笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

加速する温暖化(1/5)

2022年2月10日(木)20時より、笑楽日塾 オンライン公開講座 PartⅡ第7回「加速する温暖化」が開催されました。講師には蕨市内にお住いの岩田好廣さんをお迎えし「今地球に何が起きているのか」、普段私たちが何気なく生活しているなかで「自分が出来る対策は何か」について解説してくださいました。今回は公演内容を5回に分けて水曜日と土曜日に投稿しますのでご期待ください。

≪荒井塾長挨拶≫

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皆さん今晩は。笑楽日塾の荒井貞夫でございます。

今夜はオンライン公開講座にご参加いただき誠にありがとうございます。公開講座開催にあたり一言ご挨拶申し上げます。

私は1月27日に「新型コロナウイルスワクチン」3回目の接種を受けてきましたが、その後2週間以上経ったものの全く安心できない日々が続いています。

今の世の中は暗い話が多いわけですが、そんな中にも何か少しでも明るいことはないものかと探してみると、個人的なことですが一つ見つけましたのでご紹介します。私は12月9日の当オンライン講座で「新幹線電車発祥の地はどこですか」というお話をしました。これを蕨ケーブルビジョン㈱がウインクパラダイスという1時間番組で1月14日~20日まで1週間放送してくださいました。私が毎日通っているスポーツクラブで時々お会いする方がロッカールームで「夕べテレビを見たよ。良かったよ。」と、声をかけてくださいました。

偶然そこにおられたシニアの紳士が「何のことなんですか」と聞いてこられたのでご説明したら、翌日に早速「テレビ見たよ。良かったよ。」といっていただきました。このことを笑楽日塾の全塾生宛にメールを送信したところ、塾生の1人から「その方は市内の小学校で放課後子ども教室の実行委員長をされている方だよ」と教えてくださいました。教えてくれた方も別の小学校で放課後子ども教室の実行委員長をしておられ、お二人は蕨市の小学校で放課後子ども教室が始まった2007年から、学校関連の会議で良くお会いしているということでした。

オンライン公開講座のテレビを通じて出会いがあり、オンラインの仲間が一人増えたという嬉しいお話でした。

さて、今夜はオンライン公開講座PartⅡの7回目でございます。このオンライン公開講座は私たちが知っているようでいて、実は知らなかった扉を開けて「皆様が参加してよかった」と言っていただけることを願い、PartⅡ第7回公開講座開会の挨拶と致します。

今夜は「加速する温暖化」と題しまして、市内在住の岩田好廣さんが今地球に何が起きているのか、地球を変えてしまった原因は何か、その対策をしなかった時の最悪のシナリオとは何か、普段私たちが何気なく生活している中で、自分で出来る対策のヒントを解説してくださいます。私たちが知らない世界はまだまだあります。岩田好廣さんよろしくお願いします。

岩田好廣様講演

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岩田好廣です。私は本講座の講師としては2回目の出演で、前回は昨年の11月11日に箸のお話「日本人だから知っておきたい箸のマナー」をさせていただきました。その後に皆様からいろいろなご意見をお聞きしましたので、気付いたところをブラッシュアップしているところでございます。

先ほど塾長からご紹介がありましたように今日は前回と打って変わり、「加速する温暖化」というテーマでお話をさせていただきますのでよろしくお願いします。

地球の温暖化というニュースはNHK等のメディアでも取り上げられており、皆様もご存じのことと思いますが、この解決策を模索することが社会的にも大きな課題になっています。しかし、コロナウイルスのように「直ぐに自分自身に関係するものではないな」「身近な問題ではないな」と感じられる方も多いことと思います。直感的に自分が感じられるものではないため、短いスパンではなく長期のスパンで見ていかないと、やはり他人事になってしまうのかなと思っています。

加速する温暖化

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加速する温暖化は今すぐ我々に影響するものではないのですが「子や孫の世代が幸せに暮らせるためには我々が何を残していけるんだろう」。このようなことに関して一緒に考えていきたいと思います。

今日は加速する温暖化ということで大変複雑で難しい問題ですが、出来るだけ分かり易くお話しさせていただきます。

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加速する温暖化には三つの形態があります。①「今、地球上で何が起きているのか」温暖化・温暖化と姦しいが実際にはどうなっているのか。②「地球を変えてしまったもの」とは具体的には何か。③では「何が起きているのか、今後どうなるのか」ということをまとめてお話いたします。

今日のお話は、皆さんご存じのSDGs17の目標の中から左の図に示した通り5つの目標に関係することになります。SDGs17の目標や今日のお話に関係する5つの目標とはどのようなものなのかをご紹介していますのでご確認ください。

≪今、地球上で何が起きているのか≫

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地球が出来上がってからの約5億年のスパンで見てみますと、5億年前の地球は大変熱い星でした。その後次第に冷え始めますがこの間をホットハウスといい、冷えた地球全体が氷に覆われている間をアイスハウスといいます。5億年前からホットハウスとアイスハウスを交互に繰り返していることで、熱い地球とものすごく寒い地球を繰り返してきたことになるのです。そのような中でにわかには信じられないかもしれませんが、今の地球は熱い星ではなく氷河期の中の間氷期になります。この図で見ますと6550万年前の地球は暖かかったことが分かりますし、コメントとして「この時には恐竜が絶滅した」と書かれています。その後地球は氷河期を迎え、今は間氷期といわれる状況になっています。

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もう少し小さいスパンをグラフで見ると、地球は10万年毎に氷河期と間氷期が定期的に繰り返されていることが分かります。氷河期や間氷期があることによって海水の量が増減するため、海面の高さが上下します。この現象は地球のサイクルとして太古の時代から延々と繰り返されているのです。

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このような現象がなぜ起きるのかということの説明に、ミランコビッチが「地球の公転軌道の離心率の周期的変化、自転軸の傾きの周期的変化、自転軸の歳差運動という3つの要因により、日射量が変動する周期である。」と証明しており、これをミランコビッチ・サイクルといいます。

写真の左側のように地球は太陽を中心に回っていますが、実は真円ではなく楕円で回っているのです。地球の公転軌道は木星の重力に影響されるため楕円に変形され太陽から遠くなったり近くなったりしています。太陽との距離が近い時には太陽光のエネルギー量が多くなって暖かくなり、遠くなるとエネルギー量が少なくなるため寒くなります。このようなサイクルで地球は公転しているのです。

もう一つは写真の中央のように地球の自転です。コマの回転を想像していただくと分かりますが、コマの軸は垂直に立っているのに対し、地球の軸は平均で22.1度から24.5度位の間で首を振っている状態になります。この角度が小さくなって垂直に近くなると寒くなり、軸が斜めになって傾く角度が大きくなると暖かくなります。地球はこのようなサイクルで回っています。

写真の右側はコマの首振り運動で、地球が首を振ることによって太陽の光の入り方が変わってきます。

この3つが複雑な動きをするため間氷期と氷河期が10万年毎に起きていて、昔から続いている地球のサイクルになっています。

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それでは今はどうなっているのか。地球の平均気温は1億5千万年前から徐々に暖かくなり、1万年前からは間氷期に入るためその後は気温に変化がない状況が続き、計算上では産業革命の頃から氷河期に移るはずでした。ところが皆様ご存じのように、産業革命のときにワットが蒸気機関を発明し酸素を燃やしたため、二酸化炭素の量が僅かではあるものの40ppm程増えてしまい、氷河期どころか逆に産業革命以後150年の間に地球の平均気温は1.2度上昇してしまいました。

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この1.2度は自然に上昇したものではなく人間の活動によ って起こったもので、この問題を真鍋淑郎博士が解明してノーベル物理学賞の受賞に至りました。博士はなぜ地球が温暖化したのかを、地球の体温を計る理論で提唱して受賞されています。それではこの1.2度上昇が何で問題なのか。一般的には「僅か1.2度じゃないか」と考えがちですが、人間の場合体温が1度上がるとだるくなりますよね。私は平熱が低い方なので体温が1度上がると「だるい」「なんとなく調子が悪い」となり、そんなときにはおとなしくしています。地球も同じように1度変わることによって自然の中でいろいろな現象が起きてきます。

この150年の間に急激に1.2度上がったのが問題であって、1万年とかの長いスパンで上昇したのであれば1.2度上がったとしても、動物などの生物は適応しながら進化できるのであまり問題にはなりません。ところが急激に変わることによって生物がそこに適応できなくなってしまった場合に大きな問題となります。

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地球の温暖化が加速しているというお話でした。本来であれば今の地球は暑い星ではなく氷河期の中の間氷期に当たるそうです。しかし、現実は産業革命以後の150年間に地球の平均気温は1.2度上昇してしまってとか。何か方策はないものでしょうか。次回は「何が問題なのか」についてです。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

蕨市内の公園と河津桜探訪記(2/2)

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前回は市内でも比較的南側の4か所をご紹介しました。引き続き「蕨市内の公園と河津桜探訪記(2/2)」で、MAPの⑤~⑧をお送りします。埼玉県蕨市の春をご堪能ください。

河津桜(カワヅザクラ)は、ソメイヨシノに比べて早い時期に開花する早咲きの種で、名前の由来は静岡県河津町で見つかったため。カンヒザクラ系と早咲きのオオシマザクラ系の自然交配種によると考えられている。ソメイヨシノに比べ花が大きく、色も濃いピンク色で華やかな色になる。ソメイヨシノは「一瞬にして咲き」「惜しげもなくぱっと散る」ため、潔さを美徳とする日本人の心に溶け込んだもの。河津桜は開花の時期が早く、咲いている期間も長いため早くから長く愛されるのが特徴。早く咲く年には1月初旬から咲き始めたり、遅い年には2月中旬になることもあるため開花の予想が立てにくい花とのこと。

