笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

初めてお読みになられる方へ

f:id:jiajiawarabi:20200809093810j:plain

笑楽日塾とは 埼玉県南部に位置し、全国の市の中で最も面積が狭く、人口密度は全国の市町村で最も高い蕨市で活動する『就労からリタイアした、又はリタイア間近な男の集団』です。

タイトルは『笑楽日塾の事件簿』などと大層な名前を付けましたが、殺人事件は起きませんし名探偵も登場しません。埼玉県と蕨市を愛してやまない管理人が笑楽日塾の活動を前後の脈絡なく淡々と綴る備忘録もどきのもので、タイトルはミステリー好きな管理人の単なる気まぐれですので気楽にお付き合いください。

当ブログは笑楽日塾の活動を現在と過去に行ったり来たりしながら脈絡なく書きなぐりますが、個人情報保護重視の観点から多少理解し難いことがあるかもしれません。ご承知おきください。

また、多くのリタイアされた男性やリタイア間近の方に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで、社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

なお、毎週水曜日の更新を予定していますので、お手すきの時にでもお立ち寄りください。なお、詳細につきましては下記「初回のご挨拶」をご覧ください。

                    2021年01月19日    

≪ 重 要 ≫

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

第5回オンライン公開講座「弓道の真善美」(第4回)

弓道の真善美もいよいよ最終回(第4回目)になりました。オイゲン・ヘリゲル氏が書かれた本の紹介と、講演の最後に受講者の方々から質問をお受けしていますのでまとめてご紹介します。

 

≪「弓と善」の本をご紹介します≫

f:id:jiajiawarabi:20210112154437j:plain

「オイゲン・ヘリゲル」ドイツの哲学者が書いた本ですが、日本に来て数年間、弓を全身全霊で射る中で無心の体験することに弓道の奥義があると唱えた師に付いて、精神集中をするように技を深め、ついに無心の射を経験するまでの過程を整理して書した本です。考えるのをやめなさい。ヘリゲルが「自我を捨てて心を無にして的を射よ」と説く師の言葉に「善」の奥義を会得した本です。

 最後に東京中央審査特別演武の様子を映像で見ることが出来ますのでご紹介します。「三人一つ的射礼」と言って一つの的を3人で交互に弓を射る演武です。

https://www.youtube.com/watch?v=QzxsUB1M-6c

または、【弓道_8】 2013,11,8 【東京】定期中央審査 特別演武【kyudo】 で検索してください。

 ≪ 質 問 ≫

Q:一般の人からすると『弓道はちょっと敷居が高い』という感じもするのですが、少し身近なものにするために「弓」にまつわる慣用句2~3ご紹介いただけると幸いです。

A:それでは今のご質問に対しまして私の知っているところを3つほどご紹介したいと思います。皆さんがよくご存じの言葉に『光陰矢の如し』というのがありますが、意味は『時が経つのはとても速い』ということです。光陰の光は『日』陰は『月』、光陰で『月日』つまり時間を意味しています。時間は飛んでいく矢のように早いものだと言う例えです。次に『一矢を報いる』、敵の攻撃に対して矢を射返す。転じて自分に向けられた攻撃・避難などに対して大勢は変えられないまでも反撃・反論するという形の言葉です。最後に『手ぐすねを整える』という言葉の「くすね」は弓の弦に塗って弦を補強するものですが、十分な準備の下に『いざ来い』と、待ち構えている様子の例えです。

Q:45歳で弓道連盟に入会してから始めて、53歳で五段になられたとお聞きしました。三段まではトントンと3年くらいで昇段されましたが、三段から四段へはちょっと時間がかかっているようです。しかし、四段から五段には2年で、かなりのスピード昇段だと思います。ゴルフでもシングルクラスになるには相当な時間がかかるわけですが、振り返ってみて運動神経が人より優れていたとお考えでしょうか。

A:そういうことではなく、先生に恵まれて一生懸命教えていただいたからです。もちろん先輩方にも優しく教えていただきました。週4~5回は会社から帰宅後に北町体育館の道場に行き、最後のベルが鳴るまで1時間半くらい弾いていました。お休みの日は朝1番に行くと誰もいないので一人道場を貸し切った状態で結構楽しく練習した覚えがあります。

f:id:jiajiawarabi:20210112154606j:plain

Q:昇段試験は先ほど見た動画の演武のように5人一緒に行うのですか。

A:普通は5つの的に対して5人並び(持ち的)、蹲踞(そんきょ)して順番を待ち、1人ずつ立って矢を射ます。5番目の射手を「落ち」と言いますが、1人5分弱位かかりますので皆さん顔には出さないものの、立ち上がった時には『やっとか』という感じもありますね。

Q:お見せいただいた動画の演武が非常に美しかったのですが、足の運びは「お能」の一場面を見ているような感じで大変感銘しました。それから、左足から動き出していましたが、これは神道の作法と同じですね。(注:神棚に背を向けない。右足から前に進めると神棚に背を向けてしまう為)今日お話しいただいた「真・善・美」に大変感銘を受けました。どうもありがとうございました。

f:id:jiajiawarabi:20210112154651j:plain

A:動画では3人の演武でしたが、先ほど審査のお話しをしましたように、高段者になる程5人が同じ動作をしないと昇段が難しくなり、聞いた話では60人くらい受けて誰も受からないことがあったそうです。

