笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

フィールドワーク

コロナ禍後初のお花見

今年は待ちに待った久しぶりの開催になりましたが、今年の春は雨降りの日が多く心はやきもき。しかも当日の朝は雨模様。天気が安定しなかったせいか何時咲くのかはっきりせず、皆さんの心をもてあそんでいるかの

オンライン塾会(石巻までゴルフのお手伝い・塾長のOB会出席

石巻で日本ゴルフツアー機構のキッズゴルフ応援プロジェクトが開催されたのでお手伝いに行ってきました。プロゴルファーの方は金谷拓実、杉原大河、米澤蓮の3名と青木功会長が参加し、未来のプロたちに丁寧に指

オンライン塾会(古寺巡礼・初めて救急車で運ばれた)

恵比寿にある東京都写真美術館で写真家土門拳氏の「古寺巡礼」展を観てきました。連休中のためか美術館までの道のりには人出があまりにも多く、コロナの感染が心配になるほど。会場内に展示している写真は大判のものが多くあるため圧倒されっぱなし。

オンライン塾会(サフィール踊り子号・ひたち海浜公園)

何年か前から午前中にお洒落な列車が蕨を南下するのを目撃していました。先頭車の名前を読んでみたら「サフィール踊り子」と書かれていたのでびっくり。ちなみのサフィールはサファイアのフランス語だとか

オンライン塾会(益子焼・SLもおか号) 

春の益子陶器市は我が家の春の恒例行事として位置づけられているため、今年も5月3日に行ってきました。今年で15回目になります。陶器市の会場は駅から東に進んだ城内坂通りや里山通りがメインストリート

通常総会・お花見・鉄道伝説

塾生2人が参加したグループのお花見で、3月29日(火)青天の中、熊谷、深谷方面へ出かけたとのこと。青空+うすいさくら色の桜並木+真っ黄色な菜の花+緑の下草を満喫された様子を、沢山の写真と共にパワポを

第42回特別展「塚越づくし!~歴史と伝統 心意気~」

蕨市塚越は、かつて「塚越村」という一つの村であり、江戸時代後期から綿織物業の栄えた地域でした。明治22年(1889)、中山道の宿場町であった蕨宿と塚越村が合併し、蕨町(現蕨市)となりました。

お釈迦さま誕生を祝う花祭り

機神社の側面には、信仰する神様(関東大権現)を祀る日光東照宮にちなんで三猿が飾られています。左から「周りをよく見る猿」「人とよく会話をする猿」「人の話をよく聞く猿」だそうです。

飛鳥山の渋沢史料館と石神井川の花筏

4月2日(日)東京は北区王子の飛鳥山にある渋沢資料館見学と、石神井川の両側に植えられた桜の木から川面に散った花びら、花筏を見るため王子駅前から板橋区の東部東上線中板橋駅まで歩いてきました。

豊島区「延命地蔵尊」

全国各地に存在する延命地蔵の信仰は江戸時代に最も盛んになったようですが、インドの文献には出てこないらしいので日本だけの信仰だったのか。延命地蔵尊信仰の始まりは新しく生まれた子の加護と、その子の寿命を延ばすという願いから生まれたもの。

板橋区「観明寺」

参道入口にある庚申塔は、寛文元年(1661)8月に造立されたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、都内最古です。昭和58年度に板橋区の指定有形文化財になりました。

三学院の仁王門

門には金亀山の額が掲げられており、「寛文壬寅六月一日 洛東 妙門運敬書」の文字も見えます。天井には2匹の龍が描かれています。また、この龍は目に特徴があるらしいのですが絵が劣化しているせいか不鮮明です。

三学院の馬頭観音塔と地蔵堂・仏足石

人が死後に転生するするといわれる六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天井)にあって、衆生を救済する六種の地蔵菩薩の総称です。六地蔵としては蕨市内で最古のもので、1体ずつ造立した地蔵菩薩を、後に六地蔵としたもの

三学院の弘法大師

本堂の右側には弘法大師の供養塔があります。左から「弘法大師千年忌供養塔」、中央に「弘法大師千百年忌供養塔」、右側が「弘法大師千百五十年忌供養塔」。 見比べると150年の歳月が貫禄の違いを知らしめています。