MAP⑤蕨ゴルフクラブ

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ここは公園ではありませんが、蕨駅から徒歩約10分位の所にあるゴルフ練習場 です。ここの駐車場には枝振りも立派な河津桜が1本あり、ゴルフの練習に来られる方のみならず、隣接するスーパーマーケットの買い物客にも目を楽しませてくれます。この日には既に緑色の葉っぱがちらほらと。

MAP⑥西仲公園:

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MAP⑤の側に位置しており、ソメイヨシノの大木が林立していますのでお花見が楽しめる公園です。ここには河津桜が1本あり、木はまだ小さいものの蕨の河津桜の中でも早めに咲き始めます。この日には既に緑色の葉っぱがちらほらと見えていましたので、この辺りは蕨に中でも少し早く咲くようです。

MAP⑦個人宅:

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ここも写真⑤と⑥の近くで河津桜は4本位ありますが、個人宅の敷地内ですので道路から見 ることになります。この辺り⑤⑥⑦は河津桜の密集するゾーンになっています。

MAP蕨市民公園:

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番外編になります。ここに河津桜はありませんが、早先の種類で「おかめ桜」があります。1947年に父親をカンヒザクラ、母親をマメザクラとしてイギリスで誕生し、日本に逆輸入したもの。今から70数年前に生まれた比較的新しい桜の品種で、名前の由来は日本で古くに美人の代名詞として使われていた「おかめ」をイメージしているとか。おかめ桜は京都府出町柳の長徳寺山門で咲いているものが有名で、京都で一番早く咲く桜のため観光客に大人気だそうです。蕨市民公園のおかめ桜も長徳寺山門くらいのサイズに成長するのを楽しみにしています。

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蕨市民公園は町中にある公園としては珍しく、バーベキューが出来る公園です(要予約)。工夫を凝らした人工の小川と池のほか、遊び場もある蕨市最大の公園で、多目的広場は芝生が生え、その周りには多様な遊具や、ランニングコースなども。公園の管理事務所には毛布や担架、非常用トイレ、飲料水や食料品なども備えられて、防災公園としての役目も担っています。また、多目的広場の周りにはソメイヨシノが沢山植えられているため、春には大勢の花見客が集まります。しかし、コロナウイルスの感染拡大が始まってからは桜祭りも開催できず、今年を含めて残念な春が続いています。

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改修工事を行っていた大型複合遊具も令和3年10月16日(土)に完成し、子供連れのお父さんやお母さんで賑わっています。

蕨市平和都市宣言(昭和60年9月)を記念し、平和之母子像(作:岩田 健)を市民公園に建立。この宣言により、戦争を知らない世代に戦争の恐ろしさを語り継ぎ、地球より重い生命を守っていくことを誓っています。

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 今回は河津桜に焦点を合わせてご紹介しましたが、河津桜の次はソメイヨシノの出番です。蕨市民公園や南町桜並木遊歩道には桜の数も沢山あり、毎年華やかな雄姿を見せてくれます。

蕨には小さな公園が沢山あり、その多くには桜(ソメイヨシノ)が咲いています。公園の他にも多くの神社や寺院の境内でも愛でることが出来ます。散歩しながら沢山のお花見スポットを通ることが出来ますので、お勧めいたします。これからの時期は散歩が楽しいですね。

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次回3月30日(水)からは「加速する温暖化」と題し、市内在住の岩田好廣さんが今地球に何が起きているのか、地球を変えてしまった原因は何か、その対策をしなかった時の最悪のシナリオとは何か、普段私たちが何気なく生活している中で、自分で出来る対策のヒントを解説してくださいます。私たちが知らない世界はまだまだあります。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

蕨市内の公園と河津桜探訪記(1/2)

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今年も桜の花が華やかになるシーズンを迎えました。3月16日(水)に市内を散策して早咲きの桜、「河津桜」の開花状態を調べてきましたのでご紹介します。なお、蕨の開花時期は伊豆の河津町ほどは早くないものの、市内の桜の中では早い方でソメイヨシノよりも早くから花が咲き、春の訪れを実感させてくれます。花弁の色はソメイヨシノの淡いピンクに比べるともっと濃く、明るいピンク色。満開の期間は約1週間から10日間と比較的長く、可憐な花が人々を楽しませてくれます。早く咲くために木の本数は少なくても目立った存在になります。

河津桜早咲きのオオシマザクラ系とカンヒザクラ系が自然交配されたものと推定され、今からおよそ60年前に見つかった比較的新しい品種だとか。花言葉は「思いを託します」「淡泊」「純潔」「優れた美人」「精神美」だそうですが、私には良く分かりません。

コンパクトシティ蕨市内には大小合わせて40ヶ所以上の街区公園が点在しており、それぞれに個性を持たせた特徴のある公園になっています。河津桜の咲く公園は、私が見つけた限り5ヶ所あったものの、小さな公園ゆえにそれぞれ1~2本が限。公園以外にも2ヶ所ありました。

MAP①ふるさと土橋公園:

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この公園は私も所属する笑楽日塾の塾生新井邦夫さんが代表を務める「ふるさと土橋公園を育てる会」の皆さんが、行政から維持管理を依頼されていて毎週土曜日に清掃や草むしり、花壇作り等に勤しんでいます。住宅街の中の公園としては比較的広い作りで、中央は広場になっているため近所の幼稚園児の遊び場にもなっています。夏には木陰で水遊びもできるじゃぶじゃぶ池があり、親子連れの憩いの場でもあります。ここはい つ行っても綺麗に整備されている公園で、朝のラジオ体操には近所の方が50人位集まるとか。この公園には河津桜が2本あります。

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なお、このふるさと土橋公園には黄緑色の花を咲かせる珍しい桜「御衣黄(ぎょいこう)」が2本あります。咲き始めの花弁は緑色ですが、徐々に黄色に変化してやがては中心部が赤くなるとか。ソメイヨシノの後に開花し、派手さはないものの八重の大輪がどっしりと落ち着いた感じ。花言葉は「永遠の愛」「優美」「心の平安」「精神美」。

MAP②ねむの木公園:

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河津桜は1本のみですが、公園の中心には名前の由来になった「ねむの木」が1本あり、冬には中央の高木に華やかなデコレーションが飾られます。ここはご近所にお住いの方々が自主的に手入れをされている公園で、夏には周囲に植えられている沢山のあじさいの花が咲き、中には珍しい品種のものもあるそうです。また、ここには立派な大木の枝垂れ桜がありますが、私が見た時にはまだ堅い蕾がちらほらでした。これから先が楽しみです。

MAP③あけぼの公園:

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この公園も河津桜は1本で、広い土のグラウンドが印象的でした。竣工記念碑には 「南部地区第一西町土地区画整理事業」の文字が見えます。裏面の事業概要には、施工面積166,280平方米、移転戸数289戸。と書かれていますので、詳細は分かりませんがかなりの大事業だったものと思われます。

MAP④三和公園:

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昭和12年(1937年)蕨町(現蕨市)に隣接する、北足立郡戸田村(現戸田市)が3年 後に開催予定の東京オリンピックのボート会場に決定し、そのボートコース開削で出る大量の土砂を蕨の湿地まで運び埋め立てました。この埋め立て地は日本で最初に建設された大規模住宅団地となり、各区画にはそれぞれ植物の名がつけられた公園が作られて今日まで残っています。

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園内にある記念碑は、地域の有志が街の歴史を後世に残そうと「三和町を語り継ぐ会」を結成して建てられたもの。碑の側には河津桜が1本確認でき、看板には「2009年に蕨市市制施行50周年記念で植樹された」と書かれています。この公園の地下には「非常用飲料水貯水槽」が埋められているとか。

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今回蕨の河津桜を紹介するにあたって、花の咲き具合を確認するため 3月5日(土)に下見をして回りました。この時の花の様子はまだ蕾、または1~2部咲程度でしたが11日後の3月16日(水)に写真を撮り歩いたときにはほとんどが満開。または散り初めで最高の見頃だったかもしれません。歩き回った8カ所のうち前半の4ヶ所をご紹介しましたので、次回3月26日(土)には後半の4ヶ所をご覧いただきます。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

手漉き和紙の里探訪記(6/6)

5回に渡り手漉き和紙に関する様々な角度からの解説をしていただきました。古くは中国から渡ってきた歴史や日本人の知恵で改良してできた良質な和紙。日本全国に広がった和紙の里。今回は皆さんからの質問にお答えしていただきました。

≪Q&A≫

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Q1:貴重なお話をありがとうございました。大変勉強になりました。トロロアオイとかノリウツギとか のあまり聞き慣れない材料が出てきました。私が子供の頃には紙を使ったいろいろな製品が生活の中に沢山あって、和傘を差して学校に通ったものです。お聞きしたいことは、町会のお祭りなどに使う提灯に貼る紙もやはり和紙なのでしょうか。

A1:全部和紙です。和紙に油を染み込ませたものです。

Q2:川口・戸田・蕨でも紙を漉いていたとお聞きしました。横曽根和紙という名前は初めて知りましたが、なぜ有名にならなかったのでしょうか。

A2:お答えします。落し紙を漉いていたのであまり格好の良いものとは思わなかったのでしょう。

Q3:でも生活必需品ですので残念ですね。

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A3:昔この辺りも綺麗な水が流れる毛長川があって、良い紙が漉けたのですが残念です。

Q4:手漉き和紙には「溜め漉き」と「流し漉き」というものがあるとお聞きしました。お話の中で「溜め漉きから流し漉きに改良された」とありましたが、今はもう溜め漉きは行っていないんでしょうか。あるいは紙の大きさによって使い分けているのでしょうか。

A4:私が277ヶ所回った和紙の里は全部流し漉きでした。紙漉きが中国から渡ってきた時には溜め漉きでしたが、これでは駄目だということで流し漉きにして中国に逆輸出しました。

Q5:それは紙の質というよりも量産が出来たということでしょうか。

A5:その逆で紙質の問題でした。流し漉きの方が良質な紙が漉けます。

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Q6:紙幣も和紙を使っているとお聞きしましたが、今でも材料に楮や三椏を使っているのでしょうか。

