笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

初めてお読みになられる方へ

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笑楽日塾とは 埼玉県南部に位置し、全国の市の中で最も面積が狭く、人口密度は全国の市町村で最も高い蕨市で活動する『就労からリタイアした、又はリタイア間近な男の集団』です。

タイトルは『笑楽日塾の事件簿』などと大層な名前を付けましたが、殺人事件は起きませんし名探偵も登場しません。埼玉県と蕨市を愛してやまない管理人が笑楽日塾の活動を前後の脈絡なく淡々と綴る備忘録もどきのもので、タイトルはミステリー好きな管理人の単なる気まぐれですので気楽にお付き合いください。

当ブログは笑楽日塾の活動を現在と過去に行ったり来たりしながら脈絡なく書きなぐりますが、個人情報保護重視の観点から多少理解し難いことがあるかもしれません。ご承知おきください。

また、多くのリタイアされた男性やリタイア間近の方に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで、社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

なお、毎週水曜日の更新を予定していますので、お手すきの時にでもお立ち寄りください。なお、詳細につきましては下記「初回のご挨拶」をご覧ください。

                    2021年01月19日    

≪ 重 要 ≫

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

蕨の庚申塔(1) 

笑楽日塾ではコロナ過でも欠かすことなく毎月1回のペースでオンライン塾会を開催しています。それでは、オンラインで何をしているのか。答えは、塾生が交代で講師役を務め、ご自身のお考えや蓄積された知識を披露してくださっていることです。11月10日(木)は少々マニアックネタではありましたが「庚申待や庚申塔青面金剛」についての話がありました。

当人曰く、『8年前にひょんなことから庚申塔に出会ってしまい、身近なところで蕨の庚申塔を調べてみることにしました。調べるといっても既に先人たちが調べ尽くして、ネット上に様々な情報を公開していましたので、芭蕉が歌枕を探しに西行の後を辿った旅を気取り、市内をうろうろしただけでしたが。

また、ほとんどの庚申塔は見つけ易いところにあったため探すのに大して苦労はしなかったのですが、石塔に彫られている漢字は読み方が難しいのに加え風化が進み意味不明。ものによっては梵字まで登場する始末で、せっかく見つけても庚申塔の知識がないため「見つかった。良かった。」でおしまい。

8年後の今、またまたひょんなことから塾会で話すことになり、市内の庚申塔巡りをしながら急遽にわか勉強をおこなった。』とか。

今回はこの時の塾会報告を書いてみます。

≪庚申待ちと庚申の日≫

庚申待ちは江戸時代に全国津々浦々に広まり隆盛を誇った庶民信仰です。庚申の日に信仰する人々が一堂に集まり、夜通しでお祈りをしたり飲食に興じながら語り明かします。要するに一晩中起きていることが大事なのです。

道教では『人の体内に三匹の虫「三尸虫(さんしちゅう)」が棲んでいる』といわれています。この三尸虫は「人々が他人に知られたくないために隠している過去を知ることが出来、六十日毎に廻ってくる庚申の夜に、人が眠ると身体から抜け出して天に昇ります。その知られたくない過去の罪悪を天帝に告げることにより人々の生命が縮まると信じられていました。一説では、「犯した罪悪が天帝に知られなければ125歳まで生きられる」といわれる、人間本来の寿命を全うできないのは人の体内に棲んでいる三尸のせいで、常罪を監視しており、庚申の晩に隙を見て天に昇り天帝にその罪を報告するためです。

しかし、庚申の夜に寝なければ、三尸は体内から出ることができず、天に昇ることもない。したがって、庚申の日に身を謹んで徹夜をすれば、早死にを免れて長生きができるとされたことから始まったのが「庚申の日」に行われる「庚申待(こうしんまち)」という行事です。

そもそも庚申待ちという行事は一人で静かに夜明けを待っていたのですが、「講を作って大勢集まった方が楽しく起きていられる」ということで、幹事を決めて行うようになりました。

また、講を60回(10年間)連続して行ったときには、所願成就を記念して「庚申塔」や「庚申塚」が建てられました。

しかし、盛んだった庚申信仰も時代を経るにつれ次第に忘れられるようになっていきましたが、親睦会という形に変えて人々の集まりが続いている地域もあるようです。

今年も年末が近づいてきましたので、年賀状を書く時に来年の干支を確認される方も多いことと思います。

日本では「干支」を「えと」と言って、十二支『子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)、~』のことを示す場合が多いのですが、本来「干支(かんし)」は「十干(じっかん)」の『甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)~』と「十二支(じゅうにし)」を組み合わせた言葉になります。

表のように十干と十二支を組み合わせると60通りの組み合わせが出来ますので、庚申の年は60年毎に回ってきます。また、庚申の日は60日ごとに回ってきますので基本的に1年間6日ありますが、端数が出る関係で年7日の年や年5日の年ができます。これらは、七日庚申とか五日庚申と言われ、7日庚申の年は豊作になり、5日庚申の年は凶作になると信じられていました。

庚申(音読み=こうしん)(訓読み=かのえさる)の年は表でもお分かりのように、干支の組み合わせでいうところの57番目で、最近といってもかなり以前ですが1980年が庚申の年に当たり、次回は2040年とのことでした。

ちなみに、今年(2022年)は39番目の「壬寅(音読み=じんいん)(訓読み=みずのえ・とら)」になります。

以上、庚申待ちと庚申の日をご紹介しましたが、三尸と天帝の関係などは中々ユニークな思考で、このユニークな信仰・ユニークな行事から、昔の人は生活の中に上手く信仰を取り入れて楽しんでいたのではないかと感じています。次回は庚申塔について考えてみます。

