笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

ご挨拶

日本一面積が小さく、日本一人口密度の高い市である埼玉県の蕨市の情報と、その地域で活動する笑楽日塾をご紹介している「笑楽日塾の事件簿」です。事件簿といっても殺人事件はありませんし名探偵も登場しないうえ、基本週1回の投稿であまり熱意を感じないブログですが、ご覧いただいている皆様には感謝申し上げます。

最近のことですが公私に渡り少々バタついているため、まことに不本意ではありますがしばらくの間記事のアップをお休みし、来春位に再開することを予定しています。

笑楽日塾では塾生が月に1度集まって親睦を図り、身の回りの出来事等を話し合ったり、塾運営の将来の構想を練ったりしています。また塾生は塾の活動の他にも各自が様々な地域活動に参加し、社会に貢献するポジティブな方の集まりです。ブログがお休みの間でも時間に余裕が出来たら、これら蕨市や笑楽日塾に関する情報をご紹介しますのでよろしくお願いします。

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

 

年寄りが晩秋に思うことは

笑楽日塾では毎月末に会報誌「笑楽日塾だより」を発行しています。2年前の「笑楽日塾だより2022年11月号」の塾長挨拶には「年寄りが晩秋に思うことは」と題し、晩秋に感じた思いについて書かれています。以下にご紹介しますが、当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。


日々起こることを見ながら、また、これからのことなどを考えていると笑顔が少ない自分に気づきます。

笑って、笑って暮らしたい。そう願って晩秋の一日を静かに過ごしています。

 

明るい話よりも暗い話が多い。コロナの第8波が1月中旬にピークを迎えるだろうと専門家達が予測しています。新年がコロナで自粛か? 最近起きた政界の事は、偉い人達(山際さん、葉梨さん、彼らをぐずぐずといつまでも更迭できなかった岸田さんのふがいなさ)の欠点ばかりが気になって晴れやかな秋晴れのようなスッキリとした気分になれません。そうなると救いはやっぱりスポーツですね。

しかし、アメリカ大リーグも終わり、ニッポンのプロ野球オリックスのまさかの4連勝で終わってしまった。10月29日オールブラックスとニッポンとの試合は見応えがあった。大男同士のものすごいぶつかり合いだった。知人はこんなことを言っていた。「サッカー好きの人には申し訳無いが、ちょっとぶつかったぐらいで、大げさに転んで痛い痛いとアッピールして、ペナルティキックを取ろうとする」。

しかし、サッカーも面白い。11月5日に横浜Fマリノスが3年ぶり5度目のJ-1制覇を果たした。なでしこジャパンの活躍でサッカーフアンが増えて、ワールドカップカタール大会/日本対ドイツが11月23日にある。今から盛り上がっている。スポーツが好かれるのは、公平で厳正なジャッジがあって、勝者も敗者も称えられるからだろう。

 

話が振り出しに戻るが、やっぱり気になる。今の世の中は、世界は、これからの未来はどうなるんだ?と気になることばかりだ。

コロナ禍に疲れて、ロシアの一方的なウクライナ侵攻のニュースに疲れ果てた心を、何をして癒やせばいいのか。全国旅行割りの大サービスも我が家には無縁のようだ。あれはゆとりのある人がたくさんおカネを使って経済を循環させる仕組みだ。金持ちのゆとりのある人たちのために、国民の借金でやっている。これが本当に今の世の中に必要な支援だろうか。

そのような事は、ひがまず、他人と比べず、弱気にならず、月に一度の笑楽日塾の塾会で塾生達の元気な表情と闊達な会話を聞いていると、俺もまだ大丈夫だと一次弱気になった心が元に戻っていく。

 

日本は長寿社会となった。しかし、高齢者一人一人に居場所があるかといえば疑問が残る。

人とのつながりがないと健康にも良くない。日本では3世代家族が崩壊し、核家族化が進んだ。血縁よりも地域社会を含めた新しい価値観を持つ社会に切り替わらなきゃ行けない時代になってしまった。だから地域のふれあいの場を作らねばならない。そのため俺は地域が、隣近所が明るく住みやすくなるように精一杯お節介をしている。

大事なのは人の輪に毎日入ること。多くの財産があっても家にぽつんと一人だったら幸せとは言えないでしょう。コロナ禍で私が学んだことは、落ち着いた日常のありがたさ、地域で誰かとすれ違って雑談、友人等との会食、そんな何でも無い日常がいいのだ。人生百年時代に必要なのは自分の「居場所」の作り方ではないだろうか。

 

 近所に6っつのマンションがある。民生委員3人が10月に高齢者調査をしてくれた。

総戸数1,231戸 (居住者は約2,200人)

75才以上の高齢者 378人 (270人)

75才以上の夫婦二人の世帯 54世帯 (54世帯)

75才以上の一人暮らし 80人 (49人)

 *( )内は僅か4年前の調査結果です。こんなにも早く高齢化が進んでいます。

この情報の中に多くの問題が含まれている。その一つが災害時に高齢者、弱者を助けに行く仕組み作りだ。誰が誰を助けに行くか、これからそのプロジェクトを立ち上げようと思う。

世の中を少しでも明るくするために、周りに笑顔が戻ってくるように。

 

(2022年11月17日に記す)

 

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

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中国語は難しい

笑楽日塾では毎月末に会報誌「笑楽日塾だより」を発行しています。会報誌の中には「シニアの風」と題し、自分が体験したことや趣味、思い、感じたこと、話したいこと等を全員の輪番制で載せています。今回ご紹介の記事は塾生Y氏が「中国語は難しい」と題し、「台湾に4年間赴任した時の体験等」についてです。

この記事は笑楽日塾だより2024年8月号に載ったものです。

 

毎週木曜日の午前中2時間公民館で「中国語会話」のサークルに参加している。会員は、女性4名、男性3名。講師は、週替わりで2名の講座が担当してくれる。講師は、二人とも日本人でご主人が中国の方です。おひとりは、中国性をもうひとかたは、日本性を名乗っておられる。

講座は、NHKの「まいにち中国語」のテキストを利用し、テキストについているCDをメインに講師が詳しく説明してくれ、講座の参加者は順次テキストを読み合わせる。ほかに教材として「陳淑梅氏のエッセイ集」、NHKの中国語のラジオニュースの聞き取り、中国語の歌も一緒に歌います。ちなみに、講座参加費は、月に二千円。お花見、忘年会などの費用は都度、臨時徴収します。

 