A6:楮は使っていませんが、三椏はずーっと継続して使っています。大蔵省も三椏を栽培して使っていましたが、今では生産量が減ったため輸入にも頼っています。

Q7:強度があってお札には非常にいい材料といえるんですね。

A7:強度の他にも、ねりにトロロアオイとかノリウツギを使っているため、虫に食われ難いということがあります。ねりに蒟蒻のりを使ったらすぐに虫食いだらけになって、お札がボロボロになってしまいます。

Q8:先ほど凧の博物館を紹介していただきました。私も凧を時々作りますが、雁皮紙がミニ凧に丁度良い感じでした。雁皮紙の用途は他にどんなものがあるのか教えてください。

A8:雁皮紙はのりを虫に食われにくいものにして、公式文書などに使われていました。例えば昔の幕府や朝廷などが命令をする時の文書に使っていました。三椏ではもったいないからで、三椏は専らお札用でした。

「手漉き和紙の里探訪記」6回シリーズも今回で終了しました。自然が豊かで綺麗な水が豊富に流れる日本の原風景「手漉き和紙の里」これからも子孫のために末永く残したいものです。

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2019年6月9日の朝日新聞デジタルに『伝統的な手すき和紙づくりの存続が危機を迎えている。生産に不可欠なトロロアオイを栽培する茨城県小美玉市の農家5戸が、来年で作付けをやめる方針を決めたからだ。この5戸で全国生産の7、8割を占めており、和紙生産者には大打撃になりかねない。』とのこと。生産者の高齢化と収入面で割に合わないのが問題のようです。

また活版印刷研究所のWEB MAGAZINE京都大学図書館保存のブログには『トロロアオイ日本一の栽培地が茨城県小美玉市で収穫量全体の5割ほど、残り3割が埼玉県小川町、2割が長野県で、一大栽培地が生産をやめるとなると、これは一大事。』とも。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。(リンクを貼る)

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

手漉き和紙の里探訪記(5/6)

前回に引き続き≪話題の紙里・和紙≫の後半をご紹介します。

≪話題の紙里・和紙≫後半

㉘宮崎県日向市の美々津和紙の製品で、様々な物が作られています。

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三重県松坂市深野は「深野和紙」が漉かれており、和傘にも使われています。また、深野は美しい日本の原風景「棚田」の景観や、高級牛肉の「松坂牛」発祥の地としても知られています。

㉚北海道の幌加内には手漉き和紙工房があります。ここの原料は楮とか三椏とかではなく、千草を使っています。

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㉛これは茨城県結城市にあります大桑神社で、紙の神様が四国の方から海沿いに銚子まで来て上陸し、この結城に社を建立しました。その後さらに、この地から関東や東北方面に和紙を広めていったという神社でございます。

㉜ この綺麗な絵は「美濃和紙の里」美濃市で行われている「美濃和紙あかりアート展」で、

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㉝この行灯には全て美濃和紙が使われています。

㉞これは日本橋にある「凧の博物館」の入場券と日本全国縁起凧を紹介したものです。

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㉟この凧は全て和紙で作られていますが、凧は和紙でないと紙が破れて直ぐに落ちてしまうからです。

㊱鹿児島県志布志市有明町志布志和紙(伊崎田和紙)の工房で、小学校の紙漉き体験も行われています。

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㊲面白いものに「軍道紙」があります。これは名前からして軍隊を想像させますが、実は全く関係ありません。では、何で「軍道」なのか、ここは東京都の奥多摩にある軍道という地名なのです。私もこの名前は軍隊から来ているものかと思っていましたが、実は違っていました。この軍道で手漉き和紙を漉いているから「軍道紙」と呼ばれているのです。

㊳三重の伊勢和紙は伊勢和紙会館(大豊和紙工業㈱)。

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㊴インクジェットプリンタ対応の手漉き和紙やお守りが作られています。

㊵四国の土佐で、はりまや橋の側に紙漉き場があり、これを土佐和紙と称し鳴子踊りの笠などにもこの和紙が使われています。

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富山県は置き薬で昔から有名ですが、おまけとして配られていた紙風船ももちろん和紙で出来ていました。

京都の手漉き和紙の里、丹後で漉かれる丹後和紙は長い歴史を持つ。㊷京丹後の大国主命因幡の白うさぎ。

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福島県いわき市の遠野和紙です。この卒業証書は小学生などが体験授業で和紙を漉きに来て、自分で漉いた和紙で卒業証書を作ってもらいます。伝統を維持するためにこのような運動を行っています。

㊹我々はこっちの方が良いですよね、いかにも美味しそうなラベルですよね。和紙はお酒の他にも味噌とか醤油のラベルにも使われていました。

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㊺先ほどもお話ししましたが、伊勢の深野から日本橋に出てきた小津和紙会館です。製品の展示会が行われているのに加え、手漉き和紙の体験をさせてもらえます。

㊻こちらは小川和紙で、埼玉県の小川町の入り口にあり、この奥に手漉き和紙の工房があります。

本日のお話は以上になります。ご清聴ありがとうございました。

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「手漉き和紙の里探訪記」6回シリーズの5回目をご紹介しました。日本では全国様々な所で和紙が作られていると知り興味が湧いてきましたので、まずは牛乳パックで葉書を作るところから始めてみましょうか。その前に我が家の障子を張り替えなくてはならないような。

次回は第6回で、Q&Aを紹介します。

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2月10日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第7回「地球温暖化とは何か」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、明日3月17日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送中です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

手漉き和紙の里探訪記(4/6)

手漉き和紙の里探訪記の4回目です。前回は全国の和紙の里を訪ねたお話をしてくださいました。今回は全国の和紙の里や工房・製品の紹介をしてくださいますが、少し長くなりますので、今回と次回の2回に分けて≪話題の紙里・和紙≫の前半をお送りします。

≪話題の紙里・和紙≫前半

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駿河柚野紙:白糸の滝⑯の近くには三椏の木と一緒に「三椏栽培記念碑」⑰という碑が建っています。この辺りは富士山の雪解け水が溶岩流の地下水となって湧出している所で、綺麗な水で三椏の栽培が行われています。幕末の頃に江戸へ運ばれた和紙は駿河半紙といわれていましたが、現在は駿河柚野紙として富士山が見える柴川町の紙漉き農家で漉かれています。綺麗な川の側には三椏を育てている栽培小屋⑱もあります。紙漉きには無縁だった方が埼玉県の小川他、全国の和紙の里で修行して開いたもので、2001年(平成13年)10月天皇、皇后両陛下が静岡県行幸の時に訪れてこの柚野紙をお買い上げになられています。

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信州松崎紙:農具川は東山低山帯仁科3湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)を源として、北アルプスの清流高瀬川に合流します。松崎和紙は農具川を流れる良質な雪解け水と地場の豊富な原料を使い、一般農家などの冬期間の副業として紙すきの技術が伝承され発達しました。ここの水は鉄分が多くて紙が黒っぽくなるといいます。しかい、現在では日用品やインテリア用品として加工し、気軽に使っていただけるいろいろな和紙製品を作っています。都内のデパートなどで展示即売会等を行っている有名な紙で、拙著「和紙の里探訪記」の表紙⑲にも使っています。

白石和紙:宮城県白石市で漉かれる和紙で蔵王紙とも呼ばれ、紙布(しふ)、紙子(かみこ)の名産地として知られています。また、昭和18年終戦の2年前に遠藤忠雄さん(故人)を宮内庁の職員が訪れて、重要記録用紙50枚の注文を受けたとのこと。縦1m、横63cmの2号という厚紙の和紙でした。では何に使うのか、昭和20年8月15日の日本敗戦で終戦となり、同年9月2日東京湾に於いて戦艦ミズリー号の甲板で、日本敗戦調印式が行われました。日本の代表は重光外相と梅津参謀総長、相手は米軍のマッカーサー元帥で、この時の降伏文書用紙が白石和紙だといわれています。「何処にそんな証拠があるのだ!」といわれた時に「証拠は自分だ!」と答えたとか。確かに伝聞証拠ではありますが、漉いて納めた本人がいるから調印できたのです。その本人曰く「日本側の署名は筆字だから楮紙でも良いが、相手はサインに万円筆を使うので、楮で漉いた和紙では滲んで駄目になってしまう。そのたために雁皮紙にした。」とのこと。

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この話、筆者は信じるがどうしても解明したければ降伏文書を出してきて、C14年代測定(放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい))をすれば、紙質も明らかになるはず。⑳白石和紙工房の全景です。

㉑先ほど紹介しましたが、信州松崎和紙工房の天井には原料をたくさん吊るしてあります。

㉒こちらは白石和紙の原料で楮の皮が山積されています。

㉓奈良の「お水取り」用の法衣(紙衣)で、白石和紙の紙布で作られています。保温に富み暖かい衣服です。

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㉔凧も和紙が良いですね。

信州の安曇野は天蚕の盛んな地で、桑の皮で漉いた逸品「有明和紙」があります。㉕は安曇野の天蚕を説明したもので、野放しになっている蚕が食べている木の皮を使って漉いたのが安曇野有明和紙です。

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また、安曇野戦災孤児を救うための共同生活を描いてヒットした、NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の舞台となり、全国的に有名になったとんがり帽子の時計台があります。私も夕方になるとラジオにかじりついていましたが、このとんがり帽子の歌をご存じの方は私と同年代位になられるのでしょうか。また、特産品のワサビも有名ですね。

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㉖沖縄には芭蕉紙や月桃紙(げっとうし)などの「琉球紙」も良い紙です。那覇には飲むこともできる綺麗な湧水があり、ここで育った植物「月桃」の皮で漉いた和紙が月桃紙です。

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㉗前回お話ししました埼玉県川口市にある横曽根神社です。この横曽根神社には落し紙の資料が残っていますが、この神社で漉いていたわけではなく、周辺の川口、戸田、蕨の農家で漉いていました。