22日に5回目のワクチン接種(オミクロン株対応2価ワクチン)を行ってきました。翌23日には体温が少々上がったものの(0.8℃程度)他には特に異常なく済んだので一安堵。これから先あと何回接種することになるのかと考えると少々憂鬱になります。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

笑楽日塾塾生の輪

笑楽日塾ではコロナ過でも欠かすことなく毎月1回のペースでオンライン塾会を開催しています。また、塾会の他にもメンバー各自の近況やら最近感じていることなどを、メールでやり取りしてスキルアップに努めています。趣味の紹介や子供の頃の思い出・参加するイベントを紹介など。

先日は私が男の料理「中国の田舎の鍋料理ピェンロー」のことをメール発信しましたので、今日はそのことを書いてみます。

その時送信したメールの内容です。

『先日家内が「帰りは遅くなる」と言って出かけてしまい、久しぶりに私が晩御飯を作ることになりました。

私が作ったものは、舞台美術家でエッセイストの妹尾河童氏が日本に広めたと言われる、ピェンロー(ペンロウという方もおられます)という中国の田舎料理で、とにかく白菜をいっぱい食べる鍋料理です。

20年以上前になりますが、当時仕事のお付き合いで仲良くさせていただいたお得意先の担当者様から「男の料理」として教えていただきました。

最近はスーパーなどで鍋用の美味しいスープが売られていますので、これ等を使えば間違いのないものができると思いますが、素朴で飽きの来ない味のピェンローも捨てがたいものです。

笑楽日塾の記念誌(毎年4月に発行している)のネタにしようかとも思いましたが、それだと鍋のシーズンが終わってしまうので本日(16日)ご紹介します。作り方や食べ方は添付資料に詳細が書かれていますのでご覧ください。(添付資料は「河童のスケッチブック」の中からピェンローの部分を抜粋したものです)。

私の場合は添付資料をアレンジして調理方法を簡略化し、乾燥シイタケの代わりに「ほんだし」や「いりこだし」等を使ってみたり、昆布も顆粒のものを使ったりしています。

取り皿の中で自分の味を作るため塩分摂取が多くなりがちですが、気を付けて他の調味料でカバーしましょう。二人で食べても大勢で食べても美味しいですよ。』

メールにはこのようなことを書き、添付資料には下記の河童のスケッチブックを紹介しました。

以下は「文芸春秋 妹尾河童 著 河童のスケッチブック」の冒頭部分抜粋です。

『扁炉(ピェンロー)』

冬になると、何人もの友人たちから、

「寒くなりましたね」

と電話がかかってくる。日ごろ季節の挨拶などするはずのない奴が、わざわざ電話をかけてくるのだから、その魂胆はすぐにバレる。

それは我が家の「ピェンロー」と呼ぶ鍋料理を食べさせろ、という催促である。この前の冬も、一週間に客が入れ替わり立ち替わりで、なんと三回も作らされたことがあった。でも飽きないから不思議だ。我が家に出入りしている連中の人気投票では、この鍋は常に第一位で、その座を三十数年間も守りつづけている。

以上「文芸春秋 妹尾河童 著 河童のスケッチブック」より「ピェンロー」の冒頭部分を引用させていただきました。これだけでも河童氏の周囲では以前から「ピェンロー」が、大変な人気だったということがお分かりになると思います。

ピェンロー鍋はdancyu他、様々な雑誌などでも紹介されており、今では知名度もかなり高いものになっていると思います。私も20人位の方にお教えしていますので多少は貢献しているかも。しかし、存在を知らしめた元祖はやはり妹尾河童氏の「河童のスケッチブック」でしょう。

この鍋料理「ピェンロー」のレシピや召し上がり方は、大勢の方が様々な方法をネット上に紹介していますので省きますが、興味を持たれた方は「河童のスケッチブック ピェンローで検索してみてください。この中からご自分に合ったものを選び、作り方や食べ方を参考にしてお試しになられては如何でしょうか。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

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会報誌「笑楽日塾だより」シニアの風⑮

2022年11月9日投稿分「笑楽日塾だより シニアの風⑭」の続きで15回目になります。


シニアの風も今回で15回目の投稿で25編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々な思いを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回のコラムはご自身の日常を何気ない毎日を考えると題して書かれています。このコラムに皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

なお、この記事は2020年9月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

「何気ない毎日を考える」

新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出をシニアは特に感染しないように、毎日に気を使って、我慢して生活しています。人と接したり、外出したりと楽しかった日がいつ戻るのでしょうか?

そして、なんとなく過ぎて行く毎日は皆、平等に訪れ、そして去っていきます。

とても良い1日であったり、悪い日であることもあり、日常はするりと過ぎ去るからこそ日常です。

でも、その中から「角度を変えて見つめなおす、見えないものと向き合う」事によって「小さな幸せ」を見出すことができるのではないでしょうか?

では、日常に隠れた「幸せ」とはなんでしょうか。

当たり前の毎日は、するっと過ぎて特にとりたてて幸せだと感じることはないと思うかもしれない。

日常はあくまでも日常。そこから幸せを見つけるには、自分の日常を細かくくだいて「探す」ことが、必要なのではないでしょうか。

私が「小さな幸せ(ささやかな幸せ)」を感じる瞬間

・毎日が平和で生きられること

・気の置けない仲間と会話、飲食するとき

・美味しいものや、甘いものなどを食べたとき

・家族団らんで過ごしているとき

・子ども(孫)と遊んでいるとき

・布団に入って寝る瞬間に感じるとき

・お風呂にゆっくりと浸かったとき

・旅行やレジャーなどに仲間と出かけたとき

・晩酌をしているとき

・青空の広がった晴天を見たとき

・夏の青い空に浮かぶ入道雲をぼんやり観ているとき

・夕焼けや夜空に浮かぶ月や星々を観ているとき

・道端や庭に咲く花々を観るとき

等々、大したお金をかけるものは何もない。

しかし、「小さな幸せ」と感じることも、もしそれが出来ない状況(病気、入院など)になればなんとしても手に入れたい「大きな幸せ」になり得るものばかり。布団で眠ること、お風呂に入ることなど、本当は大きな幸せなのかもしれない。見えないものに思いを馳せると「幸せ」を感じる。