私が、中国語に接したのは現役時代台湾へ出張したとき。後に台湾の西側を縦断する台湾版新幹線の工事に参加し、台南に4年間住んだ。台湾の職場のエンジニア、事務系の女子連は皆大学卒業並みの学歴を持っているが、英語は個人差もあるがあまり堪能とは言えない。

工事事務所内では、日本語、英語、中国語が飛び交う。工事の発注者は台湾高速鉄道公司。ドキュメントは、すべて英語だが、仕様書は中国語版がある。この仕様書の厚さを比べると約半分。中国語の一語の語彙はそれだけたくさんの意味を持っている。

 

日本人が、中国語勉強する際、日本で使っている漢字の知識が邪魔をする。中国語でも台湾などで使われている繁体字と中国本土で使われてる簡体字表記がある。日本語の表記は、その中間的な漢字使いである。発音は、基本的に「北京語ベースの普通語」です。他に、広東語。上海語、ミンナン語などがあります。台湾の南の大都市高雄市を走る地下鉄内のアナウンスは、「普通語」、「台湾語(福建語に近い)」、「客家語(ハッカ)」のほか、メインの駅では、「英語」も追加される。

また、中国語の発音には、「四声」があり、これも厄介である。「四声」の使い分けで意味が全く違うものになる。有名な語句は、「妈妈骂马吗」。日本語の発音は「マーマーマーマーマ」である。意味は、「お母さんは馬を叱りますか?」です。発音記号は、ピンインというローマ字表記システムで表されます。そのピンインに4種の声調記号が付くのです。は、第一声(平声)。は、第四声。は、第三声。は、四声にない軽声で発音します。

この使い分けがなかなか難しい。しかし、中国語の学習は、この四声をきちんと発音できないと上達できない。日本語は、漢字を知っているだけに過去の知識・経験    ・音読みが邪魔をする。ある中国語の教師は、「漢字を知らない西洋人の方が、素直に発音が出来、上達も早いとか」

 

もう一つ日本人に厄介なのが、日本の人名、地名などの読み方である。日本では、ほとんどの人名、地名は漢字表記なため発音は、当然中国語読みとなる。 「東京」は、dong jing (ドンヂン)。 「大阪」は、da ban(ダーバン)。 この辺りは、何とか想像がつく。「埼玉」は、qi yu (チーユー)。「名古屋」は、ming gu wu (ミングーウー)となる。こうなるとお手上げ状態。

確かに、漢字は古代中国から日本に伝わり、日本語の表記体系として採用され、発音も音韻体系も違い、日本語は漢字の意味から読みを変える訓読みも考えられてきた。しかし、近代の観光やビジネスで文化交流が増え、国際的な標準か流れも現れてきているようです。観光地のガイドや地図の中には日本語読みが使われており、「京都」は、kyoutoと表されたり、交通機関の案内にも日本語の発音に基づく表記が使われてきているようです。中国のメディァや教育機関でも日本の地名や人名を日本語の発音に近い形で紹介が増えているようです。是非、この流れが国際的に広がってほしい。

中国語は、母国語以外の地名、人名は現地で発音されたものを漢字に置き換えるのが主流ですが、必ずしもそうではないようです。アメリカ大統領「バイデン」は、拜登(Bai deng バイデン)。前大統領「トランプ」は、特朗普(Te lang pu ターランプ)。アメリカ民主党の時期大統領候補の「カマラ」は、卡马拉(Ka ma la カーマーラー)です。十分に聞き取れます。我々日本人も中国の習近平主席を「シユウキンペイ」と呼ばずに「Xi jin ping シージンピン」と発音することをお互いの国、国際社会のメディアへの啓発と語学教育をの国際標準化に向けて努力を続けてほしいと思います。

 

台南駐在中に台東市へ旅行した時の話です。事前にホテルの予約は事務所のスタッフにやってもらいました。数日後、私の携帯電話にホテルから直接電話があり、本人確認の後、「当日、到着列車の時間に合わせてホテルから迎えのものを準備します。そのものには、お名前を書いたプラカードを持たせます。お名前は、「ジーテンシェンション」で宜しいですね。」と丁寧な連絡がありました。旅行当日、台東駅に着いて私の出迎えの方を探しましたが、なかなか見つかりません。しばらく探すと、奥の方に「歓迎几点先生」のプラカードが見えました。私の名前を漢字で書くと中国語読みでピンイン「ji tian(ジーティエン)」。プラカードは「ji dian」 ジーディエン。意味は、「なん時?」。プラカードは、「ようこそ! なん時さん」になっていました。中国語は難しい!!!!!!!

 

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用の美について

笑楽日塾では毎月末に会報誌「笑楽日塾だより」を発行しています。会報誌の中には「シニアの風」と題し、自分が体験したことや趣味、思い、感じたこと、話したいこと等を全員の輪番制で載せています。今回ご紹介の記事は塾生Y氏が「用の美について」と題し、「民衆の暮らしの中で、無名の職人の人達の手仕事が生み出す日用雑器」について。

この記事は笑楽日塾だより2024年9月号に載ったものです。

 

「用の美」という言葉があります。

「民衆的工藝」を略した言葉で、1925年に柳宗悦濱田庄司、河井寬次郎によって提唱された新しい美の概念と言われています。

日本の各地域に根差した民衆の暮らしの中で、無名の職人の人達の手仕事が生み出す日用雑器に美を見出す考え方であり、美術品とは異なり、実用性を備えた日常の生活道具に宿る「用の美」を説くとあります。

そんな「用の美」に目覚めたのは今年6月に世田谷美術館で開催されていた「民藝」展。すべて自然素材で作られており、鑑賞しながら感じたのは、その品々がすごく美しく感じ、無機質な金属製品でなく何故か心が和みました。歳をとったせいでしょうか?(笑い)。

毎日お世話になる掃除機、今は軽量で使いやすい商品も沢山でていますが、昭和初期はそんな電化製品はありませんでした。

外掃きはシダ(赤シダ、黒シダ)、家中掃きには箒草、鬼毛棕櫚があります。

ちりとりは和紙に柿渋を塗って作られた昔ながらのちりとり「はりみ」は、静電気が起きないので、集めた埃がまとわりつかず、すっとゴミ箱に落ちていきます。大切に使えば10~20年使えます。

今年中にお婆さんが購入した大きな仏壇のある和室に3点セットを購入しようと考えています。

サラリーマン時代、一生物の机と椅子が欲しく、会社が日本橋にあった頃、三越家具売り場でイギリス製のライティングディスクと同じ材質で出来た椅子を購入しましたが、これも「用の美」ではありませんが使っていて心が和みます。左側の黒いのはレコードプレーヤー。昔集めたLPレコードのクラッシックやJazzの曲を聴きながら風呂上りに静かに読書をしたり、ビール、ウイスキーを飲んだりとHYGGE Time(至福の時間)を過ごしています。これも会社をリタイヤした後の愉しみとして定年前に計画した一部です。その内、この家具も息子の時代になればアンティーク家具になっていくでしょう。

