フィールドワーク
河津桜(カワヅザクラ)は、ソメイヨシノに比べて早い時期に開花する早咲きの種で、名前の由来は静岡県の河津町で見つかったため。カンヒザクラ系と早咲きのオオシマザクラ系の自然交配種によると考えられている。
笑楽日塾の塾生新井邦夫さんが代表を務める「ふるさと土橋公園を育てる会」の皆さんが、行政から維持管理を依頼されていて毎週土曜日に清掃や草むしり、花壇作り等に勤しんでいます。住宅街の中の公園としては比較的広い作りで、中央は広場
河鍋暁斎ほど「狩野派絵師」か「浮世絵師」か、評価の分かれる絵描きはいない、とよくいわれます。 幕末から明治前半の江戸・東京で活躍した狩野派の人気絵師で、道釈人物画から浮世絵版画、戯画・風刺画まで幅広い作品を描きました。
春には桜祭りが行われ屋台も沢山出店されて賑わい、桜のトンネルと桜の絨毯。夏には太陽の光を桜木の葉がさえぎり心地よい木陰を作ってくれます。秋には紅葉のトンネルと桜葉の絨毯。四季を通して人々は散歩やジョギングを楽しみ井戸端会議に花を咲かせます。
公園の中には大きな蒸気機関車がある。SL C11 304号車である。50年前の図面がある。この図面の中にすでにSLの設置が記載されていることから、公園の設計時からSLの設置が計画されていたことがわかる。
公園のほぼ中央ある万葉歌碑には「石ばしる 垂水の上のさ蕨の 萌えいずる 春になりけるかも」と刻まれている。蕨市市政30周年記念に建立されたもので、この歌が選ばれたのは「蕨」の縁でしょうか。
40年前までは手入れもされておらず雑草の生い茂った神社でしたが、地元の方々が協力して整備したため今では綺麗に蘇っています。そのため至る所手作り感満載で、地元の方々のご苦労と情熱が感じられます。
社殿の鎮座する丘は経塚で、玄快さんが法華経1万部を埋納し、その上に経塚を築いたことが塚越の地名の由来になったと言われている。経塚の上に建てられた塚越稲荷神社の創建年代は、明応年間(1492ー1501)又は貞享元年(1684)の二説ある。
蕨駅には二つの石碑がある。一つは西口階段下にある蕨駅開設を記念するもの(第1回フィールドワークでご紹介)。もう一つは東口交番の裏側の京浜東北線側に立っている東口開設の記念碑である。ここでは、東口開設記念碑について述べる。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相をいうのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
蕨宿跡は中山道の両側ある歩道に、江戸・日本橋側の端に当たる下の門跡から京・三条大橋側の端に当たる上の門跡まで、「中山道69次(日本橋から三条大橋)」までが描かれたタイルがはめ込まれている。順番に見て歩くと江戸の日本橋から京の三条大橋までのプ…