毎年、花が咲くことや季節によって吹く風が違うことを、大人になると当たり前と捉えてしまいがち、青空や夕焼けも綺麗だと感じる日常の1つにすぎない。でもそこには自然の大きな力が働いていて、そう思って観ると、美しいものが実は自分の周りにたくさん溢れていて、お金では買えない自然の美しさや四季を感じられることは、最近では小さいとは言い難い「幸せ」かもしれないと感じています。

会社に勤めていた時は「企業戦士」として活躍していた私も、年金生活者になったシニアは自分を誇示したり、他人と駆け引きをしたりをする必要は無くなりました。今もそれをしているとしたら考えを改める必要があると私は考えます。そんな事をする必要がどこにあるのでしょうか? 疲れるだけです。

人は亡くなる時は手になにも持って「あの世」には行けません。無一物です。そんな仏教的考えもこの頃は、浦和にあるお墓に関連している寺院で開催している仏教勉強会と称して少人数ですが、副住職を交えて仏教の話や仏陀の話などの法話を聞く時間を持つようになりました。これも何かのご縁だと思っています。

そして、この頃は鈍ってきた刃を研ぎ澄ます意味でも持っている感性を、いつまでも子どもであった時の「幼心」をシニアになっても忘れないようにしたいものだとも考えます。

以下は私の好きな格言です。

『「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない』= sense of wonder  Rachel Carson

「人間はじぶんの時間をどうするかは自分できめなくてはならない」 Michael Ende

                     以上

シニアの風の中から第24編「何気ない毎日を考える」をご紹介しました。

日常の一つの事がらである「小さな幸せ(ささやかな幸せ)」を感じる瞬間。素晴らしいですね。青い鳥は間違いなく身近なところにいることを信じましょう。

今年も季節は冬に向かって邁進中ですが、新型コロナの第8波やインフルエンザの流行が案じられています。ご用心、ご用心。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

「笑楽日塾だより」シニアの風⑭

2022年11月2日投稿分「笑楽日塾だより シニアの風⑬」の続きで14回目になります。

シニアの風も今回で14回目の投稿で24編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々な思いを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回のコラムは「お盆にふるさと帰省」を、新型コロナウイルス感染拡大と絡めて「8月に想う」と題して書かれています。皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

なお、この記事は2020年8月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

第24篇:「8月に想う

8月15日ご先祖様に挨拶しに車で1時間弱の実家へ行くべきか悶々として、実家へ電話したら、「何もないけど、今年も仏様を迎える準備をするから来ても良いよ」と。

実家へ行く前に、館林のインターチエンジ近くの91才の姉の家へ寄った。ここでも客間に大きな仏様飾りが設えてあった。そこから真言宗のお寺に挨拶してお墓参りし、実家の近くの74才の妹のところへ寄った。ここでも仏様飾りが客間に用意してあった。昼前に実家に着いた。両親の事や兄弟姉妹10人の状況を話すうちに、「昔はこんなに暑くなかったなー、こんなに暑くては昼寝も出来ないね」。昔は畑仕事が終わると両親は昼寝して3時頃まで休んだ。わたしは近くの川と沼へ泳ぎに行った。

暑さの原因は、地球温暖化だけではなく、子供の頃は家の周りや近所にも樹木が多かった。それが少なくなって日陰が少ない。近くにあった大きな沼(板倉沼)は、渡良瀬川を浚渫した泥を運んで埋め立てられ、工場団地になってしまった。沼があった頃は、今頃は蓮の花がいっぱい咲いていた。冬には白鳥がたくさん舞い降りていた。そのような景色はもう見ることが出来ない。

コロナで田舎へ行ってそんな思い出に浸っていた。ちょうど12時に戦没者追悼式が報じられて天皇のお言葉があった。「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たに致します」。続けて、今年は次のお言葉があった。

「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていく事を心から願います」。天皇のお言葉にコロナが出てきたのです。連日1,000人以上のコロナウイルス感染者が発生していますが、なんとしてもコロナウイルスに打ち勝って、戦後最悪のGDPの落ち込み(年率27.8%)を乗り切って行けるようにと8月15日に祈りました。        以上

シニアの風の中から第24編「8月に想う」をご紹介しました。 今年も季節は冬に向かって邁進中です。テレビでは「新型コロナの第7波がようやく収まってきたと思われるこのタイミングで、まもなく第8波が来る」と話をしています。本当に第8波は来るのでしょうか、来るとしたらいつ頃になるのでしょうか、それはどの程度の規模になるのでしょうか。そして、もしきたらどう備えるべきなのか。悩ましい問題です。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。


本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

会報誌「笑楽日塾だより」シニアの風⑬

2022年10月5日投稿分の「笑楽日塾だより シニアの風⑫」の続きで13回目になります。

シニアの風も今回で13回目の投稿で23編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々な思いを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回のコラムは「自死」という大変重たい問題を「ケ・セラ・セラで今を生きる」と題して書かれています。皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

なお、この記事は2020年7月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

第23篇:「ケ・セラ・セラで今を生きる」

7月下旬の4連休中は、昨日高校の同級生と千葉でゴルフをしてまいりました。今日と明日はこんな天気でもありますので、家でおとなしくしております。

最近考えさせられるのはやはり、死についてです。三浦春馬さんや筋ジストロフィーで、自殺幇助を依頼した女性など、コロナ禍のとはまた別の大きな問題となりそうです。日本では年間3万人弱の方が自ら命を断つと聞いたことがあります。最近のデータは調べておりませんが、単純に考えて毎日100人弱の方々が自殺していることになります。