そして最後に私の趣味の1つとして良い筆記具を探し、日常で使う事です。書くことが好きな私は40歳代から萬年筆、ボールペン、シャープペンシル等いろいろ購入しました。しかし、最近では毎日使う品は段々と決まってきました。

常に持ち歩くのは④~⑥の筆記具。

持って使う品は自分の感性にあった品が良い。見て、触って、筆記具が自分に訴えてくる品が。

たかが文房具とはいえ、毎日使う道具から楽しみ、かつ所有する満足を得られるものでその品が個人の存在価値観を問い、手を動かし書くことで頭脳を使い、全身の五感を総動員してくると思う。

もちろん、書くには書かれる紙が必要。この紙もいろいろな品があります。これについては次回に述べたいと思います。

「用の美」・・・自分の側において使う品は無機質なものではなく、美しい品で囲まれたいです。

 

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Zoomの未来形

毎月発行している笑楽日塾の会報誌「笑楽日塾だより」に書かれている「シニアの風」も今回のブログ投稿が38編になりました。記事の内容は自由で、自分の体験したことや趣味、思い、感じたこと、話したいこと等で塾生全員の輪番制。今回は塾生のU氏が「Zoomの未来形」と題し、これからは「ZOOMがどのように進化していくのか」について書かれています。

この記事は2年半近く前の笑楽日塾だより2022年6月号に載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

2022年6月現在、Zoomを使ったオンライン活動が活発に行われている。色々な講演会、学校教育、企業内での各種会議、俳句の会、囲碁・将棋の対局・・・等々数え上げればきりがない。

2年前に初めてZoomを使った時には、まさかここまで普及するとは思わなかった。

Zoomは現在まさにオンラインミーティングの標準になったと言っても過言ではない。今後も競合製品が出て来るであろうが、この牙城を突き崩すのは容易な事ではない。

競合製品としてMicrosoft TeamsやGoogle MeetやLINEやWebex(シスコシステム)など20以上あるらしいが残念ながら、どれも一度も使ったことがない。従って評価もできないし、そもそも評価の必要もない。

Zoomの現状はよしとして、Zoomの未来形について考えてみた。未来形といっても遠い未来ではなく今年か来年あたり出て来るかもしれない。出て来るといいな~~といった程度のものです。それはZoomとバーチャルリアリティとの融合というか結合です。

現在の画面はパソコン画面かTV画面ですが、このような画面の代わりにゴーグル型のスコープをかぶりVRの世界へ入ります。スコープをかぶるとミーティングテーブルが見えます。まだ誰もいません。そのうち一人二人と参加者が入ってきます。全員揃ったらミーティング開始です。スコープをかぶっている限りリアルなミーティングと変わりません。しかし参加者はそれぞれの場所、ある人は日本のオフィスで、またある人はアメリカの自宅で、スコープをかぶって参加しています。このようなZoomミーティングでは隣の人と雑談することも出来ます。要はリアルなミーティングとほとんど変わらなくなります。

ミーティングと同様に講演会や学校教育、囲碁・将棋対局などもスコープをかぶったものになるでしょう。 そんな世界がすぐそこにせまってきています。そうなると、笑楽日塾でやってきた、オンライン公開講座も様変わりして復活するかもしれませんね。以上私が考えた空想zoomミーティングです。

以上

 

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唱歌「牧場の朝」は岩瀬牧場が発祥

今回は「笑楽日塾だより2022年7月号」に載ったA氏担当のシニアの風から。唱歌「牧場の朝」は岩瀬牧場が発祥」と題し、霧に包まれた朝の牧場から鐘の音が聞こえてくる幻想的な風景、誰でも知っている唱歌に心和まされたお話です。以下にご紹介しますが、この記事は約2年前の笑楽日塾だよりに載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

姉が住んでいる福島県鏡石町では、朝・昼・夕に防災無線から「牧場の朝」が流れます。ご存知の方も多い唱歌である「牧場の朝」は、鏡石町にある岩瀬牧場が発祥だそうです。

かつてここは荒れ果てた土地でしたが、那須疏水が作られたことにより開拓されました。敷地内には、尖がり帽子をかたどった建物や、牧場の歴史を紹介する看板などが立てられています。

散策のおり、同牧場に立ち寄り場内の施設や大きなプラタナスの木々を目の当たりにすると、100年を超える歴史を感じます。また、資料館ではオランダより贈られた大きな「鐘」を見ることができ、近くの公園では「牧場の朝」の歌碑も見ることが出来ます。

義兄が「牧場の朝・オランダ交流会」のボランティアとして活動していたこともあり、個人的には「唱歌と鐘と岩瀬牧場」の関係について興味が深いため、その成り立ちについてお話ししたいと思います。

(以下、岩瀬牧場発行の「岩瀬牧場の歴史を今に」“明治・大正のロマン香る岩瀬牧場” 発行:岩瀬牧場 平成18年7月6日より引用 以下の青文字部分

1.明治9年、明治天皇は第一回東北巡業で矢吹が原と言われたこの地の開拓を命じた。内務大臣の伊藤博文宮内省御開墾所を創設し大規模開拓の適地として計画、巨額の国費を投じたが、効果が上がらず福島県に管理を委任。

2.明治19年、宮内省御料局岩瀬出張所開設し開墾計画策定された。このころ農耕として北海道新冠牧場、千葉県高堀牧場を含め3か所が指定された。

3.明治23年、国営管理地であったこの御料地を一個人より拝借申し出があり監理などの国費負担を考慮し申し出を許可した。申出人は岸和田藩最後の藩主、岡部長職(おかべながもと)の管理地となり初の民間牧場経営者として明治23年から昭和4年まで経営。

4.地元村長は岡部の民有地が利用できなくなり、農業経営が成り立たなく鏡石村長他2村長と岡部民有地の一部返還を求める拝借願書を御料局に申し出許可された。

~~ 前置きが長くなりましたが、やっと鏡石村にたどり着きました。 ~~

町制施行は1962(昭和37年)面積は蕨市の約6倍、人口は約1/6で、現在の牧場は観光地としての様相で牛が数頭と生乳精製時の建物や機具が大切に保存されております。