Q:貴重なお話しありがとうございました。素朴な疑問ですが皆さん左手で弓を持たれて右手で矢を射っています。例えば右利きとか左利きとかの場合は逆になったりするのでしょうか。

A:それはありません。直させます。例えばギターなどは左利き用がありますが、弓の場合それは許されませんので直されます。なぜかというと審査する時に審査員から見ると後ろ姿になってしまうからです。

Q:始められるときに逆でやりたいと言われる方はおられますか。

A:初めて来たときに直されてしまいます。お箸と同じです。

f:id:jiajiawarabi:20210112154746j:plain

 最後に審査統一基準(五段以下)をご覧いただき、日本の伝統文化である「弓道の真善美」の講演録は終了です。

『真』の弓は偽らない(正射必中=正しい射法で射られた矢は必ず中る。)

『善』は平常心に宿る(敵がいるとしたら、揺らぎ、動揺する自分の心だ。)

『美』は『真』と『善』の結晶(正しい構え、正しい動作、それに内面の人格的向上が一体となった時、理想的な美しい弓が表現される。

『真・善・美』なんて素晴らしい言葉でしょう。

弓道が単なる的中(まとあて)のスポーツではなく「精神性の高いもの」と教えていただきました。そして楽しく有意義な1時間を過ごさせていただきましたことに感謝いたします。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

一昨日1月14日(木)に行われた第6回オンライン公開講座「電動機と製鉄」は『蕨ケーブルテレビWink』で放送されます。2月5日(金)~2月11日(木)の間ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第7回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

また、第7回オンライン公開講座は2月11日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「蕨の土地」と題して、蕨の土地の成り立ち、県南の地下水汲み上げによる地盤沈下、最近頻発する地震、水害との関連を分かりやすく解説してくださいます。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

次回は、第一回フィールドワーク(前編)です。

第5回オンライン公開講座「弓道の真善美」(第3回)

今日は前回・前々回に引き続き(第3回目)になりました。いよいよ今回の本題である「弓道の真善美について」のお話しですのでご期待ください。

なお、1回目からの続きになりますのでこちらも是非ご覧ください。

f:id:jiajiawarabi:20210112145429j:plain

弓道の真善美について

 ≪弓道の高い指標とは≫

弓道は、人生そのものに喩えられます。誰しもが最初は技術を磨き、的に沢山中ることを考え、上達することを目指します(私も初めはそうでした)。

しかし、上達するにつれて技術を学ぶだけではなく、自己の人格を磨くことが必要だと気付くようになります。心と技を一体とし、内面の価値を高め、人生を深く豊かなものにするために、弓道は高い指標『真・善・美』を掲げています。

≪『弓の心』『精神』『空』≫

道と名の付く剣道、柔道、弓道は、昔は戦争の道具や身を護る技でしたが、現在は大きく変わり、弓道は精神と技術が一体となり、「弓の心」とも言うべき、「精神」が前面に出てきました。

「弓の心」は既に射手の心の中に目を覚ましていると言われています。射手は自己過信もなければ、外部に対する誇示の意思もありません。「禅」や「仏教」ではありませんが、心は「空」なのです。

「的」は相手ではなく、「射手と的」は一体となっています。

≪「真」の弓は偽らない≫

f:id:jiajiawarabi:20210112145534j:plain

弓道」には「正射必中」という言葉がありますが、これは正しい射法で射られた矢は、必ず中るという意味です。

そして私たちは、「的」に中てるために正しい「射法」を目指して日々練習をします。

弓を射るということは、正しい射法を目指す、真の探求です。そして的は、私たちに自分が今行った「射」が正しいものであるかを教えてくれる素晴らしい先生なのです。

一射ごとに真を求める姿勢(すがた)、それこそが弓道です。

≪「真」とは≫

「矢」は「的」の中心を狙ったうえで正しい技術を講ずればまっすぐに飛行し、的の中心を射抜きます。これが「真」です。

狙いどころがちょっとでもずれる事があれば真でない技を講じたことであり、狙いを不正で的中させたとしても、これは誤魔化しであり、観る人が観れば分かってしまいます。

矢が「的」に中った音を聞くだけでその射が「真」であったことも高段者の方々は判ります。

≪「善」は、平常心に宿る≫

「弓」は、「争う」、「相手を憎む」、という考え方とは全く反対の世界で、弓の世界に敵はいません。いるとしたら、「揺らぎ」、「動揺」する自分の心が、敵なのです。

自分と向かい合い、心を養い、常に平常心でいられる心を作ることこそが弓道の本来の目的なのです。

また、弓道場では、お互いに親しみ、礼節を重んじることを大切にしています。

「礼節」を大切にし、「相手を慈しむ」ことこそ、弓道の基本精神なのです。

≪「平常心是道(これどう)」とは≫

「善」は平常心に宿るのですが、有名な話で中国宋の時代の禅僧で南泉(なんせん)和尚と趙州(じょうしゅう)和尚の会話で、南泉が「道(どう)とはどんなものですか」と尋ねると、趙州は「普段の心が道(どう)である」と答えたそうです。これは、一般に言われる「普段通りの心の状態」の意味ではなく、「日常の小さな行いもおろそかにしない心」を示しています。

真善美の「善」とは心・精神の安定、平常心が重要視されます。

品格の無い射、的中、賞品、段位に囚われては、心の安定は望めず、自分本来の射も行えず、当屋(あてや)、安易な的中、名誉を欲する邪心などで弾く射は感銘を受けず、その人の人生に至る人格にも表れますので注意が必要です。

