笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

第6回定例塾会「笑楽日塾の在り方について」

「塾がめざす方向(これから何をやっていくか)」を検討し、今回の塾会でも塾生に問いかけ話し合っています。この当時の笑楽日塾は開塾してからまだ日が浅く、定例塾会の席で塾生が毎月交替でお話しする「講座開設」に関してもまだ検討段階。

1年経ちました

多くの皆様に支えられてオンライン公開講座を1年間開催する事が出来ました。講師の皆様、公開講座にご参加の皆様、蕨ケーブルビジョン株式会社の皆様に、笑楽日塾を代表して厚く御礼申し上げます。

塾生の趣味(特技)紹介『絵手紙』

絵手紙ありすの先生に教わり、三年がたちました。絵手紙のモットーはヘタでいい、ヘタがいいと言いますが本当はちがいます。ヘタの意味は別にあり、心をこめて一生懸命に書いたもの。それがヘタの意味だと思います。幼い子のように書きたいものです。まだま…

第11回オンライン公開講座「蕨城主 渋川氏の話」4/4

渋川公は永禄10年8月(1567年)三船山の合戦で討ち死にしましたが、その250年後にも渋川公を慕う家臣団がいました。文化13年(1816年)に家臣の子孫たちの手によって250年回忌が執り行われ、渋川公夫妻の供養塔(墓所)を渋川家の菩提寺(宝樹院)に造立さ…

第11回オンライン公開講座「蕨城主 渋川氏の話」3/4

直頼の姉、幸子は尊氏の長男で室町幕府二代将軍「足利義詮(よしあきら)」の正室になり、義詮の側室「紀良子(きのよしこ)」(順徳天皇孫)との間に生まれた「義満(よしみつ)」を育てました。義詮は37歳ころに若くして亡くなります。

第11回オンライン公開講座「蕨城主 渋川氏の話」2/4 

渋川氏は鎌倉の足利家から誕生しました。なぜ鎌倉かと申しますと「源頼朝」が治承4年(1180年)平家追討の旗揚げをした時に呼応し、いち早く下野国の足利荘から当主の「足利義兼(よしかね)」がすぐさま馳せ参じるのであります。

第11回オンライン公開講座「蕨城主 渋川氏の話」1/4

公園には大きな石碑が建てられており立派な文字で「蕨城址碑」と書かれています。この文字を書かれたのは「大漢和辞典」の編者で、昭和10年頃から30年頃まで大活躍された「諸橋轍次(てつじ)」「揮毫は止軒(しけん)」先生です。

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