 

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「手漉き和紙の里探訪記」6回シリーズの4回目をご紹介しました。『天蚕(ヤママユガ)は「繊維のダイヤモンド」または「繊維の女王」と呼ばれ貴重な繊維を作る。ヤマコとも呼ばれて野山に生息し、クタギやコナラなどの葉を食べる日本の固有種で白いカイコ虫』。養蚕は知っていましたが、天蚕は初めて知りました。次回は≪話題の紙里・和紙≫の後半です。

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2月10日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第7回「地球温暖化とは何か」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、3月17日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送中です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)に、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいました。笑楽日塾のオンライン公開講座は今回で全て終了しましたが、最終回の模様は蕨ケーブルビジョン㈱のウインクパラダイスで4月8日~4月14日まで1日2回(10時~、及び20時~)放送されます。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれませんのでご承知おきください。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

手漉き和紙の里探訪記(3/6)

手漉き和紙の里探訪記の3回目です。前回は製紙の歴史や古文書の保存等を紹介していただきました。今回はいよいよ全国の和紙の里を訪ねたお話をしてくださいます。

≪自称、手漉き和紙の応援団に≫

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紙里を巡るうちに危機的な状況を目の当たりにすることになり、自称「手漉き和紙の応援団」になりました。気が付くと2年半かけて全国の紙里を訪ね回り、約300か所、8万1千㎞の旅で、一緒に旅した相棒のクラウンを1台乗り潰してしまいました。ちなみに、伊能忠敬は17年間で4万㎞でした。

日常生活からは姿を消しつつある手漉き和紙ですが、絶えてしまうと他の伝統工芸品や美術品・伝統芸能が全て絶えてしまう危機にあることが分かり、その重大さに気付かされました。

なぜ手漉き和紙が必要なのか。手漉き和紙は古美術や古文書の修復に使われるため、その古美術・古文書が作られた当時の紙質に合わせて漉いた和紙が必要だからからです。修復する美術品等の和紙が楮で漉かれていたら、修復に使う和紙も楮で漉いたもの、三椏なら三椏の和紙でなければなりません。

日本だけではなく世界各地の美術品、絵画等の修復にも使われており、パリやロンドン・ニューヨーク他、世界各国の美術館から日本に手漉き和紙の注文が入ります。市販の紙では紙質が違うため修復できないからです。

また手漉き和紙は、地図や絵画・古文書の修復の他にも、歌舞伎の舞台衣装や舞妓さんの扇等々にも必要で、日本の伝統を支える縁の下の力持ちのような存在なのです。

≪今後の手漉き和紙の里を思う≫ここからは写真を中心にご説明します。

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⑧三椏の花が咲いているところです。

⑨三椏の皮を剥いで溶かして1枚ずつじゃぶじゃぶと手で漉いています。

⑩楮の皮を剥いで溶かしているところで、やがてドロドロに溶けます。

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⑪溶けたら舟(水槽)に入れて1枚ずつ漉いていきます。舟の大きさは畳何畳分にもなる大きなものもあります。

⑫漉いた紙は干さなくてはなりません。1枚ずつ板に貼って太陽の光で乾かします(天日干し)。機械は使いません。

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⑬ 三椏を栽培しているところです。

⑭製品群です。

⑮三椏の花です。昔は三椏木の皮を剝がして漉いた紙「三椏紙」で藩札を作りました。今でもお札には三椏が使われています。

≪今後の手漉き和紙の里を思う≫

そもそも手漉き和紙の多くは、農家の副業として発展し、明治時代には約6万戸を超える「漉き屋」があったとされています。しかし、時代と共に機械漉きが多くなり、環境の悪化、収入の低さ、需要の減少等経済状況の変化と後継者難も加わり、どんどん数を減らしました。今の後継者は60代なら若方だといわれているほどです。

このままでは2050年には絶えてしまう恐れがあるともいわれているため、私はもっと手漉き和紙の伝統継承に国を挙げて取り組むべきだと考えます。伝統技術の継承問題に直面しているのは、全国の地方自治体でしょうから、まずは手漉き和紙の盛んな場所を優先して支援してみてはどうだろうかと思った次第です。

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紙里の多くは自然が豊かで綺麗な川が流れる場所に存在しています。地球の環境が破壊されつつありますので、自然災害の多くなった昨今を考えた対策として、2~3県でまとまり若者が修行できる場所を設け、漉き屋を開業の支援をするのもありでしょう。

また、原料の楮・三椏・雁皮など生産地の衰退も大問題なのに加え、森林破壊の進む昨今は綺麗な水を守ることも大切です。少子高齢化、過疎化、河川・地下水の汚染、温暖化による気候の変化、自然災害多発、黄砂の飛来、原料不足、道具と職人不足等、取り巻く環境は年々厳しさを増しています。しかし、その本質は需要の減退であるため、収入減による後継者が絶えることが危惧されています。何故後継者が育たないのか、後に続く者が出ないのか、理由は簡単で、若者たちが将来像を描きにくく食べていけないからなのです。

≪木簡・竹簡から読み解ける、籌木(ちゅうぎ=排泄の際に尻の汚れを掻き落とす棒)から落し紙に移行≫

日本は古来より大便の始末に苦労してきた歴史がありますが、遺跡の発掘と年代測定の発展によりこれらの問題も徐々に解明されつつあります。籌木の時代も水洗トイレはありました。水洗トイレといっても屋敷の外を流れる小川などの水を敷地内に引き込み、跨(また)いで用を足すトイレを設置したのです。籌木でかき落し、汚物は水に流れて再び屋敷の外に出します。これはまた立派な水洗トイレといえましょう。その他、身分の高い人は城内や屋敷内にオマルを設置し、消臭や消音のために工夫して杉の葉等を敷いていました。

手漉き和紙が出来てもしばらくの間は高級な紙を落し紙として使うわけにもいかず、相変わらず籌木を使っていました。しかし、江戸時代になると浅草から下町方面にかけて再生紙(浅草紙)が作られるようになり、使い古した和紙を良く洗い筆字等を落し、揉み解してから再度手漉き和紙を作る。これでリサイクルした落し紙が使われるようになったのです。

紙里なら他に沢山あったのに、なぜ浅草方面だったのか。それは川の水が綺麗で豊富だったことに加え下町で人口が多く、吉原等の繁華街も近くにあり需要が多くあったことによります。

また、再生紙は落し紙として需要が高まり、浅草から先の豊島方面、即ち武蔵国へと伝播しました。現在の埼玉県川口市戸田市蕨市で漉かれ、横曽根和紙とも呼ばれました(横曽根神社の古文書より)。

なお万葉集によると、蕗(ふき)の葉が多く使われたため、拭くという言葉になったようです。

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「手漉き和紙の里探訪記」6回シリーズ3回目をご紹介しました。和紙の材料や漉き方、後継者難、籌木から落し紙への変遷など知らない事ばかり。浅草紙を少し調べてみましたら浅草紙は、浅草寺の少し北にある山谷堀に架けられていた「紙洗橋」付近で盛んに漉かれていたとのこと。しかし、今は堀も埋められ、信号の標識にその名残が残るのみ。再生した紙は墨が綺麗に取り除かれないため鼠色で、漉き方も雑で安価販売されたため庶民の間で鼻紙や落とし紙として使われたそうです。

次回は第4回で、全国の和紙工房や製品の紹介です。

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また、2月10日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第7回「地球温暖化とは何か」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、3月11日(金)~3月17日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送します。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)20時より、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいます。今、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描ききれない世界、奥州から頼朝の下へ85騎で駆け付ける義経が、蕨のお隣川口で軍勢を整えたという話からスタートいたします。私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

手漉き和紙の里探訪記(2/6)

手漉き和紙の里探訪記の2回目で、前回はご自身の著書や紙の博物館を紹介していただきました。今回は世界や日本における製紙の歴史などお話しくださいます。

warabijyuku.hatenablog.com

≪溜め漉き(ためすき)から流し漉き(ながしすき)へ≫

紀元前105年、後漢の時代に蔡倫(さいりん)が長安で麻の溜め漉き紙を作りました。しかし、蔡倫より240~250年以前には既に紙が存在していたことが現在では定説になっており、蔡倫は紙の改良者として伝えられています。手漉き和紙は607~608年に小野妹子、630年には空海最澄等の遣唐使によって、日本にもたらされました。この後手漉き和紙は、日本で「溜め漉き」から「流し漉き」へと改良され、原料も麻から楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)などに、糊も黄蜀葵(とろろあおい)などに変わっていきました。

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写真福井県の「越前和紙の里」にあります大滝神社(写真左)で、紙の神様「紙祖神川上御前(しそじんかわかみごぜん)」(写真右)が祀られています。

源氏物語(鈴虫)には、「唐の紙はもろくて朝夕の「御手ならし(みたならし=便所の紙)」にもいかがとて、紙屋(かんや)人を召して---心ことに清らに---かせ給えるに」とあります。この頃の紙は脆かったので、日本独特の手漉き和紙が生まれ、やがて中国へも逆輸出されていきました。

≪中国のため漉き和紙は西方へ≫

一方、中国で発明された製紙法(麻製紙)はバクダットに伝わりました。751年に中国の唐と、西のイスラム教サラセン大帝国アッパース朝との間で、中央アジアのタラス川を挟んで戦争(タラス戦争)が行われました。なお、タラスはカザフスタンキルギスの上、ジャンブール付近にあり天山山脈の西に位置しています。

唐は約3万の大軍でしたがアッパース朝に惨敗してしまい、唐の生き残り約2万が捕虜となりサマルカンドに連れていかれました。連行された捕虜の中には製紙法に通じていた紙漉き職人も含まれていたので、この職人たちによってサマルカンドの製紙技術が向上したのです。