≪「美」は「真」と「善」の結晶≫

f:id:jiajiawarabi:20210112145819j:plain

弓の世界では「美」は「真」の形と「善」の心が一体となった時に現れると言われています。

正しい構え、正しい動作、それに内面の人格的向上が一体となったとき、理想的な美しい弓が表現されるのです。

完成された美しい形を目指して努力する姿こそ、「日本の弓」特有の美しさの世界なのです。

≪真善美の「美」とは≫

弓道においての美しさとは何か、それは「真」で整えた姿、「善」での平常心と静かな心をもって謙虚に弓に取り組み、「射法八節」も含めて一射一射「真」と「善」を追求・体現しようとする姿勢を、他者が見て初めて美であると認識されるのだと思います。美は目指すものではなく、目指すべきは「真」や「善」であって、「真」や「善」に近づいていこうとする様が「美」であります。的は静止して動かない。28m先の的は安土(あづち)(土盛り)に置かれ静止して動きません。動かない的を狙い行射した結果、中ったか外れたかは問題ではありません。高段者から見ると射手が正しい射をしたか、物事に動じない不動心と淡々とした平常心で行射をしたかを見ています。正しい行射は見ていてとても感銘を受けます。

≪弓の真善美の最終目的≫

「道」と付く柔道、剣道、居合道弓道、空手道、茶道、華道、書道、合気道、相撲道等、これらの最終目的は何か。どれも初めは先生、講師から教わり、技を極める術の習得に始まりますが、そこを抜けるとおよそ道が付く。最終目的は心・精神修行であり、自分の人間性を高めることに行き着きます。

f:id:jiajiawarabi:20210112150229j:plain

以上が講演録の抜粋ですが、次回(明日の第4回)はオイゲン・ヘリゲル氏が書かれた本の紹介と、受講者の方から質問をお受けしましたのでご紹介します。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

 現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

昨日1月14日(木)に行われた第6回オンライン公開講座「電動機と製鉄」は『蕨ケーブルテレビWink』で放送されます。2月5日(金)~2月11日(木)の間ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第7回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

第7回オンライン公開講座は2月11日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「蕨の土地」と題して、蕨の土地の成り立ち、県南の地下水汲み上げによる地盤沈下、最近頻発する地震、水害との関連を分かりやすく解説してくださいます。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

第5回オンライン公開講座「弓道の真善美」(第2回)

昨日(第1回目)は「弓道を習い始めたきっかけ」「射法八節」をお送りしまし。

今回(第2回)は「弓具と的」についての説明です。

まずは弓具をご説明します。

≪弓と弦≫

f:id:jiajiawarabi:20210112142737j:plain

「弓」は1~2年の間は購入する必要はありません。理由は、強い弓(18キロ以上)は急に弾けませんし、練習するうちにどんどん筋力が付いてきます。道場に備品として何本か置いてありますから、自分が弾けるくらいより少し強い弓をお借りして練習を始めてください。「弦」は必需品ですのでセット購入してください。弦は消耗品です。「弦巻」も一緒に購入し、弦が切れたときにはすぐに交換できるように準備をします。

≪矢と弓≫

矢は甲矢(はや)と乙矢(おとや)の2種類あり、2本で一手(ひとて)と言います。

甲矢(はや):矢が前進した時に時計回りに回転するのが甲矢。

乙矢(おとや):甲矢の逆。

筈(はず):矢の末端の弦に番(つがえる)部分。矢を弦に止めるところですね。

鏃(矢尻=やじり):矢の先端についた金属部分。

≪弓≫

並寸(なみすん):(七尺三寸・全長221cm)身長が170cm以下の人

伸寸(のびすん):(七尺五寸・全長227cm)身長が170cm以上の人

4寸伸(よんすんのび):(伸び寸より長い)(七尺七寸・全長約233cm)です。

≪矢≫

f:id:jiajiawarabi:20210112142845j:plain

射法八節」の1番の動作「足踏み」の前に、足の広さは基準があり、それを決めるために、まず、自分の「矢束(やづか=矢の長さ)」を決めないと、8つの動きは始まりません。弓具店で自分の矢束(長さ)を言って加工してもらい、必要本数を作成してもらいます(練習用として8本位)。「矢」にはジュラルミン、カーボン、竹、とありますが、初心者は一番安くて丈夫なジュラルミンが良いかと思います。8本位購入します。

矢束は各人の腕の長さによって定まりますので、喉元から「筈(はず)」の先端と「矢尻(やじり)」の所まで広げた長さより5~6cm長くとった所を自分の矢の長さとします。この5~6cmが短いと「矢」を引き込んでしまった場合に矢の先端が弓から外れてバランスを崩し、とても危険です。ですから購入する場合の理想は、諸先輩の意見を聞きながら弓具店に同行してもらうと良いかと思います。

≪弽(ゆがけ)≫

f:id:jiajiawarabi:20210112143025j:plain

「弽」とは「弓」を引く際に右手を保護するための道具で、鹿革で作られています。使い始めたばかりの時には非常に硬く、弓を射る時に余計な力が入ってしまいます。使い込むことでご自身の手に馴染ませていく必要がある道具です。弽の中には白い「かけ袋」を着用し、汗で革が固くならないようにします。初心者の方は弓道場に置いてありますので自分の手に会うようなものを暫くの間は使うとよいと思います。大体3~4段位から自分の「かけ」を作ったり、購入したりします。弽は「三つかけ」と、強い弓を引く「四つかけ」の2種類があります。

