氷は白いので太陽光を反射して地球の表面を温まり難くしています。しかし、氷が解け始めると地表から白い部分が無くなるため、輻射熱が吸収され始め、さらに北極の氷も徐々に減っていきます。ただし、北極の氷はほとんどが海中にあるため、単に氷が解けるだけで海水面の上昇はありません。お酒を飲まれる方はお分かりと思いますが、コップの中に氷とお酒を入れた後に氷が解けてもコップからお酒がこぼれることはありません。氷が解けても体積が変わらないからです。北極に大陸はありませんので、コップの中の氷が解けるのと同じ状態で海水面の上昇にはならないのです。今、北極の氷が解けている原因は、暖められた海水が氷の下に流れ込んで、その暖かい海水の熱で氷が解けているといわれています。

第二段階はシベリアの永久凍土が解けだす問題です。本ブログの前々回で2回目(2/5)に永久凍土が解けてメタンガスが排出され、温暖化が加速されると言いましたが、この写真の場合はメタンガスが地下で膨張し「メタンガス爆発」を起こして地表に穴が開いています。穴の横には小さくて見難いのですが、人が写っていますのでこの穴の大きさを想像してください。穴は巨大なクレーターに見えますが、実は地下のメタンガスが爆発して下から噴き出したために開いた穴なのです。シベリアの各地ではこのような爆発の穴が17個見つかっており、大量のメタンガスが排出されたものと考えられます。さらに、前々回(2/5)にお話しました未知のウイルス「モリウイルス」も出てくるのではないかと危惧されています。

第三段階で、北半球の変化が南半球まで波及してくると、赤道近くにある南米のアマゾンやアフリカの熱帯雨林で高温と乾燥により火災が起き、樹木が焼失して草原地帯になってしまいます。すると、森で蓄えられていたCO2が一気に排出される他、森林がなくなりますのでCO2の吸収源もなくなります。

第四段階で最後の段階になります。今度は南極の氷が解け始め、棚氷が海中に下りてくるわけで、これが起きると大変なことになります。どういうことかといいますと、陸の上にあった氷が海の中に落ちるという事で、海水面の上昇が始まります。どんどん南極の氷が解けて海中に落ち込み海水面が上昇してくると、各地で標高の低い所から海水で埋まり始め、東京の半分は水没してしまいます。当然私たちの住んでいる蕨も海水で埋まることになります。また、熱波の影響でアスファルトも溶けてしまうことが考えられ、このような状況になることが最悪なシナリオになります。

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私たちが今考えなくてはならないことに、アインシュタインの言葉があります「悪い行いをする者が世界を滅ぼすのではない。それを目にしながら何もしない者達が滅ぼすのだ。」と言っています。我々は今地球温暖化に向けて、一人ひとりが「良く分からないな」「俺たちはどうせ先が短いから」と言っているのではなく、自身の行動変容をしなくてはなりません。自分たちが行動変容をすることによって孫たちの未来に綺麗な地球を残しておく、孫が私たちの行動を見ることによって学習する。このような行動変容が必要なのではないかと思っています。

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イギリスのバーナード・ショーという有名な劇作家は「人類同胞に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。それこそ非人間性の本質である。」と書いています。無関心であるという事が悪いことであると言っていますが、ようするに「難しいからもういいや」「分かんない」と言って無関心になりがちです。しかし、一つひとつ自分で出来ることを考えていくと、何かできることが思い浮かぶのではないかと思っています。

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今までのお話をまとめますと、化石燃料を使って発電をしたり、車を走らせて豊な生活を享受し、その結果人口爆発が起きる。そしてプラスチックごみが増加しててCO2も増える。CO2が増えると気温が上昇して北極や南極の氷が解け、空気中の水蒸気が増加し熱帯雨林が消滅してしまう。このようなサイクルの中で私たちが出来ることは「CO2を増やさないようにする」「増えたCO2をどうやって回収するか」これらが大きな役割をになっています。増えたCO2を回収することは個人では難しいため、大企業や国にお願いするしかありません。しかし「CO2を出さない」「出す量を減らす」というのは我々一人ひとりが行わなくてはいけない問題です。

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最悪のシナリオは御免被りたいもの。 「悪い行いをする者が世界を滅ぼすのではない。それを目にしながら何もしない者達が滅ぼすのだ。」アインシュタイン。「人類同胞に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。それこそ非人間性の本質である。」バーナード・ショー。素晴らしい言葉ですね。しかし、悲しいことに我々がこれを出来ないからこの言葉が素晴らしく思えるのでしょうね。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

