笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

蕨の庚申塔(3)

前回に引き続き「笑楽日塾オンライン塾会」で発表された「蕨の庚申塔」です。

発表者曰く「今回の塾会で発表するにあたり、8年ぶりに市内の散歩兼調査を行った。市の東側から西端までを歩きとおしたが、これもコンパクトシティ蕨市だからこそできること」とか。

調査で分かったことは「蕨市内で庚申塔が11カ所17基を確認できた」。また、「ほかにも5カ所7基あると噂されているが、残念ながら時間の関係で今回は諦めた。」とも。

3回目の今回は、東側から3カ所3基をご紹介します。

①≪塚越稲荷神社≫ 蕨市塚越 猿田彦太神碑(さるたひこおおかみひ)◎市指定文化財

まずは境内の案内板のご紹介です。

『この石造物は、碑の部分正面上部に、瑞雲(めでたい時にかかる紫色の雲)を伴う日月が、線刻されており、各方面に紀年銘及び、道しるべの刻銘がされている。材料は、安山岩である。

猿田彦大神は、天孫降臨に際し、道案内をした神として神話に登場するが、さいの神、ちまたの神、あるいは、道祖神などとされている。

もともと近くの道ばたにあったものといわれ、庚申信仰に基づいて造立されたものと思われる。蕨市教育委員会。(以上境内案内板より引用)』

この石塔は道を守る神様の猿田彦を祀っており、交通安全を願う碑として建てられたものといわれています。碑の正面上部には瑞雲を伴う日月(じつげつ)・瑞雲(ずいうん)が線刻され(但し、線が薄くてよく見ないと分かりません)、中央には「猿田彦太神」その両脇には「天下泰平 國土安全」と刻まれています。右側面には「北 しば 十三丁 なんぶ 二里半 東 鳩ケ谷半里」左側面には「南 戸田 二十二丁 江戸 四里半」。脇には「是より三丁程行 左 川口道」と刻まれており、東西南北の道しるべが揃った大変立派な道標です。なお、最近文字を朱色と白色に塗っていただいたため大変分かり易くなっています。

②≪丁張稲荷神社≫ 蕨市塚越 剣人六臂

丁張稲荷神社の北西側に建つお堂の中にこの石碑があります。

石碑は、日月・雲・青面金剛立像・剣・ショケラ持ち六臂。

個性的な顔立ちの三眼の青面金剛(額に目を一つ追加)で、ショケラは腰にしがみつき、足の脇には、二鶏が線刻されているらしいのですが、線が薄くてはっきりしません。

足元には邪鬼、下の台には三猿が彫られているようですが、風化が進みこれもはっきりとは分かりません。

台の左側面手前から、芝村・横曽根村・鳩ヶ谷宿の文字が見えますが、その奥は分かりません。

③≪亥子隅堂(いねずみどう)墓地≫ 蕨市南町 合掌六臂

亥子角堂の墓地はJR京浜東北線の線路沿いで、蕨市立第一中学校の北西側で緑川の横にあります。京浜東北線の電車の中からは庚申塔よりも墓地の中の弘法大師像が目立っています。この墓地を囲む塀の一部に凹みを作り、その中に庚申塔が立っています。

石碑には日月・青面金剛立像・合掌型六臂で、足の両脇に二鶏を彫っています。

分かり難いのですが足元には邪鬼、その下には三猿も彫られていますがはっきりしません。

左側面に武州足立郡戸田領塚越村講衆と刻まれているそうです。

前回に続き笑楽日塾オンライン塾会から庚申塔のお話の3回目。市内の庚申塔11カ所17基のうち3カ所3基をご紹介しました。

十干十二支(じっかんじゅうにし)で六十日ごとに回って来る庚申(かのえさる)の晩には、お堂やその月の当番になった家に集まり、庚申の本尊である青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)を描いた掛け軸を祀(まつ)り、夜明けを待ちました。三尸の虫を押さえる力を持った青面金剛(金剛童子)にはお神酒やご馳走を供えてお祀りし、庚申の晩には一晩中寝ないで三尸が天帝の元に向かわないようにしたためです。

しかし、昭和30年代のテレビ普及と共に人々の夜の過ごし方が変化したため、昔ながらの庚申講はすたれていったようです。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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