 次に的と距離のお話しをしたいと思います。

f:id:jiajiawarabi:20210112143130j:plain

≪霞的(かすみまと)≫

標準的に審査を行う時にこの的を使います。大きさ(銅):36cm、中心(心臓):7.2cm 的までの距離:28m。

≪金的(きんてき)≫

大きさ(銅):9cmお祝い射会、新年社会などで使用 的までの距離:28m。

≪遠的(えんてき)≫

遠的用の霞的の大きさ(銅):100cm、中心部(心臓):7.2cm 的までの距離:60m。通常の引き方では到底届きません。弾道を描くような形で60m先の的に当てるようにします。

f:id:jiajiawarabi:20210112150229j:plain

以上が第2回で「弓具と的」についてお話しいただきました。明日第3回は今回の本題「弓道の真善美について」を投稿しますのでご期待ください。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

12月10日に行われた第5回オンライン公開講座弓道の真善美」は『蕨ケーブルテレビWink』で本日1月14日(木)まで放送しています。ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第6回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

第6回オンライン公開講座は本日1月14日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「電動機と製鉄」と題して、世界一の製鉄所で活躍する世界最高性能の日本の電動機についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

第5回オンライン公開講座「弓道の真善美」(第1回)

f:id:jiajiawarabi:20210111215913j:plain

2020年12月10日(木)20時より、笑楽日塾の塾生が講師を務める第5回オンライン公開講座弓道の真善美」が開催され、日本人の精神文化に深い影響を与えた弓道の神髄について様々な角度から、スライドや動画を使って大変分かりやすくお話しくださいました。

以下は塾生による講演録ですが、今日(13日)から16日まで4回に分けて投稿しますので是非ご覧ください。

f:id:jiajiawarabi:20210111220250j:plain初めに私がなぜ弓道を習い始めたのか、弓道の履歴及び当時の映像をお見せしながら「射法八節」「弓具の説明」最後に「弓道の真善美」へ進みたいと思います。

なぜ弓道を始めたか。サラリーマン時代に所属していた情報システム部で、システムの入れ替えなどでは毎月100時間を超える残業と徹夜の繰り返しでした。精神的・肉体的にも疲れきっていたときに、出勤の途中、朝露に濡れて元気よく風に吹かれていた猫じゃらしを見つけ、自分に対して何か心にむなしさがわいてきました。『このままではだめだ、心に栄養が行き渡る何かをしなければ』と感じ、平成4年に蕨市の北町体育館3階にある蕨市弓道連盟に入会しました。

f:id:jiajiawarabi:20210111220355j:plain

入会したのは平成4年4月、45歳。ちょっと晩生の新人ですが、入会後半年は的に向かって矢を射ることは許されませんでした。理由はこれからお話しする「射法八節」や「所作」を理解し、淡々と動作が出来るまでは巻き藁と言って藁で出来た大きな的に向かい「行射」の練習をし、昇段試験も先生から『そろそろ受けなさい』と言われるまでは勝手に受けることは出来ません。許しを得ることが出来たら審査申込書に必要事項を記載し先生のコメントを添えて埼玉県弓道連盟に提出します。

審査での実技は基本5人1組で行い、一人矢を2本射ますが初段は2本当たらなくても「射義」が良ければ受かります。筆記試験もあります。三段からは着物着用になり矢を2本持って2本とも的に中てなければならなくなり「射義」の審査もだんだん厳しくなります。私は三段から四段になるまで4年ほどに経っておりますが、決して受講しなかったわけではなく、矢は2本中1本しか中らず合格できなかった時期がありました。

この間、蕨市弓道連盟の理事長や蕨市体育協会の理事長も務めさせていただき、蕨市弓道連盟の前会長や蕨市体育協会の前会長、現会長、行政の方、埼玉県弓道連盟の各市における弓道の会長、先生方からの弓道に関する技、精神などについていろいろ教えていただきました。弓道を習って本当に良かったなと感じており、勤務していた会社の外に多くの人達と巡り合い、交流できたことは自分にとって大きな宝になりました。

 次に弓の基本動作「射法八節」についてお話ししたいと思います。

射法八節を事細かに説明すると、とても時間が足りませんので詳細は割愛させていただきます。詳細をお知りになりたい方は公益財団法人全日本弓道連盟ホームページをご覧いただくか、北町体育館3階にあります蕨市弓道連盟を尋ねて見学させてもらうことをお勧めします。

射法八節

f:id:jiajiawarabi:20210111224518j:plain

一節 足踏み(あしぶみ):両足をしっかり支え、体は縦横十文字に整えます。

二節 同造り(どうづくり):弓を左膝におき、右手は右の腰にとります。

三節 弓構え(ゆがまえ):右手を弦にかけ、左手(手の内)を整えてから的を見ます。

四節 打起し(うちおこし):そのまま静かに両拳を同じ高さに持ちあげます。この時、腕で上げるのではなくしっかりと持ち上げていきます。この状態で、ここがしっかり決まると自分の場合は中ると感じておりました。

五節 引分け(ひきわけ):この状態から弓を左右に引分けていきます。矢は水平に下がっていきます。当然ながら左手と右手を平行に引いておりますので矢は自然と下がります。

