笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(8/8)

兄頼朝が最も危険視した左衛門尉(さえもんのじょう)・検非違使(けびいし)にも叙され、さらには、内昇殿(うちのしょうでん)も許される義経を最後には頼朝が抹殺せざるを得ないところまできてしまったのであります。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(7/8)

水上の戦いは漕ぎ手や水子は殺めないのですが、義経これを無視し、最初に水子・漕ぎ手を殺め船の動きを止めてしまうのです。地上戦に似た戦いに持ち込み、開戦からわずかな午の刻(正午)には、平家の武将を悉く蹴散らしてしまうのです。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(6/8)

鞍馬の山へ入った遮那王、ここで初めて父の仇が清盛であると知り愕然とする。遮那王、剃髪せず鞍馬の山を駆け巡り剣術の修行に励んでいたという。伝説で天狗から剣の極意を伝授され、都の五条の橋で刀狩りの猛威を奮っていた「武蔵坊弁慶」と

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(5/8)

『伊豆の国の流人、前の右兵衛佐頼朝が首をついに見ざるつるこそやすからね。吾に万一のことあらば、後には堂塔を建て、孝養をもなすべからず。我が塚(墓)の前に頼朝の首を晒し、それぞ孝養にあらんずる。』(平家物語 巻六)

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(4/8)

頼朝も執拗な大庭軍の追求を逃れ、小人数で土肥実平の巧みな案内で逃げ回り、湯河原の「しとどの窟(いわや)」で疲れを休めることとした。そこに大庭軍の「梶原景時」が現れるが、わざと見逃していくのです。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(3/8)

平宗清に捕縛され、清盛の前に引き出された「頼朝」。死刑が当然の頼朝に、清盛の継母・池禅尼が清盛へ助命の嘆願を申し出て断食を始め、これには清盛も折れ、頼朝は罪一等を減ぜられ「伊豆の蛭(ひる)が小島」への流罪が決定されたのです。

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(2/8)

西の方に「煙」が立ちのぼって いた。家臣に義経は「あの煙は何じゃ?」と問えば、「藁(わら)を燃やしているのです」と答えた。義経は「オー藁火(わらひ)か」とつぶやいた。この情景が「藁火」伝説の素になったのではないかと推考する

頼朝と義経 ―その栄光と確執―(1/8)

皆様に支えられて20の講座を修了することが出来ました。この講座を蕨ケーブルビジョンがWinkの番組で放送して下さり、多くの視聴者からご声援を頂きました。また、いつの日か皆様とお会い出来る事を願って、オンライン講座最終回の挨拶とします。

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