日本人はよく真面目で几帳面で周りに迷惑をかけたくないと思ってしまう民族であると聞きます。私も総じてそう思います。自死を考えてしまう人って、自分がこの世からいなくなった方が世の中のためだとか、生きていてもなんにも役に立たないという気持ちから行動を起こしてしまう方が殆どではないかと思います。

一つ自分が申し上げたいのは、他人は自分のことで精一杯で自分以外の事は己の視点で深く何も考えず、思った事を口に出し仲間割れをしたり、せっかく巡り合った人達と別れたりしてしまいます。要は、他人はそんなに自分を見ていないし、関心も持っていないと言う事です。自分をよく見ているのは他でもない自分自身なのです。気まじめな本人は言われたことに対して気に病むことで時によって自殺という最悪な状況化に自分を追い詰めてしまいます。言った他人はそんなに深く考えて言った訳では無いのに。

せっかく、親から生まれてこの地球という素晴らしい水の惑星で自分の人生を磨くために生かされ、生まれてきたのにもったいないと思いますが、この頃は親が自分の身勝手で子供を置き去りにしてパチンコや旅行にいったり、虐待したりと昨今の子供は大変です。SNSもしかりです。見えない他人は平気で攻撃をかけてきます。私は、SNSなどは何が楽しいのか分かりませんがそんな時間があれば、もっと自分を磨くことに専念すれば人生は楽しいのにと思います。

そして私は幼い時から、自分自身が何をやりたいというよりも、周りの人達から変な人だと思われたくな いと思って生きてきました。盛岡といっても、首都圏に比べれば田舎ですから、やれ、あそこの誰それが何処の高校に入ったとか、何処の大学に入ったとかは、家族間でよく出る会話でした。そんな中で〇〇さんちの三番目は、大したことないねとは言われたくない一心で、スポーツや勉学にそれなりに取り組んで来ました。ここ、5年位でしょうか?そんな事を気にしてきた自分が、妙に馬鹿馬鹿しくなって来たのです。多分、周りの人達は私の事よりも自分自身が大切。(私自身もそう思っていたように。)ということに50歳を過ぎてようやく気づく事ができたのです。

死を思いついて実行してしまえば、それでおしまいです。何年か後に、あの時は馬鹿なこと考えていたと、振り返ることも出来ません。何でもかんでもその場で結論を出そうとするのも真面目で几帳面な人の特徴だと思います。私は、白黒をハッキリつけなくても良いのだ、もっといい意味で適当にやろうと、思えたときに本当に肩の荷がおりました。余り物事コン詰めて考えなくてもいい、ケ・セラ・セラで楽しく生きて行きたいと今心から思います!極論を言うと一番大切なのは「自分と家族」それ以外はあまり深く考えず、ケ・セラ・セラで「今を生きる」事が重要でしょうね。諸先輩方も何時までもお元気で、ご活躍下さいませ!!(塩梅よく。)              以上

以上、シニアの風の中から第23編「ケ・セラ・セラで今を生きる」をご紹介しました。縁あって両親から頂いた命ですからもっともっと大切にしたいものです。江戸時代の臨済宗古月派の禅僧で画家の仙厓義梵和尚が画いた絵には、柳の横に「気に入らぬ風もあろうに柳かな」と書いています。

また、多くの噺家さんが演じる古典落語「天災」の中で「気に入らぬ風もあろうに柳かな。むっとして帰れば門の柳かな。風の吹く方を後ろに柳かな。」「堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍。堪忍の袋を常に首に掛け、破れたら縫え、破れたら縫え。」と語っています。これも「ケ・セラ・セラ」に通じるものがあると思います。私はこの言葉が大好きです。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

三学院の仁王門

笑楽日塾ではコロナ禍の中でも毎月1回のオンライン塾会を欠かすことなく開催しており、何ともパワフルな高齢者集団ということがお分かりいただけることと思います。

三学院の記事も6回目になり今回は仁王門をご紹介します。また、このシリーズは全て塾会の中でも発表されており、塾生全員で共有をしています。塾会も今はまだオンラインによるモニターでの顔合わせですが、盃を酌み交わす塾会が早く来ることを願ってやまない日々です。

≪仁王門≫

仁王門とは金剛力士像(仁王像)を安置してある社寺の門のことで、門の左右には阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)の仁王様が一対で寺院の境内を守るために安置されています。

三学院の仁王門は江戸時代の建造で近年修復工事が行われています。嘗て笑楽日塾のフィールドワークで伺ったときにはまだ工事の最中でしたが、今では工事も終わり大変綺麗な門や仁王様を見ることがでます。阿形仁王像は目がくりっとしていて親しみのあるお顔。吽形仁王像の方は凜々しいお顔です。

門には金亀山の額が掲げられており、「寛文壬寅(かんぶんみずのえとら)六月一日 洛東 妙門運敬書」の文字も見えます。

天井には2匹の龍が描かれていますが何回か描き直されているそうで、最後に書かれたのは1961年といわれています。また、この龍は目に特徴があるらしいのですが絵が劣化しているせいか不鮮明です。

蕨市では子供たちに「私たちのまち蕨市について遊びながら楽しく学び、郷土を愛する心を育てていきたい」という願いから作られた「わらび郷土かるた」があります。

この中で三学院の仁王様のことも「ぬっと出した手 三学院の 仁王様」と読まれています。これは吽形仁王像のことでしょう。

https://www.city.warabi.saitama.jp/shogaigakushu/bunka/kanko/1002201.html

三学院の惣門に続く参道脇の塀と、仁王門の両側にある塀には、定規筋(じょうぎすじ)と呼ばれる白い線が5本あります。もともとは門跡寺院の証として5本の線を引いたのが始まりのようですが、3本筋や4本筋の寺院もできて筋の数がお寺の格式を表すようになったとか。