六節 会(かい):心身が1つになり、矢の発射のタイミング(機)が熟すまで待ちます。大体11秒から15秒くらいです。意外と大変ですが「会」の状態では的と射手は一体となります。

七節 離れ(はなれ):胸廓(きょうかく)、胸を広く開いて矢を放ちます。「会」の状態で左右のバランスが良くても、離したときにバランスを崩すと矢は真っすぐに飛びません。大の字になるように水平に放します。弓は回転し、左手の甲に弦が当たります。弓を強く握りしめていると、初心者に多いのですが弦がそのまま左手の手首にあたり青アザを作ります。

八節 残身(残心)(ざんしん):射の総決算。矢が離れた時の姿勢をしばらく保ちます。この時左右の手が水平になっており、背筋が伸び、大きく大の字になっているのが理想です。バランスを崩した離れでは左右の手は水平を保てず、弓の左手に対して垂直に保たれているのが理想です。

 

f:id:jiajiawarabi:20210112150229j:plain

本日は第1回で「弓道を習い始めたきっかけ」「射法八節」についてお話しいただきました。明日の第2回目は「弓具の説明」と「的と的との距離について」です。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

12月10日に行われた第5回オンライン公開講座弓道の真善美」は『蕨ケーブルテレビWink』で明日1月14日(木)まで放送しています。ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第6回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

第6回オンライン公開講座は明日1月14日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「電動機と製鉄」と題して、世界一の製鉄所で活躍する世界最高性能の日本の電動機についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

世話役さんから絵手紙の年賀状

早いもので新年も6日目になりましたが皆様におかれましては普段の生活に戻られましたでしょうか。私は4日が仕事始めだったため今日は勤務3日目、既に正月気分も抜けてしまいました。

今年の新年は、年始の挨拶回りなし、氏神様への初詣もなし、自宅で家族と共にまったりとした日々を淡々と過ごしました。おかげで少々食べ過ぎと飲み過ぎの感は否めませんので反省です。

f:id:jiajiawarabi:20210310173335j:plain

元日の朝パソコンのメールを開くと笑楽日塾の世話役さんから『福をギュウギュウに』詰めた、素晴らしい年賀状が届いていましたので皆様にも『福』のおすそ分けです。また、時間は少し戻って31日にはウイルス除けの頼もしい『コロナバスターズ』が届いていましたのでこちらもおすそ分けします。

f:id:jiajiawarabi:20210103221816j:plain

何れも世話役さんがご自分でお書きになられた絵手紙とのこと。世話役さんが描かれた絵手紙は以前にも見せていただいていましたが、いつもながらの素晴らしさに絵心が全く無い私にはうらやましい限りです。私も負けずに何か誇れることを作らなくては。

それにしても笑楽日塾の塾生は多才のうえ多趣味をお持ちの方の集まりで感心することしきりです。

「福をギュウギュウ詰めに」した締め飾り、発想が素晴らしいですね。牛の表情が全て違っていますが、皆様の好みはどれでしょうか。福を一番頂けそうなのは?

ネコの「コロナバスターズ」可愛いですね。我が家近くのスーパーマーケットは店舗によって「元日のみ休み」「元日と2日休み」「元日~3日まで休み」でした。今年は休業日が多かったため、大晦日には一番近いスーパーマーケットで入場制限がかかるほどの大盛況。館内放送では『感染防止のため出来るだけ一人で買い物に来て欲しい』と連呼していましたが、お客様の耳にはあまり届いていない様子。家族連れ(子供連れも)も多数見受けられました。感染拡大阻止のため是非とも「コロナバスターズ」の出動をお願いしたいものです。

f:id:jiajiawarabi:20210103221932j:plain

ちなみに私は3種類の年賀状を作りましたが、そのうちの1枚を紹介します。とは言いましても前回のブログに書いたものを少し加工しただけで、内容的にはあまり代わり映えしませんが「SDGsの支援愛」を目一杯出しています。

年が明けた2日のMSNニュース 毎日新聞 2021/01/02 19:45 では『首都圏での新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、東京都の小池百合子知事ら1都3県の知事が2日内閣府西村康稔経済再生担当相と面会し、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を発令するよう要請した。飲食店への営業時間短縮要請などに十分な効果がみられず、医療提供体制がひっぱくしていることを踏まえ、より強い対策が必要だと判断した。』とのこと。

新型コロナウイルス感染拡大が心配されている今日でも、日本国民に限らず世界中の人々は『上からの強い締め付けが無いと自分から進んで自制はできないもの』のようです。

この先コロナは爆発するのか沈静化するのか分かりませんので、シニアの私は健康に気を付けて穏やかに暮らして鎮静化を待ちたいと思っています。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

12月10日に行われた第5回オンライン公開講座弓道の真善美」は『蕨ケーブルテレビWink』で放送します。
放送日時は1月8日(金)~1月14日(木)の間で、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第6回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

また、第6回オンライン公開講座は1月14日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「電動機と製鉄」と題して、世界一の製鉄所で活躍する世界最高性能の日本の電動機についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

次回は、第5回オンライン公開講座弓道の真善美」です。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

新年のご挨拶(2021年元旦)

