笑楽日塾の事件簿blog

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就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

第42回特別展「塚越づくし!~歴史と伝統 心意気~」

前回ご紹介しました「お釈迦さま誕生を祝う花祭り」で、定正寺他塚越稲荷神社や機神社のことにも触れました。ご当主が観音堂の中で説明してくださった時『今、蕨市立歴史民俗資料館で特別展として「塚越づくし!~歴史と伝統 心意気~」を開催している。定正寺や塚越稲荷神社・機神社からも資料を出展しているので、是非見にいって欲しい。』とのお誘いをいただきました。この特別展開催の件は以前に笑楽日塾の塾生から聞いていたのですが、改めて教えていただきましたので16日(日)に行ってきました。

「塚越づくし!」の塚越とは埼玉県蕨市の町名。市域中のJR京浜東北線の北側のこと。塚越稲荷神社境内に作られた経塚が名前の由来と言われています。

 

今回の特別展を蕨市のホームページで見ますと

開催期間:令和5年2月25日(土曜日)から令和5年4月30日(日曜日)まで

開催時間:午前9時から午後4時30分まで

開催場所:蕨市立歴史民俗資料館

対象:どなたでも

内容:蕨市塚越は、かつて「塚越村」という一つの村であり、江戸時代後期から綿織物業の栄えた地域でした。明治22年(1889)、中山道の宿場町であった蕨宿と塚越村が合併し、蕨町(現蕨市)となりました。しかし、塚越には単に蕨と一括り出来ない、塚越ならではの歴史の歩みがあります。歴史も伝統も今に息づく心意気も、全てが「塚越づくし!」な展覧会を、ぜひお楽しみください。

費用:不要

と、紹介していました。

 

歴史民俗資料館で紹介している展示品は、塚越村と蕨宿が合併して蕨町になった「塚越の歴史」。江戸時代の地誌(新編武蔵風土記稿)に書かれている言い伝え「塚越村の始まり」。塚越村は蕨宿にたびたび人馬を差し出していたため「蕨宿の助郷村として」。江戸時代後期から昭和初期まで続いた「綿織物業の隆盛」等。

また、花まつりの時にお聞きしていたように定正寺や塚越稲荷神社・機神社からも「蕨市指定文化財」が多数展示されていました。1871年に廃寺になった定正寺観音堂の本尊と伝えられる「木造聖観音菩薩像」。二代目高橋新五郎に機業を始めるよう夢で告げたと言われる「木造徳川家康座像」。神紙管領卜部兼敬より授与された「機神社幣帛」。塚越村の田畑図などを書いた資料「所持田畑小作入附 万歳帳」他見所満載でした。

 

蕨市立歴史民俗資料館はご紹介した本館の他、すぐ側に明治時代に織物の買継商をしていた家を分館として公開しており、コンパクトながらも庭園もありますので四季を通じて美しい花々を楽しめます。また、建物内部の店舗部分では嘗て織物の買継をしていた玄関先と、上がり框の間取りや帳場机、当時使われていた時代物の電話ボックスなど当時の雰囲気を味わうことができます。

本館の特別展を見た後にこの分館に寄ったのですが、目的はこの時期に飾られている武者人形の「兜」。一応野球大好き人間ですので大谷ブームに乗ってみました。ちなみに2月から3月にかけてはひな人形が飾られていました。

 

ここからは二十四節気と七十二候です。

本日で清明も終わり、4月20日から5月5日までは二十四節気の「穀雨」に当たります。穀雨とは穀物の成長を助ける雨のこと。田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨が降るころ。春雨、長雨、菜種梅雨、春霖(しゅんりん)、甘雨(かんう)、小糠雨(こぬかあめ)など、細やかな自然現象にたくさんの名が付けられている。

七十二候も4月20日~24日の間は「葭始生(よし はじめて しょうず)葦が芽を吹き始める」。水辺に茂った葦が芽吹き始め、野や山に生えた様々な植物が生き生きとして成長が始まる。4月25日~4月29日の間は「霜止出苗(しも やんで なえ いず)霜が終わり稲の苗が生長する」。日毎に暖かさが増し、早苗(さなえ)も苗代(なわしろ)から田に移し植えるころ。農家は活気にあふれて田起こしも始まり、田植えの準備に取り掛かる。

 

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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