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加速する温暖化(3/5)

加速する温暖化の3回目です。地球温暖化の原因を作ったものは何か。CO2の排出量はなぜ増えてしまったのか。考えさせられます。(前回のリンクを貼る)

≪地球を変えてしまったもの≫

そんな中で地球を変えてしまったものは何か。それは先ほどからお話しているCO2で、2018年の年間排出量は全世界で334億トンになりました。自然エネルギーなども含めてみると大体同じくらいだと思っていますが、先ほど(前回投稿分)お話しましたように地球がCO2を吸収できるのは60億トンですので334億トンのほとんどが回収できていません。

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なんでこんなにもCO2を出しているのか、それは、皆さんご存じのように発電などに化石燃料を使っているからです。多くの国の人々は化石燃料を使った発電を批判しながら、そこで作られた電力を使って豊かな生活しているのです。国別の発電によるCO2排出量はというと、ダントツに多いのが中国で38億トンを出しています。次にアメリカ、インド、日本の順になっています。

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日本の排出量は4億トンで中国の1/10しかないのに、他国からは様々な批判を浴びています。なぜかというと、「間接排出量」というものの見方があるためです。「エネルギーを使ってCO2を排出しながら発電し、その電力の供給を受けて工場で商品を作る。作られた商品は家庭で様々な便利な道具として使われている」ということです。

発電所では直接CO2を排出しながらエネルギー(電力)を作り、作られた分のエネルギーを必要としている人たちに割り当てる。つまり、発電した電気を使う人たちがいなければ当然発電はしません。使う人たちがいて、その人たちが必要だから発電をするわけです。

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それでは「そのエネルギーを使った人たちに割り当ててみようよ」というのが間接排出量の考え方です。その結果中国の場合は直接排出量がすごく多いのですが、排出したCO2を人口で割るとかなり少なくなります。つまり人口10億4千万で割ると間接排出量の順位はかなり下の方になります。日本はCO2排出量が少ないといっていましたが、一人当たりの間接排出量は3位に跳ね上がってしまいます。1番多いのはアメリカで2番がロシア、日本は3番目になってしまい、私たちは多くのエネルギーを使いながら豊かな生活を享受していることになります。

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発電の次には自動車で、1台当たりのCO2排出量はそんなに多くはないのですが、世界中には大変多くの自動車がが走っているため大量のCO2が排出されることになります。アメリカは広大な国土の中を車が2億8千万台走っています。日本は面積が狭く人口が少ないにもかかわらず、自動車の台数は7千8百万台で世界第3位の所有国です。今では「排気ガスを大量に排出している自動車そのものを減らそう」という動きが活発になり、電気自動車の開発が進められています。とはいっても一番排出しているのはやはり火力発電で、次が自動車になるため火力発電を無視することはできません。

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工業の話は身近ではないため、少し自分たちの生活感とはずれてくるかもしれません。もっと身近なところに「人口爆発」の問題があります。日本は人口減少が始まっていますが、世界的に見ると2050年には人口が100億人になるという試算もあります。中国では人口が少なくなってきているものの、インド、ブラジル他アフリカ諸国などではこれからも人口が増え続けます。人間もCO2を排出していますので人口爆発が始まるとCO2も増えていきます。また、人口が増えることによって食糧問題がクローズアップされ食糧の確保に奔走することになります。水の問題もあります。日本は水が豊かな国ですが、海外では水の確保に大変な苦労をする国も現れます。地球規模で見ると人口爆発が止まらないといわれていますが、そんな中でも何か解決する方法を見つけなくてはいけないということです。

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もう一つ大きくクローズアップされているのがプラスチックごみです。プラスチックごみ自体を減らそうという動きが大変重要になります。石油から製造されるプラスチックは1960年には200万トンしかなかったのに、2015年には83億トンに増えています。このプラスチックのリサイクルはたったの9%しかできていません。焼却はしたくてもCO2を排出するため12%位しか燃やせないのが現実です。そのため埋立ごみとして廃棄されるのが約80%あり、今はこれが大きな問題になっています。

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昔の日本は夢の島などがあり、国内で排出されるごみは日本国内で処分していました。しかし、今はプラスチックごみを国内で処理しきれずに、マレーシアや台湾、ベトナム、タイなど海外に処理を頼っているのです。自分たちで出したごみを外国に頼っています。プラスチックごみを受け入れている国でも処理能力を超えてしまうと野積みにされたままになってしまい、太陽光にさらされて劣化し、メタンガスやエチレンガスを放出して温暖化が加速する原因になります。ちなみにメタンガスの温室効果はCO2の約25倍になるため無視はできません。自分が使ったプラスチックごみを自分たちで処理できればいいのですが、経済的なこと等もあってこれが叶わないのが悩ましいところ。みんなで考えなくてはならない大問題です。