「牧場の朝」の原点は「鐘」。唱歌の鍵となる「鐘」は、明治40年(1906年)ホルスタイン種牛13頭をオランダより輸入し欧米式酪農経営がすすめられた。(当時1頭2,000円、現在=760万円 明治1円=現在3,800円)。オランダでは外国がホルスタインを購入した際には「鐘」を贈る風習があり、岩瀬牧場にも贈られた(鐘は町指定文化財として牧場歴史資料館に保存されている)。

歌詞は誰が?杉村廉太郎(杉村楚人冠)で朝日新聞記者。岩瀬牧場を訪れた際、連載原稿(5編)の中の「牧場の暁」が元とされている。

曲は誰が? 舟橋栄吉 昭和5年(1932年)文部省視察兼教科書編集委員に委嘱され作曲を命じられた。(音楽才能があり、ドイツ・ベルリン国立音楽学院に留学。東京音楽学校教授 他)その後、小学生唱歌として4年生の音楽教科書に掲載された。

 

かつては草原にひびく鐘の音が、乳牛の世話をする人々の心を癒していたのではないでしょうか。牧場からの帰り道、田畑の広がる風景が、60年ほど前の蕨の様子と重なり、懐かしい気持ちになりました。

似たような事例が6月に話題となりました。千葉県・富津市では防災無線から流れる「夕焼け小焼け」の唱歌に対して、一部の市民よりうるさいとの苦情があり「廃止の危機」に追い込まれたそうです。

しかし、25年間続けられたことにより生活の一部となっている。という復活を望む声も多くあったため、7月には放送回数などを改善し再び流されるとのことでした。

それぞれの地域住民の受け取り方を決めつけるべきではありませんが、誰もが知っている唱歌は心和むものではないかと、個人的には考える次第です。

以上

 

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先生の言葉

少し前のことですが、9月1日のヤフーニュースに「歌舞伎役者の中村芝翫が複数回の不倫発覚後も、妻でタレントの三田寛子と一緒に仲良く誕生日を祝った。」という記事が載っていました。昔から「女遊びは芸の肥やし」と言われ、芸人の言い訳に使われてきましたが今はそんな時代でもなく、芸能ニュースの絶好の餌食になってしまい ます。コメント欄には「寛子さんの忍耐力に頭が下がります」「奥さまを大切に!」等々。

既に忘れ去った感がありますが、男性料理人と女性タレントのW不倫は人々にかなりの衝撃を与えました。両親を含めた家族旅行など大変仲良さそうに見えたのですが、傍からは分からないものです。奥様はとてもやさしそうな方でしたが。

夫婦円満の秘訣は家庭によってそれぞれと思いますが、ネット上には「妻に対して思いやりがある。家族との時間を大事にする。」等々、私はかなり反省しなければならないような気がします。

今回は「笑楽日塾だより2022年6月号」塾長挨拶の記事で、「先生の言葉」と題して恩師に「奥さんを大事にしろ」と言われたお話です。以下にご紹介しますが、この記事は約2年前の笑楽日塾だよりに載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

先生の言葉

今の学校では「家庭訪問」はどのように行われているのだろうか。

家の前で児童のおうちの場所を確認して終わり? 玄関先で保護者に会って挨拶して終わり? 先生も忙しいから、もう家庭訪問なんてやっていないのだろうか。コロナの時代は接触を避けてオンラインでやっているのでしょうか。

私は家庭訪問してくれた先生に深い思い出がある。小学校や中学校では、先生が部落の事をよく知っていて、この家は誰々さんだ、その隣は誰などと分かっていた。それでも新しい担任は家庭訪問して、お茶を飲みながらオヤジと何やら話していた。

中学を卒業して村から遠い足利工業高校へ入学した。家から約2時間かかった。家から館林駅まで砂利道を自転車で約50分、駅から足利市駅まで25分、駅から学校まで歩いて30分、雨の日などは2時間以上かかった。そんな田舎まで高校1年の担任だったS先生が4月に家庭訪問に来られた。こんな遠い不便なところまで来てくれたことにびっくり。

S先生は2年生までの担任だった。卒業してから疎遠になっていたが、後年インドネシアから一時帰国 する度に、先生を囲んで食事をご一緒した。奥様が亡くなられてしばらくしてからお会いした時に先生からお聞きした話をいつも思い出している。

それは「歳をとると世の中で何が一番大切か。それは奥さんだ。奥さんを大事にしろ。先に逝かれると大変だぞ」というお話だった。先生は10年前に亡くなられたが、この言葉を胸にして、愚妻には長生きするように体を動かして貰っている。大事にしすぎて、俺が何でもやると、女房は体を動かさなくなってしまい、弱ってしまう。

これを言い訳にして、朝は40分かけて朝食づくり、夕食づくり(昼は自分でやる)、洗濯、など家事を毎日、昼間はスポーツクラブで泳いで貰って(泳ぎは私よりも数段上)体を鍛えて、木・土曜日は子ども達へ書道を教えて、毎日くたくたになるまで動いて貰っている。寝る前には肩をもんでやる。これぐらいこき使えば、俺よりも先に逝くことはないだろうと思い込んでいる。S先生の言葉を生かして愚妻には長生きして貰いたい。

1学期は家庭訪問の季節だ。今はコロナで直接訪問はしないのだろうな。オンラインでやっているのかな。担任の先生が家へきてくれる。子供の時はそれが恥ずかしくって、先生に挨拶も出来なかったが高校の時の事は良く覚えている。恩師とは本当に有り難いものだ。

コロナ感染が原因で、6月に中央小学校1年生で2クラス、4年生で1クラス学級閉鎖があった。2時間も掛けて田舎の村まで家庭訪問してくれた先生は偉いが、今の先生はうるさい親が多い中でもっともっと大変だろうな。本音では家庭訪問なんかしたくないだろうし、時間もないのだろうな。

以上

 

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本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

 

玄奘三蔵の霊骨を金亀山三学院に訪ねる ~ 何故三学院なのか

「シニアの風」も今回で29回目の投稿で39編になりました。「シニアの風」は毎月発行している会報誌(笑楽日塾だより)の中の1部分で、塾生全員が輪番制。内容は自由で、自分の体験や趣味、思い、感じたこと、話したいこと等を書いています。

今回は塾生のK氏が「玄奘三蔵の霊骨を金亀山三学院に訪ねる~何故三学院なのか」と題し、「玄奘三蔵法師の霊骨が埼玉県蕨市のお寺に分骨された経緯」について書かれています。