あけましておめでとうございます

f:id:jiajiawarabi:20201231091642j:plain

昨年7月から始めた週1回投稿のあまり熱意を感じられないブログですが、懲りずに読んでいただいている皆様には感謝いたしております。

今年もまた、埼玉県蕨市の高齢者集団『笑楽日塾』が日々行っている活動を皆様にご紹介したいと思いますのでよろしくお願いします。

スタート時から順風満帆に進んできた笑楽日塾の活動も昨年は新型コロナウイルスの影響を受け、すっかり予定が狂ってしまいました。ただ、塾生の提案でZOOMを使ったオンライン塾会やオンライン公開講座を開催できたことは身内としても「流石だな」と思っています。

コロナにもめげず、負けずに結果(成果)を残せたことは、大変喜ばしく思います。このオンラインの塾会や講座は、当初「高齢者集団の笑楽日塾に根付くのか」との心配もありましたが、塾生や受講者の方々は大変意識が高く、心配は杞憂に終わりました。皆さん素晴らしい方々です。

今年はこの新型コロナの影響が何時まで続くのか分かりませんが、逆境にも負けずに「笑楽日塾の情報発信」を続けたいと思っておりますので、引き続きご愛読のほどよろしくお願いいたします。

話は変わりますが、一か月前に塾長が「つもりちがい十ヶ条」を紹介していますので、以下に新年のご挨拶として取り上げます。

 

日々起きる不都合な問題、特に政治的な不始末や、国のリーダーの軽い言動に腹が立ってきます。しかし、怒っていてもそれはテレビや新聞の前だけで、何も行動を起こしていない自分も弱い男だと反省しています。

世の中にはいろいろな箴言や励ましの言葉がありますが、長野県元善光寺の住職によって作られたと言われる言葉で「つもりちがい十ヶ条」というのがありますのでご紹介します。

f:id:jiajiawarabi:20201231091728j:plain①.自分は高いつもりで低いのが教養

②.自分は低いつもりで髙いのが気位

③.自分は深いつもりで浅いのが知識

④.自分は浅いつもりで深いのが欲望

⑤.自分は厚いつもりで薄いのが人情

⑥.自分は薄いつもりで厚いのが面皮(つらのかわ)

⑦.自分は強いつもりで弱いのが根性

⑧.自分は弱いつもりで強いのが自我

⑨.自分は多いつもりで少いのが分別

⑩.自分は少いつもりで多いのが無駄

①~ ⑩迄、みんな自分に当てはまる。ここには書いてないが、失敗が多い。物忘れが多い。

また、欲が深い。失敗の原因は欲望から来ているのではないだろうか。「たられば」という言葉があります。「あのときこうしたら良かった」、「あんなに欲張らずに自然にやっていれば良かった」と反省が多い。

f:id:jiajiawarabi:20201231092400j:plain

好きなゴルフで、昨年一番良いスコアが出ました。Inで43+Outで39=82。あと一打で念願のAge Shoot達成でした。11月24日、石岡ゴルフ倶楽部ウエストコースでPlay。いま、振り返ってみるとこの日は余り欲を出さなかった。メンバーは今年7月に知り合った人たちで、3人は私よりも10才ぐらい若いが、人生経験が豊富な性格も明るい人たちでした。「欲張らない」、「見栄を張らない」は自分には難しい事ですが、この二つだけでも守れれば、ゴルフに限らず、日常も上手くいくかもしれないと思いました。

今年に入って突然発生した新型コロナウイルス、世界中で8,100万人、蕨だけでも12月28日までには166人の感染者が発生しました。私のような高齢者は外出を自粛し、手洗い、マスク、3密回避を徹底して、毎日を無事に乗り切るしか方法がございません。完璧なワクチンは何時供給されるのか分からない不安とストレスを抱えた、慌ただしい年の初めになってしまいそうです。

 

以上が塾長紹介の「つもりちがい十ヶ条」とコメントです。思わず「ドキッ」とさせられましたが、含蓄のある人生訓と思います。凡人が聖者や仙人に近づくのは難しく『自分を客観的に見る』『自分を戒め謙虚に生きる』という教えでしょうか。皆様はいかがお感じになられましたでしょうか。

なお、今回から新しい年の投稿になりましたが、本年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

12月10日に行われた第5回オンライン公開講座弓道の真善美」は『蕨ケーブルテレビWink』で放送します。
放送日時は1月8日(金)~1月14日(木)の間で、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第6回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

また、第6回オンライン公開講座は1月14日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「電動機と製鉄」と題して、世界一の製鉄所で活躍する世界最高性能の日本の電動機についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

第24回笑楽日塾定例塾会(オンライン)

2020年11月26日オンライン定例塾会としては3回目が開催されました。

世の中を騒がせているGo toや新型コロナウイルス等議題は盛りだくさんでしたが、今回はその中からSDGs絡みのお話しです。

温室効果ガス削減に関して政府は2050年までの30年間で温室効果ガスを+―ゼロにすると発表しました。

f:id:jiajiawarabi:20201227144516j:plain

再生可能エネルギーの拡大や水素の活用を進めても鉄鋼や化学などの産業では排出が続き、完全に均衡させるのは難しい。そこで注目されるのが地下に埋める技術で、欧米では二酸化炭素を地下に埋める事業が動き出しました。

北米では既に油田やガス田の地層を利用し、二酸化炭素が外に漏れ出さないようにする技術が一部実用化されており、欧州では各国から集めた二酸化炭素を北海に埋める実証実験が始まっています。

驚いたのは『二酸化炭素を肉や酒に変身する技術が開発され話題になっている』ということで、東大発ベンチャーの「CO2資源化研究所」は『水素エネルギー源に大気中のCO2を吸って育つ菌で人工肉のタンパク質を作る』『1kgのタンパク質に約2kgのCO2を費やす』ということです。