処理能力を超えて放置されてしまったプラスチックが劣化し、マイクロプラスチックといわれる小さな欠片になって海洋に流れて行きます。プラスチックそのものに毒性はないものの、海洋に流れ込むことによって小さな魚や貝が食べてしまい、その体内に入ると成長が遅れてしまいます。小さな魚や貝などの成長が遅れることにより、それらを食べる大きな魚の成長にも影響を及ぼして海の食物連鎖が狂ってしまい、悪循環に陥ることにより魚が捕れなくなってしまいます。今、私達は豊かな生活をしているがために後始末をせず、後世のことについては考えていませんでした。しかし、これからは大変重たい未来への宿題として解決方法を見つけなくてはなりません。

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スライドに「飽食の悪魔」と書いてあるとおり、食品ロスの問題です。世界では食品ロスとして1年間に食料の1/3に当たる13億トン、日本では年間612万トンを廃棄しています。写真には賞味期限が切れているパンや日にちが経って堅くなってしまったパン他、規格外の野菜などが捨てられているところが写っています。日本人は美意識が高く、綺麗にパッケージされた食べ物がコンビニなどで何時でも何処でも手に入るため、日にちが経ち賞味期限を考えるゆえに売れ残っってしまったものを、全て食品ロスとして捨てしまいます。これが怖いことですね。

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最近は和牛のブームで、もちろん皆さんもお好きなことと思います。しかし、牛を育てて1㎏の肉を作るのに穀物が20㎏、水が1万5千ℓ(1ℓのペットボトルで1万5千本分)が必要になります。たった1㎏の牛肉を作るのに穀物20㎏と水がペットボトル1万5千本分ですよ。それでは800㎏の成牛を育てるのにどれくらいの穀物と水が必要になるのか。穀物が16トンで水は25mプールに換算して23杯分になります。1頭の牛を育てるのにこんなにも多くの穀物と水が必要になるのです。大変なことですよね。

牛を育てて1㎏の肉を食べるより20㎏穀物を食べたほうがよほど人類のためになるのではないかと思ったりするわけです。そんなことから最近は大豆で作った「大豆ミート」なども出来てきました。今は生活が豊かなためにこのような贅沢もでき、飽食の悪魔といわれるような現象が起きているのだと思います。元に戻ることは困難ですので質素な食事を勧めるわけではありませんが「食べ物は大切に無駄なく食べる」「食品ロスをなくする」これが大事だと思います。

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私たちの生活が豊かになるということは、地球環境の犠牲の上に成り立っていることが分かりました。ペットボトルなどプラスチック類の存在は生活するのに大変便利ですが、実はその処分が大問題になっています。食品ロスのことも考えなくてはいけない大問題で、私に出来ることは「スーパーなどで購入する時には包装容器になるべくプラスチック類の少ないものを選ぶこと」「購入する商品はなるべく賞味期限切れの近いものを優先し、お店や製造元が廃棄しないで済むようにすること」と考えました。賞味期限切れの近いものは、お財布にも優しくなりそうですね。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

加速する温暖化(2/5)

加速する温暖化の2回目で、今回は「何が問題なのか」「なんでこんなことになってしまったのか」様々な事例を見ながらお話しくださいます。(前回のリンクを貼る)

≪何が問題なのか≫

生物学的なことではなく現象面でご説明いたします。今地球の気温が上昇して温暖化が進むことによって一番怖いと思っているのが、グリーンランドやシベリアの「永久凍土が解ける」ことです。

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永久凍土の中には前の時代(温暖化だった頃)に生えていた植物が氷の中に閉じ込められ、その植物が水分と圧力によって腐敗して発生したメタンガスも一緒に閉じ込められています。また、永久凍土の中には温暖だった時代に生息していた動物の死体なども凍結して閉じ込められています。

写真の左下にもありますように、永久凍土が解けてしまったため「モリウイルス」という新種のウイルスが発見されてもいます。太古の時代に生きていたモリウイルスが永久凍土が解けたことによって表に出て来たわけです。このモリウイルスが生物の細胞に入ると12時間で約1000倍に増殖するため、コロナの感染が問題になっている現在に加えて、新たなパンデミックの可能性も考えなくてはなりません。コロナウイルス騒動もその原因は永久凍土が解けたことによる可能性も考えられなくはありません。