サマルカンドの出土品からは706年に作られた紙が見つかっており、これ以前にシルクロードを通じて紙が流通していたことが分かります。首都サマルカンドに最初の製紙工場が出来て紙漉きが始まったのはこの時といわれています。中国製紙法の西方伝播はシルクロード史上特筆される事件でしたが、サマルカンドから先の西欧やアメリカ大陸には伝わっておらず、その後、1853年にペリーが我が国に開国を迫りに来るまで和紙は存在していません。使われていたのは羊皮紙とパピルスでした。

≪地図を片手に和紙の里探訪≫

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手漉き和紙のことをもっと知りたいと思ったきっかけは、二枚の古地図との出会いでした。漉かれてから200年以上も経つのに、腐敗や虫食いなどが見当たらないのに驚き、紙の里を巡り始めるきっかけとなった古地図の一枚に「行基菩薩説大日本國圖(ぎょうきぼさつせつだいにほんこくず)」があります。この地図を作ったのは和泉国大鳥郡(現在の大阪府堺市)出身で、81歳まで活躍した日本の仏教僧「行基(ぎょうき)」(618~749年)です。

行基奈良時代に全国を行脚し、布教の傍ら産業振興にも貢献し、人々から「行基菩薩」と称されています。この地図はおたまじゃくしを並べたような稚拙さですが、和紙で作られた大変貴重なものです。木簡・竹簡の時代から和紙を漉く時代に変わり、大化改新大宝律令によって全国に号令が出されることに役立ったのです。

国々が丸みをおびた輪郭で連なり七道の街道線が引かれ、東海道ほか七道の諸国は六十八州から成り立っているものの、蝦夷松前琉球王国は描かれていません。行基図は日本で初めて作られた地図といわれており大変貴重なものですが、残念ながら実物は現存しておらず、筆者が見たものは慶安四年(1651年)、徳川家綱の時代に復刻されたものでした。

≪貴重な「和紙の時代」のはじまり≫

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手漉き和紙のことをもっと知りたいと思ったきっかけになった もう一枚は安永七年(1778年)水戸藩地政学者、長久保赤水(ながくぼせきすい)の「大日本輿地路程全圖(だいにほんよちろていぜんず)」です。この地図は伊能忠敬が幕府の命で、全国測量を開始した寛政12年(1800年)より20年以上前のもので、我が国初の経度入り地図として知られています。全国で六十八州が描かれているのは行基図と同じで、やはり松前琉球王国が描かれていません。日本海沖の37°と38°の間には、竹島と松島が描かれており、これらの島では鮑漁が盛んだったため、島根藩を通じて江戸の将軍へと献上されていました。

≪なぜこのような地図が出来たのか≫

当時は水戸藩の船が太平洋沖で難破し、東南アジアまで漂流してしまうことがありましたが、乗っていた船は使い物にならないため、親切な現地の人達が船乗りを自分の船で長崎まで送り届けてくれていたのです。長久保赤水水戸藩の役人として働いていたので、水戸から長崎まで行って船乗りを引き取り、連れ戻す役を担っていました。赤水はこの往復の道中に各地で見聞きしたことを地図にまとめたため、残念ながら東北の太平洋側や北海道は描かれていません。100万歩の男といわれる伊能忠敬よりも20年以上前のことです。

≪他の古地図や古文書≫

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正倉院の古文書がそうであるようにこの二枚の地図の他にも、古地図達には腐敗や虫食いなどの劣化が見られないのには驚きました。反対に大正・昭和期の機械漉き紙の地図や文書は劣化が進み、折り目から破損したり、脱色や虫食いなどで年々無残な姿になっていきました。一体この差は何なのか、極めて素朴な疑問が湧き出したのです。

何故、機械漉きは劣化するのか、その劣化の原因は紙魚(しみ)にありありました。紙魚は原始的な昆虫で体系が魚に似ているため魚の字を使いますが、世界中には約200種類、日本にも数種類いるといわれています。

代表的な紙魚はヤマトシミで書庫、納戸、倉庫等の暗い陰に住み、紙類、書物、布等の糊を舐めて生きています。舐めるだけでなく紙に穴をあけるため、死番虫(しばんむし)と呼ばれている嫌われ者です。

それでは機械漉きの和紙になぜ紙魚がつくのか調べてみると、機械漉き和紙には紙魚が好きな薬品ノリが使われているからだと分かりました。一方、手漉き和紙にはなぜ紙魚がつかないのか、答えはノリに黄蜀葵(とろろあおい)や糊空木(のりうつぎ)を使っているからです。この違いは大きいのですが、手漉き和紙でも木ノリや蒟蒻ノリを使った古文書には紙魚の穴が開いたものがあり、古文書といえどもノリ次第といえます。これ等の知識をもとに全国の手漉き和紙の里を探訪しました。

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「手漉き和紙の里探訪記」6回シリーズ2回目をご紹介しました。製紙の歴史や地図の歴史・古文書の虫食い等、とても楽しく拝聴しました。

紙魚の話も面白かったですね。少し調べたら、昆虫鋼シミ目の昆虫の総称で世界中に生息しており、8〜10mm程度と小さく、魚のような形体をして体をくねらせながら移動して紙を食べる。英語では体の色から「silverfish」というそうです。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、2月10日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第7回「地球温暖化とは何か」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、3月11日(金)~3月17日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送します。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)20時より、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいます。今、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描ききれない世界、奥州から頼朝の下へ85騎で駆け付ける義経が、蕨のお隣川口で軍勢を整えたという話からスタートいたします。私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

手漉き和紙の里探訪記(1/6)

2022年1月13日(木)20時より、笑楽日塾 オンライン公開講座 PartⅡ第6回「手漉き和紙の里探訪記」が開催されました。講師は当笑楽日塾塾生が務めて手漉きと機械漉きはどう違うのか、材料や作り方など手漉き和紙の疑問に答えるとともに、日本の原風景ともいえる全国各地の和紙の里を古地図と現地の写真を見ながら解説してくださいました。今回は公演内容を6回に分けて水曜日と土曜日に投稿しますのでご期待ください。

≪荒井塾長挨拶≫

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

今夜は今年初めてのオンライン公開講座にご参加いただき誠にありがとうございます。オンライン公開講座開催に当たり一言ご挨拶申し上げます。

新しい年にふさわしい明るい話題でこのオンライン公開講座を幕開けしようと考えてきましたが、世の中にはいろいろと困ったことが起きるもので、昨年暮れに南アフリカで突然新型コロナウイルスのオミクロン株が見つかってしまいました。皆様も同じだと思いますが、それまで落ち着いていた日常が一変してしまいました。1週間前と比べる感染データが毎日発表されていますが、感染者の数は日々急激に増えています。今更ながらにこの病気の大変さに驚き、自分は大丈夫なのかと緊張しています。

びっくりしたのは、この蕨で1月8日に突然9人の感染者が出たことです。10日に3人11日は6人と発表され、私が予定していた約束もお断りしなくてはならない羽目になりました。

そんな中でも学校は一昨日から3学期が始まり周りの子供達も元気に登校していますので、私達シニアも負けてはいられません。(注:1月13日現在です。)

今夜はオンライン公開講座 PartⅡ第6回でございます。このオンライン講座が、私たちが知っているようでいて実は知らなかった扉を開け、皆様に「今夜も参加してよかった」と喜んでいただけることをお願いしてPartⅡの6回目の公開講座開催の挨拶と致します。

今夜は「手漉き和紙の里探訪記」と題しまして塾生の菊地正浩さんが、伝統文化を守る懐かしい風景が宿る手漉き和紙の里について語ってくださいます。ご期待ください。

≪菊地正浩塾生講演≫

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只今ご紹介いただきました塾生の菊地正浩でございます。今日のお話は手漉き和紙の里探訪記、そしてなぜ今手漉き和紙なのかについてお話させていただきます。手漉きと機械漉きはどう違うのか、手漉き和紙の材料や作り方などの疑問にお答えいたします。私は、九州の八女、四国の土佐、出雲の黒谷、美濃、越前、加賀、越後、等々日本の原風景ともいえる全国各地の「紙里」を訪ね回りました。

日本は紙の国で、古民家には障子や襖等に和紙が大変多く使われていました。今、紙里はどうなっているのか。これから紙里はどうなっていくのか。伝統文化を守りながら懐かしい日本の風景を残す手漉き和紙の里はもはや消えゆく運命なのだろうか。全国の紙里を廻りながらこのような疑問をもってしまいました。

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ここにご紹介する冊子国土交通省国土地理院が出している「地図中心」という月刊誌で、特集「和紙を漉く里」の中に拙著「和紙の里探訪記」が紹介されました。

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流石は国土地理院で、北海道から沖縄まで私が訪ねた全国277ヶ所を綺麗に地図上に落とし込んでくれました。

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また、個人的にはこのように手書きのものを残しています。

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和紙については東京都北区王子の飛鳥山に「紙の博物館」があります。ここには「手漉き和紙の今」として手漉き和紙をたくさん展示し、それぞれの説明がなされています。ご興味を持たれた方は是非訪ねてみてください。隣には主に北区の郷土資料を扱っている「北区飛鳥山博物館」と、晴天を衝くの「渋沢史料館」もあります。

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「手漉き和紙の里探訪記」6回シリーズ1回目をご紹介しました。北海道から沖縄まで277ヶ所の紙里を訪ねたご努力には、先輩に対して大変失礼ながら敬服いたします。

飛鳥山は花見の名所で「八代将軍徳川吉宗が約300年前に江戸っ子たちの行楽の地とするために飛鳥山を桜の名所にした」とか。ここには3つの博物館が並び、博物館ゾーンになっているようです。蕨からは電車で20分、コロナが収束したら行ってみたいと思います。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、2月10日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第7回「地球温暖化とは何か」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、3月11日(金)~3月17日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送します。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)20時より、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいます。今、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描ききれない世界、奥州から頼朝の下へ85騎で駆け付ける義経が、蕨のお隣川口で軍勢を整えたという話からスタートいたします。私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

