笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

お釈迦さま誕生を祝う花祭り

キリストの誕生を祝うクリスマスは毎年盛大に行われていますが、仏教でも4月8日にお釈迦様の誕生をお祝いします。蕨市の塚越稲荷神社境内にある定正寺も沢山の花を飾って、お釈迦さまが生まれたルンビニの花園を表した花御堂(はなみどう)を作り、お堂の中には甘茶を浸した器とお釈迦さまの誕生仏を安置し、誕生仏の頭上に甘茶をかけてお祝いしています。

私は一昨年と一昨々年はコロナ禍を考慮して遠慮していたのですが、昨年からまた復活して今年もお祝いしてきました。甘茶をかけるのに長い時間はかかりませんので参拝者もすぐに入れ替わり人影はまばら。ご当主も時間を持て余していたのか、花御堂前で一緒になった参拝者の方お二人と共に堂内に入れていただき、定正寺や塚越稲荷神社他塚越地域の歴史等をお話しくださいました。一時ではありましたが、大変有意義な時間を過ごさせていただきましたことに感謝いたしております。

奈良時代(710~794)に始まった神仏習合<日本土着の神道と仏教信仰が入りまじり一つの信仰体系として再構成された>の明応時代(1492年~1501)。京都伏見稲荷の廻国<巡礼のために国々をまわること>の僧侶、玄快さんがこの地に草庵を建てて布教活動と法華経一万部を埋納した経塚を作ったことが始まりと言われている。この経塚が後に「塚越村」の地名の由来となり、塚の上には塚越稲荷神社が建立された。

江戸期になると真言宗稲荷山定正寺が別当寺として塚越稲荷神社の社務に当たり、神社を管理していた。その後明治元年(1868)に新政府が発した神仏分離令廃仏毀釈>により寺は衰退し、定正寺も明治4年(1871)に廃寺となって本堂はなくなった。幸いなことに寺持ちの観音堂はそのまま残されていたが、東北地震(2011)でダメージを受け、屋根(特に瓦)が壊れてしまったため改築し、現在に至っている。

境内には、蕨の織物業を発展させた「二代目高橋新五郎」と「妻いせ」を祀った機(はた)神社がある。ある夜、新五郎の夢の中に高橋家で代々信仰していた神様(関東大権現=徳川家康)が現れ『高機渡世を営むべし』とのお告げがあり、考案した高機(織物を織る機械)でその後に双子織りを生業とし、織物の街蕨の商業を発展させた。

また、双子織りの歴史は横浜開港(1859)によりイギリスから持ち込まれた洋糸を安価で大量に入手し、試行錯誤の結果「二夕子織り」を作ったことから始まった。』等々ご教授いただきました。

なお機神社の側面には、信仰する神様(関東大権現)を祀る日光東照宮にちなんで三猿が飾られています。ただし、こちら猿は今の時代に合うようにと、左から「周りをよく見る猿」「人とよく会話をする猿」「人の話をよく聞く猿」だそうです。祭りの神輿作成をはじめ境内の整備等に奉賛会の方々が無償ボランティアで奉仕され、この三猿の作成も例外ではありません。

 

ここからは二十四節気と七十二候です。

4月19日までは二十四節気の「清明」に当たります。沖縄県では清明祭「シーミー」ともいい、お墓の掃除をするとともに墓参を行い、ピクニックのような雰囲気で親類が揃って墓前で祖先と共に食事(餅や豚肉料理、お菓子、果物など)を楽しむ風習があるとか。

七十二候も4月10日~14日の間は「鴻雁北(こうがん きたす)雁が北へ渡って行く」。冬の間を日本で過ごした雁が北のシベリアへ帰っていく頃になります。4月15日~19日の間は「虹始見(にじ はじめて あらわる)雨の後に虹が出始める」。冬の間は乾燥していた空気も春の深まりと共に潤い、虹が綺麗に見えるようになります。虹という漢字に虫偏が付いているのは虹を空に掛かる大きな蛇に例え、貫くという意味の「工」を加えて「大空をつらぬく大蛇」に見立てたためとか。

 

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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