以上が三学院のご紹介第6回目で、仁王門でした。

 

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

三学院の閻魔堂

三学院のご紹介も5回目になり、今回は閻魔堂を書いてみます。仁王門手前右側の涅槃門を中に入ると閻魔堂があります。閻魔堂という名前からしてお堂の中を覗くのも少し怖いのですが、勇気を出して閻魔様の撮影までしてしまいました。

閻魔堂横にある案内板によりますと『「うそをつくとエンマさまに舌をぬかれる」と子供の頃よく聞かされた方が多いでしょう。人の死後、その生前の功罪を考えてさばいて下さる裁判官である。言わば、冥界の総司で、地蔵菩薩の化身ともいう。うそをつくことの罪の重さ、善根を積まねばならないと説く。今、反省する人は救われる(境内の案内板より引用)。』と書かれています。

閻魔堂の中を覗くと頑固親父も顔負けの怖さをした閻魔様のお顔が目に入ります。この目で見透かされたら小心者には現世で犯した悪事などごまかしようもありません。また、閻魔大王像の左右には生首が見えます。

人は死後に天国への旅の途中で7日ごと計7回の裁きを受け、49日をもって仏様になるそうです。7回の裁きの中でも5回目(死後35日目)の裁きをするのが閻魔大王で、この裁きの中で嘘がばれると天国行の目はなくなり、舌を抜かれて地獄へ向かうことになります。

しかし、案内板には『今、反省する人は救われる』とも書かれていますので、お心当たりの方はすぐに反省しましょう。

 

以上が三学院のご紹介第5回目でした。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

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塾生は多芸(蕨市民音楽祭「音の市2nd」)

9月14日(水)には「蕨市民音楽祭」に参加された塾生を「塾生は多芸(紅白歌合戦)」と題してご紹介しました。

今回は第2弾で弓道と音楽・絵手紙を愛して止まない塾生をご紹介します。

8月27日(土)に蕨市民会館で『蕨市民音楽祭「音の市2nd」』が開催され、笑楽日塾塾生の1人が「ピアロードファミリーバンド」のメンバーとして出演しています。

当日の模様は蕨ケーブルビジョン株式会社様が取材し、9月23日(金)~29日(木)の「ウインクパラダイス(10:00~11:00/20:00~21:00)」の枠内で1日2回リピート放送してくださいました。

「ピアロードファミリーバンド」とは、蕨駅西口駅前通り(通称ピアロード)で月に一度第4日曜日に演奏を行っているバンドですが、現在はコロナ過ということで残念ながら中断しています。名前の由来は、幅広い年代のメンバーが参加していることから「ファミリーのようだ」ということで付けた名前。

以下にメンバーの塾生から届いたメールを紹介します。

『27日(土)市民会館コンククレホールで蕨高バンドの人達とLive演奏しました。

私の演奏は1曲だけですが、永遠の若大将(今年85歳!!)若い。

加山雄三氏作曲の「ブラック・サンド・ビーチ」を弾きました。

途中、1音だけ間違えましたが(-。-;)なんとか焦らずに弾けました。

バンド仲間の小さなビデオカメラですが、見て頂けると幸いです。

https://www.youtube.com/watch?v=H1nO05OxGDI&authuser=0

私も音楽(ポップス系)を聴くのは好きなので暇を見つけて楽しんでいまが、楽器を操るのは苦手なため常に聞き役です。いつか奏でる側に回ってみたいと思っていたものの「時すでに遅し」のような気がします。今でも毎日が多忙なため難しいですね。

蕨市民音楽祭当日は塾生も大勢応援に駆けつけており、以下はその塾生から届いたメールです。

『家族で加山雄三さん作曲「ブラック・サンド・ビーチ」の演奏を拝聴してきました。生の演奏を聴くことが出来て最高です。私は楽器ができないので、演奏をお聴きした後は皆さんが羨ましいかぎりです。』

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

会報誌「笑楽日塾だより」シニアの風⑫

2022年9月28日投稿分の「笑楽日塾だより シニアの風⑪」の続きで12回目になります。


シニアの風も今回で12回目の投稿で22編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々なお考えを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回のコラムは幼少期の思い出などを「コロナ禍に思うこと」と題して書かれています。皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

なお、この記事は2020年6月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

第22篇:「コロナ禍に思うこと」

新型ウィルスコロナ禍も出口が見えてきたようだ。日本政府の感染防止対策で初動対応が遅れたと非難されている。これは、中国習国家主席国賓としての訪日、2020東京オリンピックを開催の可否で、動けなかったことに所以すると思う。しかし、国賓の訪日が取りやめられ、オリンピックも1年の延期が決まると政府も東京とも感染防止対策が本格化した。緊急事態宣言が発表され、罰則のない自粛要請。

4月初めに、マスコミは諸外国でのコロナ禍の様子を映し出しながら「明日の東京だ!」と煽る。

しかし、現実には日本国民の勤勉・真面目・従順・律儀・挨拶作法などでこれを乗り越えようとしている。世界に誇れる行動だと思う。わずかな補償のもとで「自粛」を余儀なくされている商売されている方々には、誠にお気の毒である。

NHK連続テレビ小説で、作曲家古関裕而氏の物語が放送されている。数ある古関作品をインターネットで聞いている。なんといっても「六甲おろし」は、心から弾んでくるものを感じる。将に、躍動感あふれる名曲である。古関作品のなかに「ひるのいこい」NHKラジオ番組のテーマ曲がある。小さいころからよく聞いたテーマ曲。この曲を聴くと思い出すのは、幼少の頃の実家の風景だ。農家だった実家で昼ご飯を終え、ラジオを聴きながら昼寝をする親の姿だ。農家の働き手は、両親のみ。母親は、お昼時間の少し前に家に戻り、ごはんの支度。親父殿は一歩遅れて家の中へ。手を洗い居間に座る。

