2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧
『何も対策を取らないで温暖化が進み平均気温が0.3~1.7℃上昇した場合、21世紀末には動植物の住む森が北上し、青森県から秋田県に広がっている白神山地のブナ林は海峡を越えて北海道に移ってしまう』『動植物の多くは海峡に阻まれて北上できずに絶滅すること…
150年前にアメリカ合衆国本土の人里離れた農村が日本と繋がっていたこと。そこには合衆国本土として初めて日本人の入植者がいたこと。さらに異国の地で望郷の念を抱きながら19歳の若さで亡くなった少女がいたこと。その跡地が今では沢山の人達に大切に見守ら…
「桜井松之助」が現地に残った仲間に声をかけ、それぞれが苦しい家計の中からお金を持ち寄り、嘗ては夢を描いた入植地「若松コロニー」の見える丘に「おけい」の墓碑を建立した。 カンプ家に残り「おけい」の最期を看取った松之助も日本に戻ることなく、カン…
東海道新幹線は日本の経済発展を支える大動脈になり、日本の高度経済成長期を象徴する存在になったのです。 これが刺激になって、17年後にフランスで高速鉄道TGVが、27年後にドイツで高速鉄道ICEが開業しました。
文久3年と申しますから、今から157年前、1863年5月夜半のことでございました。横浜から上海行きの蒸気船に便乗し、ロンドンへ密航しようとする5人の青年がおりました。彼らはみな長州藩士で、国の将来を思い、欧米の優れた文明を導入しようとする藩の密命に…
埼玉県人で誰が最初に汽車に乗ったか、荻野吟子か渋沢栄一か。それはどこだったのでしょうか。 それは渋沢栄一でした。栄一は徳永慶喜の弟・徳川昭武に随行し、パリ万博へ行きました。
1849年10月、22歳の万次郎はアメリカ東海岸から木材船に乗り、南米の最先端ホーン岬を回って翌年5月サンフランシスコに入ります。 そこからサクラメントを目指して130㎞、川をさかのぼり、サクラメントから汽車に乗り、シエラネバダ山脈のふもとへたどり着き…
日本が世界に誇れる技術はたくさんありますが、その中で、生まれてから 56年間ずーっと進化し続け、世界中の誰もがあれは日本のオリジナルだ、日本人が世界に先駆けて開発したんだと認める技術、それが新幹線電車です。