会報誌「笑楽日塾だより」シニアの風⑦

2021年9月8日投稿分の「笑楽日塾だよりに載ったシニアの風⑥」の続きで7回目になります。

シニアの風も今回は17編目になり、人生経験豊富な塾生がご自身の思いを書かれた「本当のことと正しいこと」をご紹介します。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々なお考えを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回は少し硬い話ですが、皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

今回の記事は2019年9月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

第17篇:「本当のことと正しいこと」

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最近、米国を中心に世の中は、自国の利益最優先、若しくは自分達の利益最優先という風潮が跋扈しております。日本のマスメディアはかつてこのような事については毅然とした態度で時には体制批判をしながら正義とは何なのかを報道して来ました。しかしながら、民主党政権が崩壊し、中国の経済発展が進み我が国が世界第2位の経済大国から転落し、トランプ大統領が誕生し、またSNSが目まぐるしく発達し、皆が思いついた瞬間的な感情をそのまま公に発信する事が出来るようになった今、世界平和の為という論調はすっかり影を潜め、自国の利益最優先または、自分の周りの利益最優先でそのためには場合によっては外部を切り捨てても構わないという風潮が広がっていると感じています。

この風潮は決して正しくないという事は、小学生でもわかることです。多分環境活動家のグレタさんがこの件を論じたら各国の首脳達、特にトランプ大統領などはまた怒られるでしょう。愚かな大人達と。一方で地球温暖化の問題も似たような事が言えると思います。46億歳の地球が産業革命後2百年弱で1度ほどの平均気温の上昇が見て取れたという現実と今後百年弱で最大4.8度の平均気温上昇の可能性があるという問題です。私の記憶が間違っていなければ京都議定書やパリ協定で決められた事を本気でやろうとしている国は今どれだけあるのか疑問です。

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我が国を見ても東日本大震災の復興のため原発は稼働しておらず旧型の火力発電をフル稼働させて復興を進めてきたという現実があります。水力発電地熱発電太陽光発電風力発電で本当に賄えるのか、私には正しい計算が出来ません。グレタさんのような少女が幾ら泣き叫んでも感情だけでは判断出来ないというところが本音です。

今更ながらなのですが、一時の感情に決して流されることなく、客観的事実を積み重ね、そのような「本当のこと」の中から我々がどう行動するべきかを長期的な視点で真摯的に議論を進めていく事が大切であり正にこの行動こそが「正しいこと」であると考えます。最近何事にしても議論が足りないと感じます。感情的に自己主張をして相手を攻撃するだけでは何の問題も解決せず遺恨を残すだけだと思います。現在の日韓関係などはその最たるものであると思います。

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以上シニアの風の中から第17編「本当のことと正しいこと」をご紹介しました。地球温暖化の加速による“気候危機”のためシベリアの永久凍土が融け始め、氷の中に閉じ込められてじっとしていた未知のウイルスが大気中に飛び出してきたとか。『モリウイルス』という高い増殖能力を持つ新種のウイルスが発見されたそうです。新型コロナウイルスだけでも厄介なのに、これ以上世間を騒がせないで欲しいもの。増殖することのないよう願うのみです。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、2月10日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第7回「地球温暖化とは何か」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、3月11日(金)~3月17日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送します。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希

望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)20時より、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいます。今、NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人では描ききれない世界、奥州から頼朝の下へ85騎で駆けつける義経が、蕨のお隣川口で軍勢を整えたという話からスタートいたします。私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

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人生100年時代の楽しみ方(塾生の感想編)

前回は「プレゼン資料編」でしたが、今回はそれを見た塾生の感想を書きます。前回の冒頭に書きましたが、感想文の依頼に「文章や画像などに対して違和感やおかしいなと思える所は遠慮なくコメントを頂きたい」と書かれていたためか、忌憚のないコメントがたっぷりです。

≪試作品を見た塾生A氏の感想≫

説明資料をプレゼンしただけでシニアが、すぐに地域活動に入ってくることはあまり期待できないと思います。「シニアの地域活動はこんなにメリットがたくさんあって、本人や家族にも素晴らしいものだ」説得しようとしても、その場限りで、あまり印象に残らない。すなわち後になって、「やってみよう」という行動に移らない。なぜなら、このプレゼン資料は全体的に遠慮がちでインパクトが弱いから記憶に残らないからです。地域活動に参加して生き生きしている人たちを招き、本人にインタビューするとか、5分間ずつしゃべってもらうとかで実例を語って頂く。そうすれば、「あの人がやっている程度のことならば俺だってできる」と動機付けの判断材料になります。

まだ日が浅い、「笑楽日塾」の主な塾生に語ってもらうのもいいでしょう。参加者への動機付けの大きな参考になると思います。地域活動参加の実例を本人に語ってもらう。それが、一番効き目があるでしょう。

≪試作品を見た塾生B氏の感想≫

「試作品」を見て先ず直感的に感じたのは、これでは人の心の琴線に触れることはできないのでは、ということです。確かに綺麗に簡潔に作成されていますが、「だから、何なんだ?」っていうことです。プレゼンの内容は<とにかく外に出ましょう、それは今しかないのです>と言っているだけに思えます。

定年退職者たちに対する「孤独を避けたいのならば、定年後の男性は家庭や地域コミュニティでの仲間作りに励むしかない」という方向性を提示したいという思惑はうかがえますが、そもそもこの方向性は本当に「解決方法」なのかということです。なぜつながりを持つことが重要なのか「放っといてくれ」と思っている男性シニアにどう訴えるのか。

≪試作品を見た塾生C氏の感想≫

このプレゼンが中高年男性向けであるならば、いきなり本題に入るのではなく、自分に何かを感じるとか、考えさせられるとかの導入部分の話があった方がこのパワポが生きてくると思う。例えば、人は「何故、生まれているのか」「生きがい」「頼りにされる」「存在感」「人は一人では生きていけない」「自然との共存、共生」等々いささか哲学的にはなりますが、人としての本来の導入部分は必須と感じます。

例えば、この世の中で確かなことは、生まれてきた事と他界する事で、この2つの事実は、誰もが好き嫌いなく認めざるをえないし、どんな人生を送っていても最後は皆同じ運命が待っていて、どんな人生の旅であっても皆同じ終着駅に着くわけです。

皆が同じ終着駅に着くのなら、健康で元気なうちに途中下車を沢山して今まで出来なかったこと、やりたかったことをやってみる機会は無数にあるし、思いっ切りやってみるチャンスが有る。それは個人の意思でしかない。定年退職後は、そんな時だ。一番決断がしやすい。

自分の欲望を抑えて世間の常識の範囲で生きてきたシニアならば、定年退職後に自分の欲望を開放してみてはどうか。人生は一度しか無い。健康で体力がある年齢も限られている。70歳代後半になると気持ちと体は繋がらなくなる。タイミングを逸すると神から借りている体が使い物にならなくなる。60歳代が最後のチャンスかもしれない。自分がやりたかったことを実行できる年齢は。

しかし、自分は今まで社会人で頑張って来たのだから「のんびりしたい」と考えるのも正解。

人は「金太郎飴」ではない。切っても、切っても皆、同じではない。人それぞれ。それが個性でその人のアイデンティティ。外に出なくても自宅や自然と触れあい、感性を磨いて、頭の中はフル回転している人は沢山いる。それでも良いではないか。

それらを話し、リタイアした後、残りの人生を健康で毎日を有意義に過ごし、自分の存在感を毎日確かめながら生きていくことが重要であるなど、参加者の心のなかを刺激し、「確かにそうだ」と感じてもらう説明や、実際に活動している男だけの団体を呼んで「何故、団体を立ち上げたのか」の談話などをパワポ説明前に行ったほうが、理解度が深まると思います。

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かなり手厳しい内容の感想が並びましたが、それだけ地域デビューをするということは「取っ掛かりを見つける」のが難しい問題なのかもしれません。 私の周りにはリタイア後の日課が図書館通いという方が何人かおられます。図書館通いを否定するものではありませんが、外に仲間を作って地域活動に参加し、仲間とつながるのも大変有意義な事だと思っています。両立出来たらいいですね。

笑楽日塾は設立以来4年が経ちました。この間に積み重ねた多くの実績は誇れるものと思っていますので、行政主導の地域デビュー活動のお役にも立てたら嬉しく思っています。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、2月10日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第7回「地球温暖化とは何か」は『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』で放送されます。放送日は3月11日(金)~3月17日(木)までで、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第8回は3月10日(木)20時より、「頼朝と義経(栄光と確執)」と題し、笑楽日塾塾生が解説してくださいます。今、NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人では描ききれない世界、奥州から頼朝の下へ85騎で駆け付ける義経が、蕨のお隣川口で軍勢を整えたという話からスタートいたします。私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

人生100年時代の楽しみ方(プレゼン資料編)

2018年10月、埼玉県は「人生100年時代を楽しく過ごすため」のプレゼン資料(試作品)を作成し、笑楽日塾に感想を求めてきました。主にサラリーマンを経験した後にリタイアした男性を意識したもので「地域活動に関心はあるが、地域デビューが出来ておらず、危機感をもった定年前後の方が初めて地域活動をする際の心構えや、自分に合った地域活動の探し方の一例を挙げたもの」とのこと。要するに「定年後は家の中に引き籠らないで外に出て地域活動を初めましょう」というものでした。

このプレゼン資料は県内の市や町に配布し、高齢者の地域デビュー促進のツールとして作られたようで、シニアの集団「笑楽日塾」にも意見を聞きたいから「文章や画像などに対して違和感やおかしいなと思える所は遠慮なくコメントを頂きたい」とのこと。行政も高齢者が楽しく生活するために色々考えてくれているようです。

今回は前編として「プレゼン資料の紹介」、次回は後編で「塾生の感想」を紹介し、100年人生を楽しむ生き方について、また地域活動に参加してもらうためにはどうしたら良いかを考えてみます。

