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就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

第11回オンライン公開講座「蕨城主 渋川氏の話」2/4 

前回に引き続き「蕨城主 渋川氏の話」の2回目をお送りしますが、1回目から見ていただくとより分かりやすいかと思います。

また、人物名が多く出てきますので下記の「清和天皇~源氏~足利氏~渋川氏 系図」「室町幕府将軍 系図」を参考にしながらお読みいただくとより分かりやすいかと思います。

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≪渋川公はどういう方なのか≫

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結論から申しますと、渋川氏は鎌倉の足利家から誕生しました。なぜ鎌倉かと申しますと「源頼朝」が治承4年(1180年)平家追討の旗揚げをした時に呼応し、いち早く下野国の足利荘から当主の「足利義兼(よしかね)」がすぐさま馳せ参じるのであります。この足利義兼はまだ渋川にはなっていませんが、義兼がこれからお話しするうえで一番大事な役目を担うことになります。義兼は源平合戦で大いなる勲功をあげて頼朝の側近中の側近となり、さらにすごいのは御台所の北条政子の妹「時子」を娶って鎌倉にお屋敷を拝領します。現在の浄明寺辺り一帯が足利家の広大な土地となり、浄明寺は義兼が創建したことになっています。

本来の自分の土地である足利の地(お屋敷跡で約40,000㎡)に鑁阿寺(ばんなじ)を創建し、現在は本堂が国宝になっています。また、近くには日本で一番古い学校といわれる足利学校があり、その創建にも係わったのではないかという説もあります。そんな義兼ですが、息子の義氏に家督を譲り晩年には奈良の東大寺で得度しました。

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足利義兼がなぜ源頼朝の所に馳せ参じたかといいますと、両家は同じ源氏(清和源氏)の血を引く仲間だったからです。有名な源義家八幡太郎義家)の子供で「義親(よしちか)」が宗家の源氏を継ぎ、「義国(よしくに)」が別家として足利の方に流れていきます。宗家義親の曾孫が鎌倉幕府初代将軍源頼朝になります。

別家義国の玄孫(やしゃご)にあたる「足利泰氏(やすうじ)」には子供が三人おりますが、次男の「義顕(よしあき/よしあきら)(兼氏から改名)」が上野国「渋川荘」を拝領します。

そしてこの義顕が「渋川氏初代当主」を名乗り、足利一門の中枢としての「渋川家」はここから始まります(1220年頃)。その後は代々北条家から妻を迎えて幕府を支えることになります。

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渋川義顕の名前は歴史上に中々出てまいりませんでしたが、鎌倉時代の歴史書吾妻鏡」に鎌倉幕府御家人であったと書かれています。「1245年:鶴岡八幡宮放生会に五代将軍「藤原頼嗣(よりつぐ)」に供奉」。「1256年:六代将軍宗尊(むねたか)親王北条政村の邸宅に出向いたときに供奉」。と書かれており、将軍に供奉するということは相当信頼されており位も高かったことがこのことから読み取れます。

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次に二代目「渋川義春(よしはる)」についてお話しします。北条家の娘と結婚しますが、なぜか1年間佐渡へ配流されます(1272年頃)。1年後には復帰するのですが、これは北条一門の内紛に巻き込まれたためで、後に誤解が解けたものと思われます。

鎌倉時代は殺し合いの時代だったため北条家でも家督争いがおこり、鎌倉幕府八代執権「北条時宗(と きむね)」が、鎌倉幕府出先機関である京都の六波羅探題の責任者で異母兄の「北条時輔(ときすけ)」を、勢力争いで暗殺してしまいます(1272年)。

この頃から鎌倉幕府は激動の時代に入るわけです。蒙古軍・フビライの二度に渡る領国目的の攻撃(1274年・1281年)を受けますが、幸いにも神風と呼ばれる台風が味方して二度とも撃退するわけです。結果的にはこれを最後に蒙古軍は来ませんでしたが、先のことは分かりませんので三度目の攻撃に備えての用意をしなくてはなりません。鎌倉幕府はお金が無くなり財政が困窮します(1285年頃)。武蔵国辺りからも御家人が防人として九州まで出向きますが、なんとこれが無報酬だったため御家人たちも疲弊し幕府への不満が大きくなりました。

 この困窮の時代に三代目「渋川貞頼(さだより)」(1290年頃)はどうやって生きようとしたかを考えてみます。このときの貞頼まだ鎌倉幕府御家人として活躍しているものと思います。ということは名前の「貞」は第九代執権の「北条貞時(さだとき)」の諱(いみな)「貞」を頂いていることでも分かるように、北条家と渋川家の強い絆を伺い知ることができるからです。(後年、娘の「頼子」は尊氏の弟「直義」の正室になっています)。

この貞頼のとき(1300年頃)に宗家(足利家)はどうなったかといいますと、一緒に戦ってはいますが「足利貞氏(さだうじ)」が側室として北条家以外からは初めて上杉家の「上杉清子」を迎えています。清子は足利高氏「後の尊氏(たかうじ)」(1305年)や、足利高国「後の直義(ただよし)」(1307年)の生母となりました。

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畿内(大阪地方)に於いては楠木正成千早城に籠り、日本全土に反乱を誘発させることに成功し、これを見た後醍醐天皇が倒幕を鮮明にします。これに呼応した「新田義貞(よしさだ)」は生品神社群馬県太田市新田市野井町)で旗揚げし、鎌倉壊滅に向かいます。このとき足利尊氏鎌倉幕府の中にまだ残っており、後醍醐天皇軍討滅に向かいますが既に後醍醐天皇と裏で繋がっていたため、三河で反旗を翻し鎌倉幕府出先機関である京都の六波羅探題を討滅します。1333年6月鎌倉幕府が倒れる。

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下剋上、裏切り、仲間割れ、さらには親子・兄弟・親戚でも争う戦国の時代。何が起きてもおかしくない怖い時代ですね。私がこの頃に生きていたら雑兵の一人として戦場を駆け巡っていたのかな。平和な時代の日本に生きていることに感謝し、全世界から戦争が亡くなりますように。

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 現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

6月10日(木)に行われた第11回オンライン公開講座「蕨城主 渋川氏の話」は『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』で放送中です。本日7月8日(木)までで、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第12回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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また、第12回オンライン公開講座は本日7月8日(木)20時より、先日叙勲され、【瑞宝小綬章】を受賞されました栗原秀人様が「下水道の深~い話」と題して、多くの施設が地下にあるため意識されることの少ない下水道の、疫病対策や市内の浸水対策についてお話しくださいます。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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