この記事は2年半前の笑楽日塾だより2022年4月号に載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

約1400年前の669年、中国は西安の南方約20Kmの興教寺に遡る。

昭和17年12月、大日本帝国軍が南京を占領し、稲荷神社建立の為、小高い丘を整地した。その時、土の中から石棺が出てきた。駐屯していた高森部隊長の指揮で専門家に鑑定を依頼したところ、玄奘三蔵法師の霊骨と副葬品であることが判明した。これを受け時の中国政府は南京郊外の玄武山頂に五重塔を建設し、昭和19年10月10日、日本からは重光大使(終戦時調印式の外務大臣)が出席した。

この際に台湾と日本に分骨が行われ、同行していた日本仏教会会長倉持秀峰氏(第30世三学院住職)に贈られたのである。

日本へ帰国後、東京の芝増上寺に預けられたが、東京大空襲で危険になったので、一時埼玉県蕨町の三学院金亀舎利塔内にある、水晶の壺の中に安置された。又、仏縁により遠く台湾の景勝地である、台中明譚玄奘寺に対して三学院第30代住職倉持秀峰の分骨を共に奉安されている。そして、昭和25年3月20日、埼玉県岩槻市慈恩寺へ分骨、日本玄奘三蔵法師霊骨塔に安置された。大雁霊骨塔は13重15mに及ぶ石組みといわれる。毎年5月5日の子供の日には1kmに及ぶ行列のお祭りが開催されている。

玄奘三蔵法師 天竺への旅

26才の秋、ボロをまとった飢民にまじり、国法を破り長安を離れた。

7世紀はじめ、たった一人で中国からインドへと赴いた。西遊記に出てくる孫悟空猪八戒沙悟浄は虚構である。

一年後、パミールを越えアフガニスタン経由インドへ。一年滞在し地理地形、地質、気象等地理学を細かく習得し記録して、山のような経典と仏像を持ち帰り、経典を翻訳した。

同時に、当時のインドの貴重なヒンズー教等の資料も持ち帰った。また、インドのデリー、聖なる大河ガンジス河、ヒマラヤ奥地、インドの秘境、仏教王国ラダック(別名チベット、峠を越えた国という意味)、タラス古戦場、山の国キルギス、天山南・北道、などの貴重な資料を残している。

 

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

 

歴史の「乱」

「シニアの風」も今回で28回目の投稿で38編になりました。「シニアの風」は毎月発行している会報誌(笑楽日塾だより)の中の1部分で、塾生全員が輪番制。内容は自由で、自分の体験や趣味、思い、感じたこと、話したいこと等を書いています。

今回は塾生のS氏が「歴史の「乱」」と題し、「朝廷や公家・武士たちが天下取り合戦を繰り返した戦国時代の乱」について書かれています。

この記事は2年半前の笑楽日塾だより2022年3月号に載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

日本の歴史上に「乱」として刻まれる、飛鳥時代(592-710)から室町時代(1336-1573)までの主な「乱」を列記するならば、壬申の乱(西暦672)、平将門の乱(935)、平忠常の乱(1028)、保元の乱(1156)、平治の乱(1159)、治承・寿永の乱源平合戦-1180)、承久の乱(1221)、応仁の乱(1467)が挙げられる。

・「壬申の乱」は、天智天皇中大兄皇子)が崩御され、その皇子「大友皇子」と天智天皇の弟の大海人皇子との皇位継承の争いが始まり、大海人皇子が勝利し、天武天皇への誕生の物語。

・「平将門の乱」は、「新皇」を名乗り上げた将門討伐物語で、朝廷から派遣され朱雀天皇の勅命を賜った「寛朝大僧正」の祈祷により討伐成功と成田山新勝寺創建の物語でもあります。

・「平忠常の乱」は上総・下総を我物とし安房をも傘下に治め、朝廷への年貢納め拒否をし続け、それをまた、朝廷から派遣され鎮圧した「源頼義」の「鎌倉」を本拠とした物語。頼義は戦勝の記念として、京の石清水八幡宮八幡神を勧請し「由比八幡宮」を建立。後に源頼朝は北山の地に「鶴岡八幡宮」として遷宮した。

・「保元の乱」は、天皇家皇位継承の争いから、軍事貴族平氏の総帥平清盛と源氏の棟梁源義朝が「後白河天皇」に協力し、「崇徳上皇」を皇位の継承から外し讃岐に流罪としてしまう事件。この時点から、政治の世界に「武士の世」が抬頭してくるのです。

・「平治の乱」は力を付けた「清盛」と「義朝」が「後白河上皇」と「二条天皇」を拝戴する争いです。そこへ藤原摂関家の内紛も絡み合い、結果は「平清盛」の天下を創出し、「源義朝」は敗死。源氏の棟梁を継いだ「源頼朝」は伊豆蛭ヶ小島へ20年間の流人生活となる物語。

・「治承・寿永の乱源平合戦)」は、言わずもがなの「源頼朝」が「平氏」を圧倒し壊滅に追い込んでしまい、日本で初めての「武家政権」を確立した物語。

・「承久の乱」は「源実朝」が暗殺され、頼朝から数えて30年間の源氏将軍は途絶え、このチャンスを朝廷の「後鳥羽上皇」は政権を取り戻すべく戦いを鎌倉幕府に仕掛ける。結果は「北条義時」が率いる鎌倉幕府の勝利となり、時の「後鳥羽上皇」を隠岐の島、「順徳上皇」を佐渡、「土御門上皇」は阿波へと追放する日本で初めての武士が天皇家に逆らった「乱」である。

・「応仁の乱」は、足利義政日野富子の政治を取り仕切る、細川家と山名家が争う物語。この時、武蔵国は「享徳の乱」の真っ最中で、これを鎮めるため京から「足利政知」の補佐役として「渋川義鏡」が関東探題として下向してきた。そして、太田道灌とも歌詠みの世界で繋がり連携し活躍していくのです。

その時に臣従してきた家臣団の子孫が現在の「蕨市」の基礎を創って行くのです。

以上、飛鳥時代から室町時代までの「歴史の乱」の概略を書きましたが、その一項目毎の歴史物語が歴史学者の先生や作家の先生方に書かれています。それぞれの先生方により、切り口が違うところが、また、興味を誘うところです。まだまだ、日本の歴史にはこれからもチャレンジし自分なりの歴史観蕨市の歴史と照らし合わせ、知識を養っていこうと考えています。

 

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

 

地球温暖化と自然災害

今年の夏は真夏日猛暑日のオンパレード。昨今のお天気ニュースでは「真夏日は9月一杯続く」とか。暑い日が続いていますので、今回も前回に続き地球温暖化問題です。

地球温暖化がすすむと気候が変わり、雷の落ちる回数を増やすと言われています。世界の平均気温が1度上昇するごとに落雷が約12%増加し、仮に2100年までに気温が4℃上がると、落雷の回数は1.5倍になるとの説も。