なお、2021年8月12日(木)、笑楽日塾のオンライン公開講座 PartⅡ第1回「シニアの地域活動」が開催され、ご自身がリーダーとして活躍されている小学校の「放課後子ども教室」と「土曜日の教育支援(土曜塾)」をメーンに、当笑楽日塾塾生が解説してくださいました。子供たちの放課後の過ごし方をサポートしてくださるスタッフには若い方はもちろんですが、シニアの方も沢山おられますのでこちらも参考にしてください。

≪プレゼン資料の抜粋≫

最近は人生100年時代ということが頻繁に言われるようになり、定年退職後も長い人生が待っています。現役時代を40年とし、1年の労働時間を1,800時間とすると、現役時代は7.2万時間を会社で過ごしていたことになります。しかし、定年から健康寿命(男性72歳、女性75歳とする)までの自由時間(睡眠時間や食事等を除く時間:1日12時間として計算)は、なんと6万時間もあるのです。

定年になると、会社での肩書きがなくなり、会社という”居場所”はもとより、会社関係で得た”つながり”もなくなります。現役時代は”つながり”が居場所を作り、仕事を生み出していたことになり、”つながり”により、収入、生きがい、健康などの恩恵がもたらされていたと言っても過言ではないでしょう。

定年後も楽しく元気に生活するためには何らかの”つながり”を築くことが、重要となります。まず、仕事が真っ先に思い浮かびますが、いずれ仕事からの完全な引退が訪れますので、仕事に代わるモノを用意しておかないと、楽しく元気に生きていくことはできなくなります。

あなたには、仕事に代わる”モノ”=”人とつながる居場所”はありますか?

地域活動とは、ボランティアのような地域社会に貢献する活動ばかりではなく、「自分の好きなことを生かして、一人でも多くの人と交流し、つながること」なのです。

その結果として、誰かに喜ばれたり、回りまわって他人の役に立ったりすることもあるかもしれませんので、地域活動を楽しく元気に、末永く続けるコツを考えてみましょう。

基本的に、仕事は金銭的報酬が対価となりますが、地域活動の対価とは何か、それは自分の活動に対する「共感」、人から受ける”ありがとう”という「感謝」、人との「つながり」ではないでしょうか。

特に、「つながり」は人生100年時代を楽しく生きるための”豊かな財産”です。つながることで、情報、知識・スキル、様々な選択肢が得られるのです。どうせ長生きするのであれば、いつも笑顔で生きたいもの。

江戸時代の偉人「伊能忠敬」は、当時、人生50年という時代であったにもかかわらず、49歳で、隠居後にかねてから関心のあった天文学を学んだことをきっかけとして、日本全国を測量し、日本地図を作成するという偉業を成し遂げています。

自分に合った活動に一日も早く出会い、これからの長い人生を楽しく、元気に過ごしていただくことを願います。(以上、県支給の~「地域活動」のすすめ~の素案を一部抜粋)

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ここまでは県から届いたプレゼン資料(素案)を要約してご紹介しました。ほんの一部分だけですし、画像も抜いたため少し分かり難いかもしれませんが、資料の内容は「一般的に知られていることを綺麗な文章で書かれているな」という感じで、少しインパクトに欠けているかもしれません。次回はこの素案を見た塾生の感想をご紹介します。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、1月13日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第6回「手漉き和紙の里・探訪記」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、2月10日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送中です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第7回は2月10日(木)20時より、「地球温暖化とは何か」と題し、岩田好廣様が「今地球に何が起きているのか、地球を変えてしまった原因は何か、その対策をしなかった時の最悪のシナリオとは何か、普段私たちが何気なく生活しているなかで、自分が出来る対策についてそのヒントを解説してくださいます。」私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

新幹線電車発祥の地はどこですか(6/6)

「新幹線電車発祥の地は何処ですか」の6回目です。5回目の続きですので最初からご覧になると、より分かり易いと思いますのでこちらもご覧ください。

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私は2007年8月(68才)に、それまで約9年間暮らしたインドネシア合弁会社から帰国後、日本車輌及び日本鉄道車両工業協会からの依頼でで、国立科学博物館に2年間勤務し、鉄道の歴史を研究発表する機会に恵まれました。

これが契機になってその後、経産省から頼まれてベトナムのコンテナ輸送計画、国交省・JICAから依頼されて「富士」と「はやぶさ」のブルートレインをマレーシアで復活させるプロジェクトを任され、JICAの依頼でカイロ地下鉄を手伝うなど日本車両退職後活躍の場が広がりました。

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その後は地元で学校や市役所、公民館などのボランティア活動を通じて蕨や川口とつながりを持つようになりました。

国立科学博物館での調査研究が実って、川口や蕨で、埼玉県庁や科学博物館、電気学会で鉄道の歴史を発表する機会がありました。

鉄道の歴史、新幹線の歴史を語りながら私が育った蕨工場の歴史・世界最初の新幹線電車が蕨工場で開発された歴史を語る内に、新幹線電車の開発・製造に従業員が一丸となって取り組んだ情熱と輝かしい成果を話だけでなく形として後生に残しておきたいと言う熱い想いが湧いてきました。そして機会ある毎に記念碑を建立したいという気持ちが高まり、あちこちでその実現を訴えるようになりました。

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特に大きかったのは平成25年(2013)に蕨駅開業120周年記念事業を実施したことでした。このとき私は蕨駅開業120周年記念事業実行委員会事務局長として各方面へ働きかけました。その中で記念碑建立を訴え続けました。また、蕨や川口で講演する度に記念碑を設置 しようと呼びかけました。

蕨では、和樂備神社境内に約1m四方の大きな赤御影石があって、これをただで使っていいと申し出てくれました。また、御影石への彫り込みは地元の石屋さん(石勘)がこれも無料で彫ってくれると地元の神社総代表・野島善蔵氏が話をつけてくれました。

ここまでは良かったのですが、期待していた駅前広場への設置がかなわず、諦めざるを得ませんでした。

その後も川口郷土史会や公民館事業で講演したり、川口のFMラジオを通じて講演したりして機会ある毎に記念碑建立を提案してきました。その頃は、建設資金はどうするのか等は考えていませんでした。動き出せばなんとかなると。

しかし、なかなかその機会はやってきませんでした。それから4年経って、芝園団地が平成30年に開業40周年を迎える事を聞きつけ、平成29年8月に芝園団地自治会(韮沢会長)を訪問し記念碑設置の構想をお話しました。しかし、このときは前へ進めませんでした。

それから更に1年ほど経って、芝園団地自治会・事務局長/岡﨑広樹氏に私が塾長を務める笑楽日塾(ワラビジュク)で「外国人との共生」と題して平成30年10月18日に講演していただき、このとき40周年事業として記念碑の構想を岡崎氏へ説明し、岡崎氏から前向きの感触を得ました。

銀座で弁護士事務所を開いている須田清氏から川口北ロータリークラブでの講演を依頼されました(平成30年10月24日に講演)。このとき記念碑のこと、設置場所のこと、予算のことを訴えました。須田会長からロータリークラブが「協力する、資金援助もする」との力強いご発言を頂きました。

一方、岡崎氏と設置場所について団地内の候補地を探して歩き、岡崎氏から土地の所有者であるUR都市再生機構へつないでいただき、設置場所が決まりました。

懸案だった設置場所が決まったので、令和元年6月になって、日本車輌OBへ働きかけ募金活動を始めました。川口北ロータリークラブ田中会長)から蕨ロータリークラブ(中村会長)へお口添えしていただき蕨からも資金援助の確約をいただきました。

もう一つの壁は「0系新幹線電車」という用語の使用や記念碑に刻む写真の提供についてJR東海日本車輌のご了解を得ることでした。幸い日本車両総務部の野田逸男氏が根回ししてくださり令和元年(2019)7月に了解を得ました。

最初は安価なアルミ複合板に印刷する事を考えていましたが、これでは耐久性に問題がある事から、頑丈なステンレス製に設計変更しました。価格は3倍以上になりましたが、結果的にはこの決断は正解でした。

碑文は自分の独断で書きました。制作者の一粒工芸にはポリスチレンの板に実物大に印刷した碑文と写真を貼り付けて、設置現場へ持ち込んでいただき、大きさや高さなどの感触を確かめました。

 記念碑の設置作業はUR都市再生機構が設置場所の整地を含め、頑丈な基礎工事、設置工事を無償で施工してくださいました。

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こうして、多くの関係者の絶大なご支援とご協力により99名が参列の元に2019年10月14日鉄道の日(元は鉄道記念日)に除幕することが出来ました。

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私がこのようなプロジェクトを完遂出来たのは鉄道関係者、地元の方々の深いご理解と温かいご協力のお陰と感謝しています。

いま、ここに記念碑が出来てあなたが来るのを、そして全国の鉄道フアンが来られるのを蕨駅でお待ちしております。

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「新幹線電車発祥の地はどこですか」6回シリーズも今回で終了しました。私たちが何気なく当たり前のように乗っている新幹線について、その開発秘話など私たちの知らないことを詳しくお教えいただいた今回のセミナーでした。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、1月13日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第6回「手漉き和紙の里・探訪記」は、『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』のウインクパラダイスで、2月10日(木)まで1日2回(10時~、及び20時~)放送中です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第7回は2月10日(木)20時より、「地球温暖化とは何か」と題し、岩田好廣様が「今地球に何が起きているのか、地球を変えてしまった原因は何か、その対策をしなかった時の最悪のシナリオとは何か、普段私たちが何気なく生活しているなかで、自分が出来る対策についてそのヒントを解説してくださいます。」私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

新幹線電車発祥の地はどこですか(5/6)

