笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

会報誌「笑楽日塾だより」シニアの風⑰

2023年1月18日投稿分「笑楽日塾だより シニアの風⑯」の続きになります。

warabijyuku.hatenablog.com

シニアの風も今回で17回目の投稿、27編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々な思いを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回は蕨市の地理・歴史~消えた毛長川~を紹介してくださいました。

なお、この記事は笑楽日塾だより2020年12月号にコラムとして載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

蕨市の地理・歴史≫

埼玉県は河川の占有面積が日本一である。県の全域を荒川水系が覆い、甲武信ヶ岳(2475m)~甲斐・武蔵・信濃~ を水源とする。入間川の最上流は飯能名栗川沿いに行き、関東奥武蔵蕨山(標高1044m)「奥の二又」で真ノ沢の右側に最初の一滴の石碑がある。

この名栗・入間川は荒川となり寄居・熊谷・岩淵水門から東京都内に入り墨田川を経て東京湾へと注ぐ。本来は利根川であり荒川や入間川などをあわせ、江戸湾に注いでいたが江戸期の瀬替え(1629年)により鬼怒川の河口である銚子につなげた。今は昔の利根川の跡をとどめる古利根川がある。入間川は川越で「大川」、戸田の渡しでは「戸田川」と言っていた。この時の荒川は47里188km、1988年以降の現在は173kmで日本では14番目の長さとなっている。

≪毛長川≫

新編武蔵風土記によると、蕨山を発源とした入間川本流を「毛長川」という。さいたま市南部から蕨市で東流、川口市鳩ヶ谷を流れ、草加市から綾瀬川と出会い、東京都足立区千住で隅田川(当時の利根川)と合流、石浜(浅草)を経て東京湾(当時の江戸湾)に至る。この間、約30㎞で川幅が200mのところもあった。毛長川とはアイヌ語で原野、荒野を流れる川の意とされ、鬼怒川は往古に毛野川と呼んだ。毛無川(三重県津市、二毛作が出来ないほど氾濫した川)、毛無山(長野県野沢温泉)、水無川(全国各地、伏流水)など全国にはアイヌ語と思われる山・川がある。

「荒川・利根川の瀬替えにより消えた毛長川と残った毛長川」

徳川幕府による瀬替えは、1594年(文禄3年)より着工、さいたま市指扇(さしおうぎ)から二ツ宮の1500mに堤防を築き、土屋付近で毛長川を堰き止めて(土屋固堤)流れを南へと放流した。毛長川は水源を失い、川底は長い年月を経て田畑へと変化した。消えた毛長川の跡地が開発され、さいたま市蕨市川口市戸田市などは東京のベッドタウンとして発展した。一方、日光御成街道の鳩ヶ谷から草加付近には毛長川、毛長神社、毛長橋として現存している。

「毛長川のいわれ」

民族資料編での伝承記録によると、遡ること仁徳天皇期(392年)で、大河毛野川が現れる。草加市新里村の毛長神社の碑には、御神体は女性の髪の毛であることは、諸記録・土地の伝承によってこれを知ることができる。髪は素盞嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。神体の髪に関する伝承は諸説あって一様でないが、「女の長い髪」であることは一致する。髪の毛を神体とする神社は全国でも稀らしい。』とある。

「消えた毛長川」

このように徳川幕府による利根川の瀬替えと、毛長川のさいたま市土屋付近での堰き止め等で、蕨などは水無となり川底は田畑へと変化、ベッドタウンへと発展した。国土交通省国土地理院発行の「地形地質分類図」からも、旧中山道沿いと和樂備神社、塚越の一部が自然堤防で多少標高が高く、他の地は河道であったことがはっきりと判る。

現在では、川は埋め立てられたり、下水管で流されたりして地下にあるが、戦前は多くの小川が流れ、橋が架かり、子供たちが魚を釣ったり、蛙やエビガニ捕りをしていた。このような地層のため、長年にわたり地盤沈下が進み、大雨や荒川の洪水、地震による液状化に悩まされ続ける今日この頃であるが、紙面の都合でまたの機会にする。

以上

「笑楽日塾だより シニアの風」の中から第27編蕨市の地理・歴史~消えた毛長川~をご紹介しました。近くを流れる荒川(語源は「荒ぶる川」とか)も江戸期の瀬替えによって様子が一変したようです。荒川上流河川事務所HPによると『江戸時代より前は、東京湾に流れていた利根川の支川として、現在の元荒川筋を流れていたのですが、寛永6年(1629年)に荒川は熊谷市久下付近で締め切り、和田吉野川に付け替えられ、入間川筋を本流とする流れに変わりました。』昔の荒川は、今の荒川とは別のところを流れていたんですね。

 

ここからは二十四節気と七十二候です。

日本中に大寒波襲来で寒い日が続いていますが、2月4日からは待ちに待った「立春」に入ります。暦の上ではついに春到来。八十八夜、二百十日はこの日を起点に数えます。

七十二候も2月4日~8日の間は「東風解凍(はるかぜ こおりを とく)」に変わり、東風が厚い氷を解かし始めるため、春の到来ももう少しです。

 

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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