笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

オンライン塾会活動「和楽備神社と塚越稲荷神社の話」

2023年2月9日(木)毎月1回開催している笑楽日塾オンライン塾会です。今回は塾生の1人が蕨市内の神社「和楽備(わらび)神社と塚越稲荷神社の話」と題し、「和楽備神社」はなぜ「蕨神社」でないのか、なぜ「塚越稲荷神社」の境内に「機神社」が鎮座しているのか、等の説明を中心に約40分間お話しくださいました。

 

和楽備神社の誕生と境内の整備

和楽備神社の前身は、関東管領を拝命して京都から下向した渋川義鏡が築城した「蕨城」の守護神として、源氏の守神「八幡大神」を勧請し、「蕨八幡社」として祀ったもの。

和楽備神社の名称は明治44年(1911)の「神社合祀令」の通達に則り、蕨町内にあった18の鎮守社を合祀(ごうし)した際に、大正天皇の侍講「本居豊頴」博士にご指導いただき、万葉仮名の「和楽備神社」と名付けられた。

また、和楽備神社の境内設計は東京の日比谷公園明治神宮、埼玉の羊山公園秩父市)などを手掛けて「公園の父」と讃えられている、久喜市出身の「本多清六博士」が係わって造られたもの。

 

塚越稲荷神社の由緒(銘板より)

『御祭神は蒼稲魂命(うかのみたまのみこと)

往昔 廻国の僧 当所の塚に経文を収め 塚上に稲荷大神の社を創立したと伝えられる 江戸末期に至り社殿を再建し 境内に 機神社を建立した 明治六年に村社に列し 明治四十四年には 天神社厄神様を合祭した 昭和二十八年宗教法人となり 奉賛会役員協力して境内を整備し 昭和四十五年には 高橋久作 原秋蔵両総代の尽力により 神社荘を建設し 神社維持経営の基本財産を造成した』以上銘板より。

由緒には「境内に機神社を建立した」とありますが、現在の機神社には「関東大権現(徳川家康)」「二代目高橋新五郎」「奥様(いせ)」の三柱が御祭神として祀られています。

文政九年(1862)旧暦の七月七日の夜、二代目新五郎が眠っていると信仰していた神様(関東大権現=徳川家康)が夢の中にあらわれて『高機(たかはた)渡世を営むべし』とお告げをされたとか(高機とは織物を織る機械のことで、渡世は商売のこと)。これを機に高橋家が機屋を始めて大成功し、近郷近在の農家も織物を副業として大いに潤ったということです。

 

まとめ

明治22年(1889)、蕨宿と塚越村が合併して蕨町が誕生した。

明治44年(1911)、蕨町の岡田町長は国家政策に沿って近隣神社の合祭に奔走した。各神社のご祭神の違いや、氏子などの意見を尊重しながら、大変なご苦労を重ねて18社を「蕨八幡社」に合祭し、「和楽備神社」と名付けた。

塚越の高橋新五郎は何代もかけて織物業を蕨地区のみならず武州一帯の一大産業に作り上げた。また、進取の気概にとんだ「高橋家」の伝統は織物業を普及させ、関係農家を富ませた。

以上

和楽備神社の年中行事は、1月の初詣、2月の節分祭、6月の茅の輪くぐり、8月の七夕、10月の例祭、11月の七五三詣、12月のおかめ市。

塚越稲荷神社の年中行事は、1月の初詣、3月の初午祭、4月の花まつり(境内の定正寺)、8月の機まつり(境内の機神社)、無人の神社ですが御朱印は原則、毎月1日、15日と土日祝日の午前10時から午後4時半の間に社務所にて受付。神事や祭事がある場合はこちらが優先。

 

ここからは二十四節気と七十二候です。

二十四節気の一つである「啓蟄」は6日から始まり「大地が温まり冬眠をしていた虫たちが穴から出てくるころ」。炊事や洗濯であかぎれに悩まされてきた主婦の手もこの頃から快方に向かう。

七十二候も3月6日~10日の間は「蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく)」。冬ごもりしていた虫(すべての生き物)が春の日差しを浴びて動き出す頃。3月11日~15日の間は「桃始笑(もも はじめて わらう)」。桃のつぼみが膨らみ、花が開き始める頃。和歌の世界では「花が咲く」を「花が笑う」と表現することがあるとか。

 

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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