もう一つはシベリアの永久凍土の中に埋まっていたメタンガスが大気中に放出されているという事象があります。メタンガスの温暖化効果はCO2の25倍位あるといわれており、大量に大気中に放出されてしまうと、いくらCO2を抑えてもメタンガスによって更に温暖化の危機に陥ることになります。

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昨年はオーストラリアの山火事がニュースで取り上げられましたが、場所が遠いのと日本はあまり山火事はないのでピンと来ないかもしれません。2020年を例にとると世界で起きている森林火災による焼失面積は日本の国土の1.7倍になります。森林が燃えるということはそこに住んでいる多くの動物が犠牲になるので、オーストラリアでは相当数のカンガルーやコアラなどが犠牲になったといわれています。

一昨年(2020年)にはシベリアで森林火災が発生して北海道の面積の2.3倍が燃えています。

2021年8月7日、昨年ですね。ギリシャで12万ヘクタールの森が焼失したといわれています。これは山火事ですが、その原因は47.1度の熱波によるものといわれ大変怖い話です。47.1度は人間の体温をはるかに超えており、通常の生活はできないのではないかと思います。

地球上のあちこちで山火事が起きています。山火事というのは単に燃えるだけではなくCO2を発生するほか、本来であればCO2を吸収してくれるはずの樹木を含めた植物が燃えてしまい、その分の吸収がなくなってしまうというような悪循環に陥ってしまいます。このようなことがさらに大規模になると、もっと恐ろしいことが起きるんではないかと心配になってしまいます。

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日本も他人事ではありませんが世界各国では豪雨が続出しており、南半球のブラジルでは先日大洪水がありました。たまにインドネシアジャカルタニュージーランドでも洪水が起こっています。気温が1度上がると大気中の湿度が7%増え、その分雲ができやすくなるため雨が降りやすくなります。皆さん最近は台風が昔より少なくなったと感じておられないでしょうか、実は温暖化が進むと台風の数は減少するといわれています。

なぜ台風が少なくなるのかをご説明します。海水面の温度と大気の上の方の温度に差が出来ることによって上昇気流が起こり、その上昇気流が渦を巻いて台風になります。しかし、温暖化により海水面と上空の大気に温度差がなくなってしまうと、上昇気流が起きないため台風が出来にくくなり、数が減るということです。ところが一旦台風が出来てしまうと巨大台風に変貌するといわれています。最近は日本列島をすっぽりと覆うような台風も出来るようになっていて、異常気象といわれる日が多くなっています。今年の冬は日本海側で大雪が降っています。奇しくも今日(2月10日)は蕨でも雪が降っていますが、私的にはこれも異常気象なんだろうなと思っています。冬は日本海側で海水面が暖かくなると水蒸気が上り、本土の日本海側にまで運ばれて雪になって降ります。夏であれば雨になるわけですが冬の場合は雪になって降ってきます。海水面が暖かくなるという事を単純に考えると、雨だけではなく雪の量も多くなってしまいます。

≪何故こんなことになってしまったのか≫

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先ほどホットハウスとかアイスハウスのお話をしましたが、地球は驚くほどの回復力を持っています。本来ですと森林や海洋など地球全体で吸収できるCO2の量は年間60億トンといわれています。しかし、今はそれをはるかに上まわる量のCO2を排出しています。また、森林が人間の手によって伐採され、面積が少なくなり、地球の回復力が次第に弱まっているということも問題になっています。

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このような中でホットハウス・アース理論というものをロックストローム博士が提唱しました。この考えが全世界で取り入れ、今のCOP26とかの場で「カーボンニュートラルの世界を作っていこう」という事になりました。博士が「気温上昇が産業革命から1.5度を超えた時に温暖化の進行が後戻りできなくなってしまいますよ。」「そんな中でもなんとか1.5度を超えないようにしていかないといけません。」と提唱されたことによります。

また、これを放置しておくと2100年には4度も上昇してしまいます。その結果どういうことになるかというと、あちこちで35度以上の猛暑日が続くようになり普通の生活が出来なくなってしまうのです。ここまで来てしまうとどうなるのか私も想像できませんが、いくら「あの時代は良かったよね」といってももう後戻りできません。これを何とか今のうちに食い止めなくてはならない、と博士は言われています。

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シベリアの永久凍土が解け、その中から「モリウイルス」という新種のウイルスが発見された。まだ、新型コロナウイルス問題も解決していないのに、次のウイルスの恐怖に怯えなくてはいけない。怖い話ですね。

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