関東ではこの夏、いつもの年よりも雷が多く発生しています。埼玉県の南部に位置する我が家には雷の直撃こそありませんでしたが、落雷によりテレビから画像が消えたことも数回。

雷について調べたら、6月26日が「雷記念日」だそうです。雷にも記念日があったんですね。初めて知りました。『930年(延長8年)6月26日平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫が亡くなった。これが菅原道真をおとしいれて大宰府に左遷させた藤原一族に対し、菅原道真の祟りだと信じられるようになり、その後、菅原道真は雷の神・天神と呼ばれるようになった』とのこと。

地球温暖化は台風が大型化して大きな水害の頻発や、落雷が増えて山火事等自然災害が増えます。笑楽日塾では「笑楽日塾だより2021年11月号」の塾長挨拶に、地球温暖化問題を【真鍋博ノーベル賞受賞と笑楽日塾での学び】と題して書かれています。以下にご紹介しますが、この記事は3年前笑楽日塾だよりに載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

日本では、近年、大きな水害が毎年発生する、毎年やってくる台風が大型化している、地球上で山火事や大干ばつが起きているこれらの現実をみていると、その原因は何か、それは温暖化が原因だと言われてきました。

私は白状しますと、「地球温暖化の原因が二酸化炭素である。だからこれを削減しなければならない」という事が理解出来ませんでした。

笑楽日塾では、2年前から、地球環境改善やSDGsの勉強を始めました。ちょうど今から2年前に埼玉県環境アドバイザーの前田則義様にご講演頂きました。

前田様には今年9月9日にも、このオンライン講座で「環境にやさしい緑のカーテン」という地球温暖化への庶民サイドの取り組みについて講演して頂きました。この様子は10月1日から7日まで蕨ケーブルビジョン株式会社がWink特別番組で放送して下さいましたので、多くの市民が視聴されたことと存じます。そのような事があって、私も地球温暖化へ理解が少し進んでいたところです。

そして2021年10月5日真鍋博士のノーベル賞受賞が発表され、日本中が湧きました。地球温暖化研究が認められたのです。

気温、気圧、風向きなど大気中の複雑な現象を物理法則に基づいて数式で示し、コンピューターで計算する方法を編み出されました。二酸化炭素などが温暖化を引き起す事を否定する科学者や大統領(パリ協定から脱退した)もいましたが。

真鍋博士へのノーベル賞が発表され、私たち笑楽日塾が地道に取り組んできた勉強会は無駄ではなかった、真鍋博士の研究成果を新聞で読んで、私も少し勉強しておいて良かったと思いました。

真鍋さんは「二酸化炭素の濃度が2倍になれば、地表付近の温度が2℃以上上がる」とする論文を1967年に発表しました。54年前でした。

「太陽から届くエネルギーと地球からの放出のバランスを計算すると、地上の温度はマイナス18度℃となる。我々が暮らせるのは温暖化効果ガスのおかげだ。大気が熱の放出を防ぐことで、地球全体の気温が上がる、それが温室効果」。

地球は太陽の熱を受けて温められる一方、たまった熱は赤外線として宇宙に放出される」。

そのような理屈も理解出来るようになりました。

温暖化対策の世界ルール「パリ協定(COP25)」は産業革命前からの気温上昇を1.5℃に押さえる努力目標を掲げ、2020年から本格的に始動しました。2050年までに温室効果ガス(二酸化炭素・メタンガス・フロンガス)を実質ゼロにしなければならないと言う事が私にもようやく分かってきました。

以上

 

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台風10号

大型の迷走台風10号(サンサン)は日本全国に迷惑をかけながら9月1日に熱帯低気圧に変わりました。しかし、その後も「熱帯低気圧に変わっても大気の非常に不安定な状態が続き、局地的に非常に激しい雨が降る」と脅かされる始末。

台風迷走の1週間は突然に雨が降ったり止んだりで振り回されっぱなし。加えて突然の雷鳴は怖いからやめて欲しいもの。埼玉県南部の我が家は今回台風の中心から離れていたため、直接的な被害はありませんでした。しかし、長雨は気が滅入ってしまいます。

台風による被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。

 

日本の気候は地球温暖化の影響で温帯から亜熱帯に変わったとの説があります。台風が発生する場所が以前より北上して日本の本土に近づき、迷走する場所も同様に北上して日本に近くなる。台風が迷走すると停滞する時間が長くなり雨による被害が増えるとのこと。

温暖化が進むと未来の地球が心配になります。

笑楽日塾では2019年10月6日に「私達の暮らしと地球温暖化」と題し、市民を対象にした公開講座を開催しました。昨今の台風は巨大化・凶暴化しているため、この講座の内容が如何に大切なものだったのかと改めて思い知らされました。

この時の講座は2021年12月8日から8回に渡ってブログにも取り上げていますが、近頃の台風被害状況から事の重要性に鑑み再度ご紹介します。なお、この記事は5年前に行われた公開講座の内容です。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

第1回投稿分

第2回投稿分

第3回投稿分

第4回投稿分

第5回投稿分

第6回投稿分

第7回投稿分

第8回投稿分

 

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

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シニアの風㉗マンション管理について

「シニアの風」も今回で27回目の投稿で37編目になりました。「シニアの風」は毎月発行している会報誌(笑楽日塾だより)の中の1部分で、塾生全員が輪番制。内容は自由で、自分の体験や趣味、思い、感じたこと、話したいこと等を書いて掲載しています。

今回は1級建築士マンション管理士の資格をお持ちのA氏が「マンション管理について」と題し、ご自身の体験について書かれています。

この記事は2年半前の笑楽日塾だより2021年12月号に載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

先般、私の顧問先のマンション管理組合の理事長(30代後半)から「Aさん、後継者を育てていますか? 30年の長期修繕計画も大事ですが、10年先が心配です。貴方の後を引き継ぐ方がいるのですか?・・・」と言われました。其処で同マンションの通常総会議案書の末尾に以下の報告を記述することになりました。

大規模修繕工事費予算について、長期修繕計画では令和3年度に実施計画としていましたが・・・略・・・今後は計画進捗に伴いその都度、一般区分所有者には情報を開示していきますので、ご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