「新幹線電車発祥の地は何処ですか」の5回目です。4回目の続きですので最初からご覧になると、より分かり易いと思いますのでこちらもご覧ください。

Q14 新幹線電車発祥の地記念碑は何処にありますか

新幹線電車発祥の地記念碑は、2019年10月14日 鉄道記念日に除幕されました。場所は蕨工場の跡地で、芝園団地の中です。バス通りに面しています。除幕式には蕨駅長、芝園団地役員、UR都市再生機構、川口ロータリークラブ、蕨ロータリークラブ日本車輌OBなど99名が参加されました。川口市長奥ノ木信夫さんから祝電が寄せられました。関東、東北はこの2日前に台風19号に襲われて、その対応で、市長は出席出来ませんでした。

除幕式の写真です。このセレモニーは新聞や鉄道専門誌にも掲載されました。

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Q15 新幹線に関係する記念碑は他にもありますか

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新幹線発祥の地・記念碑という物は、既に2つございます。それじゃこれで3つ目かと言うと全く違う物です。二つの内の一つは、東海道新幹線のモデル線・鴨宮基地があった所に建っています。

これは、日本国有鉄道東海道新幹線開業10周年を記念して47年前の昭和49年8月に建てた物です。東海道線鴨宮駅から西へ約600mの所に建っています。線路の内側にあって、一般の人には見ることが出来ません

もう一つは、東海道線鴨宮駅南口に12年前の平成21年4月に地元の人たちが建てた物です。

これら二つの記念碑は【新幹線発祥の地】となっています。それは新幹線という車両・架線・軌道・信号・通信・変電・駅舎・運転制御などの高速鉄道全体を示す物です。

一方、私たちが建立したのは、それらの中で最も重要な車両・新幹線電車なのです。こちらは【新幹線電車発祥の地】なのです。新幹線発祥の地と新幹線電車発祥の地は違う物なのです。

 Q16 記念碑の協力者はどなたですか

この記念碑は芝園団地自治会の皆様、川口北ロータリークラブ会員の皆様、蕨ロータリークラブ会員の皆様、日本車輌OBの方々とUR都市再生機構の絶大なご支援とご協力により建立されました。

Q17 この記念碑を製作したのは誰ですか

記念碑の原案デザインは私がやりました。2枚の新幹線電車の写真は日本車輌が提供してくれました。これを地元川口市栄町にある株式会社一粒工芸・栗原社長が最終デザインと製作を担当しました。

Q18 何故、記念碑を建立したのですか

私はこの記念碑が、これから日本が世界に誇れる新幹線電車の輝かしい歴史を伝える礎になることを願っています。

・2019年10月14日の記念碑の除幕式には、かつて、蕨工場で汗を流し、営業や、設計や製造に携わった人たちも参列されました。私もその一人です。かつてこの場所で、強い信念と大きな使命感を持って、厳しい仕事に取り組み、激しい情熱を傾けながらも、失敗を重ねたときの苦労や辛い思い出、多くの失敗を乗り越えてつかんだ成功への喜びが、この記念碑にいっぱい、いっぱい詰まっています。

今夜は「新幹線電車発祥の地は何処ですか」というタイトルで、新幹線電車が何故、地元蕨・川口で誕生する事になったのかご紹介いたしました。

私は、日本車輌に50年勤務して13年前、2008年3月に退職後に、川口や蕨、埼玉県庁や国立科学博物館、電気学会などで鉄道の歴史を発表する機会に恵まれました。

私が育った蕨工場の歴史・世界最初の新幹線電車が蕨工場で開発された歴史を語る内に、新幹線電車の開発・製造に従業員が一丸となって取り組んだ情熱と、輝かしい成果を、話だけでなく、形として後生に残しておきたいと言う熱い想いが湧いてきました。そして機会ある毎に記念碑を建立したいという気持ちが高まり、あちこちでその実現を訴えるようになりました。

それが2年前に実現したのです。

蕨の人も、川口の人も、また、遠くにおられる方も、是非とも蕨駅で降りて、日本が世界に誇れる新幹線電車の、この記念碑を、ご覧になって下さい。

今夜は、ご静聴頂き有難うございました。

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次回は、「新幹線電車発祥の地は何処ですか」の最終回で「新幹線電車発祥の地記念碑建立のいきさつ」の2回目を投稿します。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、1月13日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第6回「手漉き和紙の里・探訪記」は『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』で放送されます。放送日は2月4日(金)~2月10日(木)までで、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第7回は2月10日(木)20時より、「地球温暖化とは何か」と題し、岩田好廣様が「今地球に何が起きているのか、地球を変えてしまった原因は何か、その対策をしなかった時の最悪のシナリオとは何か、普段私たちが何気なく生活しているなかで、自分が出来る対策についてそのヒントを解説してくださいます。」私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

新幹線電車発祥の地はどこですか(4/6)

「新幹線電車発祥の地は何処ですか」の4回目です。3回目の続きですので最初からご覧になると、より分かり易いと思いますのでこちらもご覧ください。

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Q9 ゼロ系電車の誕生は何時ですか

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試作車の成功に続いて一次車180両の生産が始まりました。

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試作電車の結果を盛り込んだ量産車は0系と名付けられ、1963年に生産が始まりました。

蕨工場はその先陣を切ったのです。

昭和38年(1963)12月には、先行6両の車体が完成し、翌39年2月に他社に先駆けて蕨工場で完成し、2月8日に、蕨工場内で構内試験を実施しました。

これが0系新幹線電車の誕生です。

Q10 新幹線開業式に十河信二総裁 島技師長は何故出席できなかったのか

 新幹線 開業

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・すべての準備を整えて、東京オリンピック開幕直前の昭和39年(1964)10月1日、ついに“夢の超特急”は東京~新大阪間を走り出しました。

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・戦後の苦しみや忍耐生活を吹き飛ばし、日本人が世界に向けて誇りを持ったといわれる華やかな開業式が挙行されました。その開業式のテープにはさみを入れたのは十河信二ではなく石田礼助総裁でした。

十河総裁は、建設資金超過の責任を取って、国会に呼び出され、開業目前に辞任されました。後任は石田礼助総裁でした。

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なぜ、総裁が辞任したのか。新幹線建設は、5年半にわたる建設で、資金確保が懸念されましたが、政府保証を得て、国際復興銀行(世界銀行)から8,000万ドル(288億円)の借款を受け、事業継続への強力な支援を得ました。この当時、新幹線建設には反対者がたくさんいましたが、この世界銀行からの借り入れ保証で、政府は後戻りできなくなったのです。

しかし、物価や用地買収価格の上昇、路線変更などで建設費がほぼ倍増し、昭和38年(1963)に十河総裁・島技師長・大石新幹線総局長らは責任を取って、新幹線完成前に国鉄を去らねばならなかったのです。

十河総裁の無念を晴らす

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ここに心温まるエピソードがあります。

国鉄職員は、東海道新幹線開業の晴れの舞台に立てなかった十河さんの無念を晴らすべく、東京駅19番線に十河さんのレリーフを設置したのです。

・それは昭和48年・1973年鉄道100年の記念すべき年のことでした。

・今、十河総裁は東京駅19番線で、新幹線電車の出発を毎日見守っています。皆様も東京駅へ行かれましたら、是非19番線の品川寄りの先端部にある十河信二の胸像をご覧になってください。

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・0系電車は57年前に蕨駅を出発し、12年前平成21年10月に生まれ故郷の埼玉へ戻ってきました。

十河信二愛媛県西条市出身で国鉄の第4代総裁として1955~1963年まで勤めました。(1884・4・14~1981・10・3)

Q11 新幹線が世界に与えたインパクトは大きかったのですか?

東海道新幹線は57年前、東京オリンピックの10日前、昭和39年(1964)10月1日に開業しました。

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東海道新幹線は日本の経済発展を支える大動脈になり、日本の高度経済成長期を象徴する存在になったのです。これが刺激になって、17年後にフランスで高速鉄道TGVが、27年後にドイツで高速鉄道ICEが開業しました。

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戦後、世界の鉄道界をリードしていた誇り高いフランスが、日本に追いつこうとしましたが、TGVの開発に17年掛かったのです、ドイツでICEが開業したのは、更に10年後でした。

これは新幹線電車の総合技術開発が、いかに難しく、困難で、優れたものであったかを物語るものです。その基礎を固め先端を拓いたのが芝にあった蕨工場なのです。

そこで働いたのは蕨や川口の人たち、その人たちの日々の暮らしを支えたのが川口や蕨の商店街の人たちでした。

Q12 芝にあった蕨工場は何処へ行ったのですか?

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蕨工場は49年前、昭和47年4月に、愛知県豊川市に移転しました。1540名が退職されました。

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豊川では、世界最初の新幹線電車を生んだ偉大な蕨工場の名前を生かして、その工場の名前を豊川蕨製作所と改名しました。

蕨工場で開発され、培われた0系新幹線電車の技術が豊川に引き継がれ、2019年8月2日に豊川で、新幹線電車製造4,000両という大記録が打ち立てられました。

Q13 蕨工場から最後に出場した電車はなんでしたか

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昭和46年(1971)4月13日蕨工場か最後の車輌113系電車が出場しました。

蕨工場で製造された0系新幹線電車は212両でした。

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次回からは、「新幹線電車発祥の地記念碑建立のいきさつ」を2回に分けて投稿します。

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現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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また、1月13日(木)に開催されたオンライン公開講座Part-Ⅱの第6回「手漉き和紙の里・探訪記」は『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』で放送されます。放送日は2月4日(金)~2月10日(木)までで、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方でオンライン公開講座受講をご希望の方は次のID番号でご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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オンライン公開講座Part-Ⅱの第7回は2月10日(木)20時より、「地球温暖化とは何か」と題し、岩田好廣様が「今地球に何が起きているのか、地球を変えてしまった原因は何か、その対策をしなかった時の最悪のシナリオとは何か、普段私たちが何気なく生活しているなかで、自分が出来る対策についてそのヒントを解説してくださいます。」私たちの知らない世界はまだまだありますのでご期待ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。(リンクを貼る)

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