ラジオを付けて新聞を読む。ごはんの準備ができると食卓の前に座り、食事。おかずは何だったかなー。塩じゃけを焼いたものと野菜の煮物か?やはり、しょっぱいものをたくさん食べていたなー。夜の晩酌のつまみは塩辛だったかな?お昼の食事が終えると、 もう一度新聞をみる。そして、ラジオから「ひるのいこい」のテーマが流れると座っていた座布団を四つ折りにして、枕にする。午後の作業に向けつかの間の休憩、ひと時の昼寝。我々もジーと音を出さずにおとなしく。あの牧歌的で優しいシーンがふわーとよみがえってくる。

コロナ禍が一日も早く収束し、仲間とゆっくり杯を傾ける日を待ち望んでいる。

                            以上

古関裕而氏作曲(ひるのいこいテーマ曲):

https://www.youtube.com/watch?v=zbqXZjCgqb4

・ひるのいこい(NHKアーカイブス):

https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009060097_00000

以上、シニアの風の中から第22編「コロナ禍に思うこと」をご紹介しました。

「ひるのいこい」の他にも「復員だより」や「尋ね人の時間」。これらは私にもうっすらと記憶があります。https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009060069_00000

「復員だより」「尋ね人の時間」「ひるのいこい」。戦争で全てを失った日本はここから復興が始まり、成功への道を突き進むわけです。もちろん、古関裕而氏作曲の東京オリンピック・マーチ(1964)も大きく貢献をしたことを疑う余地はありません。

https://www.youtube.com/watch?v=1yWLGCobGKI

今の日本は「新型コロナウイルス感染拡大」で被った負の遺産処理に励まなくてはならなく、そのためには日本の進む道を理解した賢いリーダーが必要。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

会報誌「笑楽日塾だより」シニアの風⑪

2022年8月17日投稿分の「笑楽日塾だより シニアの風⑩」の続きで11回目になります。

シニアの風も今回で11回目の投稿21編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々なお考えを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回は高齢者にはなかなか取っ付き難いお話し「進化つづけるNet社会と疑問」を取り上げてみました。皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

なお、この記事は2020年5月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

第21篇:「進化つづけるNet社会と疑問

数年前よりNetworkの活用については各メディアで広報されていましたが、最近特に目に触れることが多くなった気がします。

PC、Mobile、IT、AI、Web、ICT、4G、5G、Teleworkと毎日のようにこの文字が目につきます。世界動向から乗り遅れるわけにはいかないのが現状でしょう。

特にCOVID-19が世界に蔓延し、各国の対応が明らかになり、Sars、Marsを経験した国々では医療体制、Netの活用など日本とは大きな相違があります。

「人の命を守る」と言われているトップはこの現状をどのように受け止めているのか!

COVIDの禍から3密回避を目指し テレワーク(リモートワーク)の仕組みを採用し少しでも蔓延を防止しようと各企業、学校、などが一生懸命努力している。

一昨年より「働き改革」と声を大にして動き始めていましたが遅々とした状態ではなかったかと思います。不謹慎ながら今回の禍により待ったなしで幅広い分野で仕事の進め方が変容(改革)しつつあり、まさにNetworkの良い使い方を身近に感じる昨今である。

とは言え、疑問点も多々ある。

①Netの安全性(セキュリテイ)への対応――仕組みがあれば仕組みを悪用する輩

②利用者のレベルの相違による偏差(落ちこぼれ)――利用技術の指導と教育

③利用環境の有無による差別化――ハードの設備(経済的)

④ ②に関連し標準的な指導できる人材の育成

⑤便利な仕組みを多用することで、対面対話への不安や読解力への影響

     ――2018年 PISA学力水準 15位―――

 その他にも沢山あると思いますが、これら諸問題が解決し安心な仕組みが存在すれば社会が一変するのではないでしょうか?

 極論すれば   ①混んだ電車に乗らず会社に行かなくてもよい

         ②学校に行かなくてもよい

         ③人と会わなくてもよい

         ④飲食、日用品そして代金はNetでよい

仕組みを作るのも、利用するのも、壊すのも人です。

これからは人間でなくては出来ないことを模索し新しい社会を作らなければならない時が間近に迫っているかもしれません。さて、皆さんはどう思われますか?

                                                                                                                   以上

以上、シニアの風の中から第21編「進化つづけるNet社会と疑問」をご紹介しました。

新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、ネットワークも社会生活に浸透してきました。笑楽日塾でも塾生が1ヶ所に集まっての勉強会ができなくなり、2020年4月からは各自の家庭または出先からZOOMによる集会に変更し、今も続いています。Netの浸透で社会は便利になりましたが高齢者には付いて行くのが大変。生涯勉強です。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

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三学院の馬頭観音塔と地蔵堂・仏足石

三学院には惣門の手前に馬頭観音、惣門を入ると右側に地蔵堂(目疾地蔵・子育て地蔵・六地蔵)があり、堂の前には仏足石があります。

馬頭観音塔(蕨市指定文化財)≫

馬頭観音は、頭上に馬を頂き、憤怒の形相をした菩薩で、奈良時代に伝来したとされている。江戸時代になると農耕や交通で馬を使う人々の間に信仰が広まり、馬に対する供養や無病息災の祈願をこめて、馬頭観音塔が造立されるようになった。塔の正面に、馬頭観音像や文字を彫ったものが多く見られるが、この馬頭観音塔は梵字で「南無馬頭観音真言が刻まれており、珍しく貴重なものです(案内板より一部引用)。