*外部理事(顧問マンション管理士)の後継者について

マンション管理組合は規約の定めに基づき、総会にて「A顧問マンション管理士」が外部理事として管理組合の運営に関与しています。今般、長期修繕計画から当マンションは大規模修繕工事等の実施を計画しており、組合員の皆様には、より一層のご支援、ご協力、ご意見をいただくことになります。此れらの事業の遂行が当マンション管理組合にとっては大きな節目になります。現在、管理組合(区分所有者)としては引き続き当マンションの運営と事業継続を課せられております。特に建物の高齢化、区分所有者の高齢化の「二つの老い」による管理組合の適切な管理運営は年々厳しくなると想定され、今後も専門家の支援、助言は必要とされます。依って、管理組合としては「A顧問マンション管理士」が後継者への事業の停滞なきように事業継続の方策、方針を鑑みて管理運営の継承を要望しています。

マンション管理士の業務の定めはマンション管理適正法の第二条第五号に、「名称を用いて、専門的知識をもって、管理組合の運営その他マンションの管理に関し、管理組合の管理者又はマンションの区分所有者等の相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うことを業務とする者をいう」と定義されています。此れはマンション管理士には名称独占の資格は与えているが、業務独占の優位性は与えてはいないのです。即ちマンション管理士業とは「絶対的な信頼関係の基盤の上に成り立っている」と言っても過言ではない業務とも言えます。

マンション管理士の業務に人的な継続性は希薄に成りがちで、顧問先のマンション管理組合に其の業務をセフティゾーン内で指名した後継者にバトンタッチをする事は難しいと困惑しています。また独占業務が担保されている業種ではありません。故にその業務契約は、一般法人・NPO法人・連合体(グループ)・個人事務所と受託形態は様々です。然し組織としてマンション管理組合と業務を受託契約しているケースは少なく、実状は、個人の品格、品位、資質、力量、信頼性、その他等に委ねられて受託契約を締結している割合が一般的と言っても良いでしょう。マンション管理士だけでは有りませんが兎角、専門的有資格者には「お山の大将」的な自意識の強い方が多いと感じられます。その事は、私自身も同様であると自覚しています。更に私が知るマンション管理士の仲間を見ると、その方が経験してきた業界の特異性はあまり関係無く、経験した職域、職責、が色濃く滲み出てくるように感じます。(笑)

私の父は大工で戦前の丁稚奉公から一人前となり独り立ちした職人ですが、職人気質と言われている偏屈な頑固親父では無く。「男子厨房に入る。妻を愛でて大事にする。妻の言う事(我儘)を優先する。朝夕の食事はうまからずとも褒めて食うべし。」と広言する一見捌けている風な性格です。然し此れを隠れ蓑に私が子供の頃は、大宮~川口~池袋~韓国~台湾~と遊遊散歩していました。我が家は裕福ではありませんでしたが、貧しくも無く、何方かというと良い暮らしをしていたと子供心には映りました。確かに父は他人様の数倍も働き稼いだ事は間違いありませんが、あの仕事と遊びに掛けるバイタリティーは足元にも及びません。そしてそれらを全て受け止めた母も凄い女性でした。そんな家庭環境に育った私には、マンション管理士の仲間を見ると歯痒い思いがします。

「Aは建築士の資格を優位に業務受注している。管理組合に媚びている。マンション管理士の業務を商売としか考えていない。」その他諸々と言われます。然しその様な事を言う人ほど「棚から牡丹餅」を考えていながら、何らの準備も周到な計画して用意もしていません。棚から落ちてきた牡丹餅を受ける手段も無く、棚から牡丹餅を落とす工夫もしていないのです。又、その方達は此方から業務の手伝いを依頼すると「経験したことが無いから難しい」と言うのです。「何時?経験するの」と思いますが、一寸躊躇してしまいます。旧連合艦隊司令長官山本五十六の名言が過ります。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」としても社会の経験を積んだマンション管理士の仲間に掛ける言葉が見つからない日々です。

 

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シニアの風㉘「わらびの散歩」

「シニアの風」も今回で28回目の投稿で38編目になりました。「シニアの風」は毎月発行している会報誌(笑楽日塾だより)の中の1部分で、塾生全員が輪番制の投稿文。内容は自由。自分の趣味や思い、感じたこと、話したいこと等を自由に書いていただき掲載しています。

今回当番のM氏が「わらびの散歩」と題し、蕨市北町の「彫刻のある通り」、錦町の「春日神社」、南町の「大荒田交通公園の蒸気機関車」について書かれています。

この記事は2年半前の笑楽日塾だより2022年2月号に載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

 

蕨市のサイトでウォーキングマップを見つけました。

ウォーキングマップ:蕨市公式ウェブサイト

 

中央地区に住んでいるので、たまにはと北町エリアを歩いてみました。

マップの「彫刻のある通り」が気になり行ってみました。

市民病院の裏側の通りで、可愛い彫刻がポツポツと置かれています。

楽園と書かれたマナティみたいなモニュメントがありましたが、無残にもペンキがかけられていました。軽い遊びでかけたのでしょうか?

みんなのものを平気で汚す心が寂しそうで可哀想にさえ思えます。

やっぱり爺になったのかなぁ・・・

 

田中毅さんの作品に癒やされます。

西小学校近くの春日公園にも田中毅さんのモニュメント「平和を愛して」があるそうです。

この案内に沿って散策してみます

 

もう一つの話題は、大荒田交通公園で見かけた蒸気機関車です。

以前見たときは凜々しかったのですが、10月中旬に訪れたとき、草が繁り、水タンク辺りのサビが悲しくなり、蕨のFacebookに写真を投稿してしまいました。

暫くしたら、草むしり実施が掲載されたので、端っこでお手伝い。

天気に恵まれ爽やかな一日でした。

会員の皆さんが錆を仮補修とお化粧を施され、綺麗になりました。

本格清掃・塗装ができたらいいですね。

 

記事に書かれていた「彫刻のある通り」の、ペンキで汚れたモニュメントの題名は「楽園」で、1992年下川昭宣氏の作品です。この汚れた状況を危惧された方がおられ、時を置かずに綺麗に蘇らせてくださいました。

大荒田交通公園に錆だらけで放置されていた蒸気機関車(C11―304号機)は、地元の有志による団体「わらてつ倶楽部(大荒田交通公園SLの整備および周辺の清掃を行うことで、公園を利用する子どもたち・市民へのSL保存の意義および環境整備意識の啓発を図るとともに、産業遺産としてのSLの意義、蕨との関わりの啓発を図る。)」の皆さんのご尽力によりにより修理・再塗装され、前照灯も点灯し、汽笛も鳴るようになり、鉄の塊から立派なSLに生まれ変わっています。

「大荒田交通公園」は子どもたちが交通ルールを楽しみながら学べる公園で、蕨の子どもにとっては自転車の練習をする公園としてもおなじみです。春には桜が咲きお花見もできる園内には交通信号やSLを絡めた踏切など、子供たちが交通のルールを学べる公園でもあります。