三学院の舎利殿

昭和17年12月、大日本帝国軍が南京を占領し、稲荷神社建立の為、小高い丘を整地した。その時、土の中から石棺が出てきた。駐屯していた高森部隊長の指揮で専門家に鑑定を依頼したところ、玄奘三蔵法師の霊骨と副葬品であることが判明した。

三学院の御衣黄桜(緑花)

三学院は、京都の新義真言宗智山派総本山智積院の末寺で、金亀山極楽寺三学院といいます。創立年代は不明ですが、本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられています。

蕨市内の公園と河津桜探訪記(2/2)

河津桜(カワヅザクラ)は、ソメイヨシノに比べて早い時期に開花する早咲きの種で、名前の由来は静岡県の河津町で見つかったため。カンヒザクラ系と早咲きのオオシマザクラ系の自然交配種によると考えられている。

蕨市内の公園と河津桜探訪記(1/2)

笑楽日塾の塾生新井邦夫さんが代表を務める「ふるさと土橋公園を育てる会」の皆さんが、行政から維持管理を依頼されていて毎週土曜日に清掃や草むしり、花壇作り等に勤しんでいます。住宅街の中の公園としては比較的広い作りで、中央は広場

第2回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(塚越・南町)其の7」

河鍋暁斎ほど「狩野派絵師」か「浮世絵師」か、評価の分かれる絵描きはいない、とよくいわれます。 幕末から明治前半の江戸・東京で活躍した狩野派の人気絵師で、道釈人物画から浮世絵版画、戯画・風刺画まで幅広い作品を描きました。

第2回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(塚越・南町)其の6」

春には桜祭りが行われ屋台も沢山出店されて賑わい、桜のトンネルと桜の絨毯。夏には太陽の光を桜木の葉がさえぎり心地よい木陰を作ってくれます。秋には紅葉のトンネルと桜葉の絨毯。四季を通して人々は散歩やジョギングを楽しみ井戸端会議に花を咲かせます。

第2回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(塚越・南町)其の5」

公園の中には大きな蒸気機関車がある。SL C11 304号車である。50年前の図面がある。この図面の中にすでにSLの設置が記載されていることから、公園の設計時からSLの設置が計画されていたことがわかる。

第2回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(塚越・南町)其の4」

公園のほぼ中央ある万葉歌碑には「石ばしる 垂水の上のさ蕨の 萌えいずる 春になりけるかも」と刻まれている。蕨市市政30周年記念に建立されたもので、この歌が選ばれたのは「蕨」の縁でしょうか。

第2回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(塚越・南町)其の3」

40年前までは手入れもされておらず雑草の生い茂った神社でしたが、地元の方々が協力して整備したため今では綺麗に蘇っています。そのため至る所手作り感満載で、地元の方々のご苦労と情熱が感じられます。

第2回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(塚越・南町)其の2」

社殿の鎮座する丘は経塚で、玄快さんが法華経1万部を埋納し、その上に経塚を築いたことが塚越の地名の由来になったと言われている。経塚の上に建てられた塚越稲荷神社の創建年代は、明応年間(1492ー1501)又は貞享元年(1684)の二説ある。

第2回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(塚越・南町)其の1」

蕨駅には二つの石碑がある。一つは西口階段下にある蕨駅開設を記念するもの(第1回フィールドワークでご紹介)。もう一つは東口交番の裏側の京浜東北線側に立っている東口開設の記念碑である。ここでは、東口開設記念碑について述べる。

第1回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(中央・北町)後編」

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相をいうのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

第1回フィールドワーク「蕨遺産めぐりツアー(中央・北町)前編」

蕨宿跡は中山道の両側ある歩道に、江戸・日本橋側の端に当たる下の門跡から京・三条大橋側の端に当たる上の門跡まで、「中山道69次(日本橋から三条大橋)」までが描かれたタイルがはめ込まれている。順番に見て歩くと江戸の日本橋から京の三条大橋までのプ…

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