蕨は江戸時代の宿場町で本陣も置かれていた。宿場で重要な施設の一つである問屋場には馬50頭と人足50人を揃えていた。特に大事にされていた馬が病気などにならないよう大切にしていた経緯があり、一生懸命働いた後に亡くなった馬の供養と、今働いている馬が健康でより頑張ってくれるようにと、馬主さんたちが願いを込めて作られたもの。基礎部分には生き生きとした馬の姿が線刻されていますが、花立の台座で隠れてしまい見るのが大変。

地蔵堂

・『目疾地蔵(めやみじぞう)蕨市指定文化財)』

この地蔵尊の目に味噌を塗って祈願すると眼病が治る、眼病にかからないと伝えられており、「目疾地蔵」または「味噌地蔵」とも呼ばれている(案内板より一部引用)。

今でもお地蔵さんの目に味噌を塗ると眼病が良くなるとの民間信仰が生きており、2018年に伺ったときには「あとの人のために、味噌を塗り過ぎないでください(お地蔵様左側の張り紙)」との注意書が掲示してあり、びっくり。

・『子育て地蔵(蕨市指定文化財

子育て・開運にご利益があるとされる他、この地蔵尊が僧侶に姿を変えて火事を知らせ、大火を防いだとの伝承から「火伏地蔵」とも呼ばれている。台座に穿たれた人為的な凹みは、その石粉を飲むと地蔵尊の功徳を授かるとする民間信仰の名残です(案内板より一部引用)。

・『六地蔵蕨市指定文化財

人が死後に転生するするといわれる六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天井)にあって、衆生を救済する六種の地蔵菩薩の総称です。六地蔵としては蕨市内で最古のもので、個々の石材や総高が異なることから、1体ずつ造立した地蔵菩薩を、後に六地蔵としたものと考えられています(案内板より一部抜粋)。

六地蔵地蔵菩薩が人々の苦難を身代わりとなるため、六つの世界(六道)へ赴くために姿を変えたもの。故人が良い世界に生まれ変わることを願って建てられている。六体ともそれぞれ手の持ち物が違っている。

≪仏足石(蕨市指定文化財)≫

仏足石は釈尊仏陀)の足跡を石面に表したもので、インドから中国をへて我国へ伝来したのは約千三百年以前と言われている。仏足石で健脚祈願の仕方は二通りで、履物を脱ぎ直接素足で接する方法と、右手で仏足石面をなぜた後に自分の足をなぜる間接的な仕方がある(案内板より一部抜粋)。

お釈迦様の足跡に直接乗っかるのは少し気が引けてしまい(小心者には鉢当たりのような気がして)、右手で間接的に接して健脚祈願をしてきました。

以上が三学院のご紹介4回目でした。散歩しながら見て回ると新しい発見に出合いますし、他にも見所が沢山あります。また折を見て書こうと思っています。

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塾生は多芸(紅白歌合戦)

笑楽日塾塾生には多芸な方が沢山おられます。そんな塾生の1人から8月23日に次のような一斉送信メールが塾生宛に届きました。

『28日は「第5回昭和歌謡 紅白歌合戦」が開催されます。

4回目の挑戦で、本番出場が叶いました。「口で十回いえば何とかなるものですね。」

私は、第2部の1番手(全体では9番目)で14:04~14:10が出番です。

当日の模様は、ケーブルテレビ「ウインク」で9月3日(土)午後7時から放映、9月下旬ごろから「蕨市公式YouTubeチャンネル」にて全編配信されます。

当日、御用とお急ぎの無く、怖いもの見たさ好奇心のある塾生の皆様の応援がありましたら幸甚です。

暑さが続きますが、ご自愛くださいませ。』

というもの。

蕨市では今年も8月26日(金)から28日(日)までの3日間「第8回蕨市民音楽祭」が開催され、最終日の28日には「第5回昭和歌謡 紅白歌合戦が組まれています。ここで塾生が熱唱されました。

音楽祭のポスターには、嘗ては蕨市に住まわれたこともあるジャズサックス奏者で、ミジンコ研究家、タモリさんが有名にした「ハナモゲラ語」の元祖としても知られる坂田明さんの名前が見えます。

以下は、音楽祭本番翌日の29日に届いたメールです。

『笑楽日塾の皆様

応援ありがとうございました。

会場にてご挨拶が出来ず申し訳ございませんでした。

皆様のご声援で、何とか無事に拙いながらもフル歌唱する事が出来ました。

自分の歌唱姿を見る機会は余り無いので、ウインク放映とYouTubeが楽しみです。

生バンド&コーラス&キッズダンスを背に舞台にての歌唱は「媚薬」の様なもので、プロ歌手になった気分です。

楽しい一日でした。』

私は当日野暮用があり会場には伺えませんでしたので、後日テレビで観させていただきました。ご本人は緊張感もなく楽しそうに歌っておられ、思わずほっこり。間奏の時間帯には、お手製と思われる古銭(紙製?)のようなもの客席に向かって投げていたのはご愛敬。生バンド、女性のバックコーラス、子供たちのバックダンサー。ノリノリでしたね。「♬ 誰がよんだか 誰がよんだか 銭形平次~♪♫」。

ちなみに今年の紅白歌合戦は塾生の貢献もあって白組が勝利しました。

なお、蕨市民音楽祭2日目の27日には、笑楽日塾塾生がメンバーの一員として活躍されるバンド「ピアロードファミリーバンド」が、「音の市2nd」に出演していますので、こちらも後日ご紹介します。