また『アメリカのエア・カンパニーはCO2と水からウオッカを開発し、CO2の吸収量は8本の木が1日当たりに吸収する量と同等だ』という。

出来るだけ早く二酸化炭素が邪魔者ではなく資源として活用される時代がやってくると良いですね。

以下はオンライン塾会からは外れますが引き続きSDGs絡みです。

TBSテレビは11月23日(月)~29日(日)の間『地球を笑顔にするWEEK』として「SDGs」プロジェクトを行い、25日(水)放送の番組『ひるおび』の中で埼玉県のお米『彩のきずな』を紹介していました。

f:id:jiajiawarabi:20201227144733j:plain

2018年7月23日に国内の観測史上最高となる41.1℃を記録し、最高気温日本一になった埼玉県熊谷市にある埼玉県農業技術研究センター玉井試験場では、暑さ・寒さ・病気・害虫に強い品種を様々な目的で交配し、産地と暮らしが近接した場所でも『都市近郊農業』に適した、農薬を使わなくても病害虫に勝てる米の開発に力を注いできました。

2007年8月、開発中の品種は猛暑の影響でほぼ全て被害を受けたが、品質の良いお米1種類を発見し、この稲を改良したものが番組で紹介された『彩のきずな』です。

11月23日(月)気象庁が運営する温室効果ガス世界資料センターは『大気中の主要な温室効果ガスが増加しているため、去年の世界における平均濃度はいずれも観測史上最高を更新した』と発表した。

現状以上の温暖化対策を取らなかった場合2100年は2005年と比べて平均気温が4℃上昇し、ほぼ全国で最高気温が40℃を超えてしまう。この暑さの影響で稲が変色して不作になり、日本のコメどころは 本州から北海道へ北上すると言われています。

f:id:jiajiawarabi:20201227145137j:plain

しかし『彩のきずな』は暑い日ほど根から水を吸い上げ、葉や穂の温度を下げるため猛暑に強さを発揮することがサーモグラフィーの画像などで分かりました(サーモグラフィーの画像で彩のきずなは隣にあった品種より1℃低かった)。

彩のきずなは甘味と旨味のバランスが良く、日本穀物検定協会が毎年行っている食味試験で2018年に埼玉県のお米として26年ぶりに、5段階評価の最高ランクである「特A」を受賞しました。

笑楽日塾では2018年10月6日(日)埼玉県環境アドバイザーの方を講師に招き『私たちの暮らしと地球温暖化』と題して環境公開講座を開催しました。

この時に『何も対策を取らないで温暖化が進み平均気温が0.3~1.7℃上昇した場合、21世紀末には動植物の住む森が北上し、青森県から秋田県に広がっている白神山地のブナ林は海峡を越えて北海道に移ってしまう』『動植物の多くは海峡に阻まれて北上できずに絶滅することも考えられる』また、『平均気温が2.6~4.8℃上昇した場合ブナ林は更に北上して北海道からも消えてしまう』と教えていただきました。

f:id:jiajiawarabi:20201227145353j:plain

これが現実に起きてしまったら大変なことになってしまいます。今の地球に住んでいる我々は『もっと地球を大事にしなければならない』『綺麗な地球を孫子の世代に引き継がなければならない』『たとえ小さなことでも行動することが大事』と痛感しております。

『人間は自然のうちで、最も弱い一茎の葦にすぎない。だが、それは「考える葦である」』と誰かが言っています。(TVドラマ「遺留捜査」の上川隆也をまねて。)

たった一つの地球を守るため、今日できることから実践しましょう。

今回が2020年最後の投稿になります。この拙いブログにお付き合いいただき有難うご)いました。コロナ禍の大変な一年でしたが来年は良い方向に向かうことを望みます。皆様良いお年をお迎えください。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

12月10日に行われた第5回オンライン公開講座弓道の真善美」は『蕨ケーブルテレビWink』で放送します。
放送日時は1月8日(金)~1月14日(木)の間で、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第6回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

また、第6回オンライン公開講座は1月14日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「電動機と製鉄」と題して、世界一の製鉄所で活躍する世界最高性能の日本の電動機についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

「おけい(伊藤おけい)」

f:id:jiajiawarabi:20201221185136j:plain

NHKテレビは2011年3月11日の東日本大震災に見舞われた東北の復興を願い、2013年の大河ドラマを当初予定していたものから変更し、会津戦争鶴ヶ城籠城戦では男勝りの活躍をした「山本八重」を主人公に「八重の桜」を放送した。八重は男装して銃を撃ちまくるなど自由奔放で勝気な性格の為、後年には「幕末のジャンヌ・ダルク」と言われたほど。同志社大学を設立した新島襄と1876年1月に結婚し同年11月には八重自身も同志社女学校(後の同志社女子大学)を設立した。また、勲六等宝冠章を受勲するなど数々の功績を残して華麗なる生涯を終えている。

片や「おけい」は生まれ育った会津を離れ、新天地カリフォルニア州エルドラドに日本人女性初の開拓移民として向かったものの、その夢もわずか2年で挫折し、病にも侵され、二度と故郷の土を踏むことなく19歳の若さで亡くなってしまった。