 

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シニアの風㉗「喉トレ、脳トレ」

「シニアの風」も今回で27回目の投稿で37編目になりました。「シニアの風」は毎月発行している会報誌(笑楽日塾だより)の中の1部分で、塾生全員が輪番制の投稿文。内容は自由。自分の趣味や思い、感じたこと、話したいこと等を書いていただき掲載しています。

今回当番のT氏が「喉トレ、脳トレ」と題し、ボイストレーニングについて書かれています。

この記事は2年半前の笑楽日塾だより2022年1月号に載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

「喉トレ、脳トレ

アエイウエオアオ  オアオエウイエア

カケキクケコカコ  コカコケクキケカ

丹田(たんでん)に力を込めて

サセシス・・・・  ソサソセ・・・・  ・・・・・・・・

 

更に濁音の

ガゲギグゲゴガゴ  ゴガゴゲグギゲガ

ザゼジズゼゾザゾ  ゾザゾゼズジゼザ

・・・・・・・・

 

この先さらに鼻濁音の

ンガ、ンゲ、ンギ、ング、ンゲ、ンゴ、ンガ、ンゴ

ンゴ、ンガ、ンゴ、ンゲ、ング、ンギ、ンゲ、ンガ。

 

以上がボイストレーニングの教材ですが、可能な限り暗記しながら行えば、喉トレ、脳トレに役立ちます。

 

注)鼻濁音:「が、ぎ、ぐ、げ、ご」のガ行の音を「んが、んぎ、んぐ、んげ、んご」というふうに、鼻の方へ抜いた発声法。

 

(参考資料) http://www.j-trc・org/ja/welcome

認知症予防薬の開発をめざすインターネット登録研究

 

脳も喉もトレーニングが必要なんですね。「最近はむせるようになったとか、せき込むようにもなったとか。」このような症状を自覚するようになったら喉の筋力が弱くなった証。「人の名前を思い出せないとか、物事に集中できないとか。」このような場合はそろそろ脳を鍛えなければならない。というサインだそうです。

「そんなものは他人ごとであって、自分はまだまだ大丈夫。」と思いたいものです。脳も喉も加齢とともに衰えますので、長く付き合うためにはトレーニングで鍛えましょう。

 

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第72回 蕨機まつり

夏の蕨には大小さまざまな祭が沢山ありますが、中でも「わらび機(はた)まつり」は一番大きな祭です。コロナ禍を経て今年から8月第1週の金曜日~日曜日までの3日間固定に変更され、8月2日(金)~4日(日)の3日間で開催されました。コロナ過の3年間は中止になりましたが、満を持して昨年から再開したもの。開催に当たりご苦労された皆様に感謝です。

 

蕨の機まつりと高橋新五郎。

蕨の織物業の始まりは江戸時代後期まで遡り、昭和30年代頃まで盛んに行われて地域の繁栄に大きく貢献しています。江戸時代の蕨は、中山道沿いの街並みを一歩外に出ると水田や畑の広がる農村地帯でした。農家の人々が畑の一部に裏作として綿を栽培し、その実から綿を取って布団の綿にしたり糸を紡いで衣服を作ったりしていたのです。

塚越の高橋家では、蕨の綿織物業の基礎を築いた二代目新五郎の代になってから本格的に綿織物業を営むようになります。当時の資料を見ますと少し不思議な話ではありますが、文政9年(1826年)旧暦の7月7日(新暦の8月7日)の夜、二代目新五郎が眠っていると夢の中に神様(関東大権現)があらわれ、『高機渡世を営むべし』とのお告げをされたそうです。このお告げに従って二代目新五郎は織物業を始めたと伝えられています(高橋家では代々関東大権現=徳川家康を信仰しており敷地内にお祀りしていた。高機とは織物を織る機織機のこと)。

これまでは農家が個々に綿を植えて収穫し、自分の所で綿織物を織っていましたが、二代目新五郎は自宅の敷地内に高機を120台、糸を染める藍甕(あいがめ)を300本備え、織物工場機屋を大々的に作ったのです。工場で大量生産をしたことにより商品を安く売ることができ、蕨の織物業は一大産業になりました。

工場は近隣の人々に働き口を与えて労働の対価として給料も支払われるようになり、農業以外の収入源を地域の人々にもたらしました。

また高橋家の成功を目の当たりにした経済的に裕福な人達が織物業を習って始めるようになり、周辺の地域でも織物業が大変盛んに行われたことが、その後の蕨発展の礎となりました。

本来の機まつりは二代目新五郎の夢の中に神様(関東大権現)が現れて、『高機渡世を営むべし』とのお告 げになった8月7日に、機神社で蕨の産業の発展を願ってお参りをする行事であり、今日まで絶えることなく続いています。

蕨の綿織物業の基礎を築いた二代目新五郎が亡くなった後、人々がその功績をたたえて塚越神社の末社機神社に妻のいせと共に機神様(はたがみさま)として祀りました。

 

蕨駅西口の機まつり。

現在蕨駅西口の商店街で行われている「機まつり」は二代目高橋新五郎と大変深い係わりがあります。織物業もちろん蕨の産業の更なる発展を願って昭和26年から行われるようになり、その後、昭和28年には七夕装飾コンクールを実施し、現在では「機織りの町わらび」の伝統を大切に守る蕨の観光事業になりました。

蕨駅西口から旧中山道までの商店街約1kmが、蕨市最大のお祭り「わらび機(はた)まつり」の会場で、この間では大きなものから個性的なものまで様々な七夕の装飾や、各種のイベントを楽しむことが出来ます。

先ずは蕨駅西口駅前のロータリーで市民参加のあおぞらライブ等、演奏系特設ステージ「スターライトステージ」が皆様を迎えてくれます。

商店街を旧中山道方面に向かうと、蕨市と「ふれあい交流協定」や「災害時における相互応援協定」を締結している群馬県片品村の「農産物直売所」。蕨らしさを有した優れた逸品「蕨ブランド認定品ブース」。8月3日夕方のみですが、一般参加者大歓迎「手おどり」の大行進。保育園で作られた「笹飾り」の展示。ダンスやパフォーマンスが楽しめる、ふるさと蕨・みんなで楽しむ発表会「織姫広場」。小学校で作られた 「七夕竹飾り」の展示が楽しめます。

会場の商店街約1kmは華やかな箱飾りで彩られ、両側の屋台では楽しそうなゲームや美味しそうな食べ物がいっぱい。蕨の夏の風物詩「蕨の機まつり」、暑い暑い8月の3日間でした。

 

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