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三学院の弘法大師

三学院シリーズ1回目の 「三学院の御衣黄桜(緑花)」2回目の「三学院の舎利殿」に続き、3回目「三学院の弘法大師」です。

1回目のでも少し書きましたが、本堂の前には大きな弘法大師像があります。今回は弘法大師に関係したものを探して見ました。

惣門と参道は「宗祖弘法大師 御誕生1250年 慶祝記念事業」として整備されています。9月3日時点では職人さんが3名おられ、どうやら仕上げの段階に入っている模様。案内板によると10月完成予定とか、もうすぐ完成のようです。惣門と参道は以前のものと比べると桁違いに立派で綺麗になっています(写真は9月3日のもの)。

仁王門を抜けると右側に水舎(写真左)があります。水鉢の後ろ側(写真中央)には「宗祖弘法大師千百五十年御遠忌」と書かれており、水鉢の上(写真右)には黄金に輝く亀が(金亀山の山号に因んだものか)。

水舎の案内板にも『宗祖弘法大師1150年御遠忌奉修記念事業として、檀信徒の浄財により建立された。霊亀…三学院は、金亀山と号する故に水鉢に霊亀をおまつりした(案内板より抜粋)。』とあります。

仁王門を抜けた正面はとても大きくて立派な本堂があり、本堂の手前には修行大師像(弘法大師像)があります。

案内板には『宗祖弘法大師1150年御遠忌奉修を記念して奉安された。唐銅にして総丈12尺余あり、近隣随一である(案内板より抜粋)。』と書かれています。12尺余(3.6m強)の大変大きなもの。

本堂の右側には弘法大師の供養塔があります。左から「弘法大師千年忌供養塔」、中央に「弘法大師千百年忌供養塔」、右側が「弘法大師千百五十年忌供養塔」。

見比べると150年の歳月が貫禄の違いを知らしめています。

 

 

荒井貞夫笑楽日塾塾長は「三学院は蕨の宝だ」とおっしゃっていました。不肖私も全くもってその通りだと思います。たまに伺う三学院ですが、注意して見ていると思いがけない発見をすることもあるもので、今回は前々回ご紹介しましたように珍しい桜御衣黄桜」を見つけました。寺内は他にもまだまだ見所が沢山ありますので、これからもご紹介したいと思います。

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三学院の舎利殿

前回投稿「三学院の御衣黄桜(緑花)」の続きで、今回は三学院のご紹介2回目「舎利殿」です。

三学院の舎利殿には、皆様ご存じの孫悟空が大活躍する西遊記でおなじみ、玄奘三蔵法師の霊骨の一部が中国から分骨され奉安されています。笑楽日塾にはこの件に大変詳しい先輩がおられ、ご自身のコラムにも書かれていますので、今回は引用させていただきます。

 

≪以下は先輩塾生のコラムで、「笑楽日塾だより2022年4月号 シニアの風」より引用します≫

玄奘三蔵の霊骨を金亀山三学院に訪ねる。~何故三学院なのか」

約1400年前の669年、中国は西安の南方約20Kmの興教寺に遡る。

昭和17年12月、大日本帝国軍が南京を占領し、稲荷神社建立の為、小高い丘を整地した。その時、土の中から石棺が出てきた。駐屯していた高森部隊長の指揮で専門家に鑑定を依頼したところ、玄奘三蔵法師の霊骨と副葬品であることが判明した。これを受けて時の中国政府は南京郊外の玄武山頂に五重塔を建設し、昭和19年10月10日に霊骨塔落慶式が行われ、日本からは重光大使(終戦時調印式の外務大臣)が出席した。

この際に台湾と日本に分骨が行われ、同行していた日本仏教会会長倉持秀峰氏(第30世三学院住職)に贈られたのである。

日本へ帰国後、東京の芝増上寺に預けられたが、東京大空襲で危険になったので、一時埼玉県蕨町の金亀山三学院舎利塔内にある水晶の壺の中に安置された。

又、仏縁により遠く台湾の景勝地である、台中日月譚玄奘寺には三学院第30代住職倉持秀峰の分骨が、玄奘三蔵法師の分骨と共に奉安されている。そして昭和25年3月20日に埼玉県岩槻市慈恩寺へ分骨され、日本玄奘三蔵法師霊骨塔に安置された。大雁霊骨塔は13重15mに及ぶ石組みといわれる。また、毎年5月5日の子供の日には1kmに及ぶ行列のお祭りが開催されている。

玄奘三蔵法師 天竺への旅

26才の秋ボロをまとった飢民にまじり、国法を破り長安を離れ、7世紀はじめにたった一人で中国からイ ンドへと赴いた。

西遊記に出てくる孫悟空猪八戒沙悟浄は虚構である。

一年後、パミールを越えアフガニスタン経由インドへ。一年滞在し地理地形、地質、気象等地理学を細かく習得し記録して、山のような経典と仏像を持ち帰り、経典を翻訳した。

同時に、当時のインドの貴重なヒンズー教等の資料も持ち帰った。また、インドのデリー、聖なる大河ガンジス河、ヒマラヤ奥地、インドの秘境、仏教王国ラダック(別名チベット、峠を越えた国という意味)、タラス古戦場、山の国キルギス、天山南、北道、などの貴重な資料を残している。

 

以上「笑楽日塾だより2022年4月号 シニアの風」から引用させていただきました。

玄奘三蔵法師は持ち帰った仏典の翻訳に残りの生涯19年間を賭けたものの、3分の1程度しか訳せなかったといいます。また、翻訳した経典の数は大般若経600巻をはじめ74部1335巻にのぼり、この大般若経は「般若心経」の基となったとか。

玄奘三蔵法師の霊骨の一部は、埼玉県の三学院と慈恩寺の他、奈良県薬師寺にも分骨されていますが、戦争中の混乱の中で様々な出来事と思惑があり、蕨にも繋がったものと想像できます。それにしても、玄奘三蔵法師の霊骨の一部がこの蕨の地に分骨されていたことは驚きです。

次回も三学院のご紹介をします。

 

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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