「おけい」は「山本八重」よりわずか7つ年下で、ほぼ同じ時代に同じ会津で生まれ育ったが、二人の生涯は大きく違うものとなってしまった。

≪日本人初の女性移民≫

前回の『戊辰戦争・エルドラド・若松コロニー・伊藤おけい』の続きです。

「おけい(伊藤おけい)」1853年(寛永6年)~1871年明治4年)行年19歳

1853年(寛永6年):大工(桶屋という説もある)伊藤文吉と女房お菊の長女として材木町に誕生する。

1868年(慶応4年)日本人女性「ジョウ」と結婚して子供をもうけた「シュネル」の屋敷に子守として雇われる。

1869年(明治2年)3月~4月頃:17歳の「おけい」は「シュネル」のゴールド・ヒル移民開拓団に加わり、アメリカ船籍「チャイナ号」で横浜港からサンフランシスコへと向かった。
1869年(明治2年)6月9日:「おけい」はカリフォルニア州エルドラド郡ゴールド・ヒルに到着し、初めてアメリカ国籍を得た日系アメリカ開拓移民の一人となる。

1871年明治4年):入植は失敗に終わり開拓団は解体したため「ビーアカンプ家」に雇われたが、急な高熱に冒され19歳という若さで死去してしまう。夢を描いた入植地「若松コロニー」の見える丘に「桜井松之助」が葬り、アメリカの地で埋葬された最初の日本人女性となる。

10数年後:「桜井松之助」が現地に残った仲間と共に「おけい」の墓碑を建立。

f:id:jiajiawarabi:20201221185249j:plain

1915年(大正4年):カリフォルニアの農園主「国司為太郎」は近くに日本人女性の墓がある事を知り、邦字新聞で「日米新聞」の記者「竹田雪城」に話し、二人で現地を訪れて墓の存在を確認した。その墓には、「 O K E I 」「In Memory of OKEI Died 1871, Aged 19 years,(A Japanese Girl.)日本皇国明治四年○月○日没す おけいの墓 行年一九才」と刻まれていた。

f:id:jiajiawarabi:20201221185358j:plain

日本からはるか離れたこの地に『なぜ日本人女性の墓があるのか』疑問を抱いた二人は近くに住む農場主「ビーアカンプ家」を訪ね、嘗てお茶と桑の木を栽培し絹の生産を目指して日本から来た「若松コロニー」と、若くして亡くなった娘「おけい」の存在を知った。

1916年(大正5年)7月12日:日系新聞「櫻府日報」に「竹田雪城」が「おけいさんの墓に詣づるの記(4回の連載)」を掲載したため「若松コロニー」の存在がアメリカ国内に住む邦人の間で広まり、大きな話題となった。

日本でも「若松コロニー」や「おけい」の話が知られると歴史研究家による調査が開始し、故郷である会津若松では図書館関係者や教育関係者らによって身元と史実の整理が始まった。また、現地アメリカでも当時の新聞記事や国勢調査などの記録が発見され、調査は大きく進み始めた。

このように短命に終わった「若松コロニー」に対して関心が高まったのは、存在した資料が少なく謎の部分が多かったこともあるが、コロニーの象徴であり19歳という若さで亡くなった、薄幸な少女「おけい」の存在が大きいものと思う。

1969年(平成8年):カリフォルニア州知事ロナルド・レーガンは若松コロニーの跡地をカリフォルニア州の歴史史跡に指定した。

1997年(平成9年):コロニー跡地の隣にあるゴールド・トレイル小学校は会津若松市立東山小学校と姉妹校提携し、文通・作品交換、姉妹校訪問等が行われている。

跡地保存や現地との友好に会津若松の人たちが熱心に取り組んでおられ「おけい」も天国から故郷を思いながら喜んでおられることと思います。

≪以下はJICA横浜 海外移住資料館 研究概要 12 2017年度 小澤智子氏より一部引用≫

f:id:jiajiawarabi:20201221185512j:plain

2013年(平成25年)5月15日付『マウンテン・デモクラット』に、地元の作家ジョアン・バーソッティによって書かれたオケイについての図書『オケイサン――ある少女のジャーニー』がエルドラド郡の小学校4年生の課題図書となり、「全国的、そして地元でも重要な歴史」について学ぶようになる、という話題が報じられている。この数年、とくに子供や若者を対象とした活動が目立っているといえよう。

2014(平成26年)年7月28日の『マウンテン・デモクラット』には、前年に引き続き「オケイサンの体験を学ぶ遠足」がワカマツ・コロニーで開催された模様が報じられている。エルドラド郡コミュニティ財団が管理するジョアン・バーソッティ記念基金と多くのボランティアの協力を得て、小学校4校の生徒(221名)が参加し、「オケイサン」の墓地での法要、オケイの丘での紙芝居、日本の伝統舞踊のレッスン、日本語の特訓レッスン、折り紙の手本、蚕に触る体験、日本刀の鑑賞、日本の服装や生活様式の展示見学を体験した。同記事は、143年以上前に少女オケイが体験したであろうことを理解するのが遠足の狙いだったとしている。

≪むすび≫

若松コロニーは僅か2年間しか存在しなかったため現地に残っている資料は少なく、存在自体もすっかり忘れられていた。その存在が表面化したのは「国司為太郎」と「竹田雪城」が「おけい」の墓を見つけたこと。それは「若松コロニー」が消滅し「おけい」が亡くなってから40年余が過ぎてのことだった。

150年前にアメリカ合衆国本土の人里離れた農村が日本と繋がっていたこと。そこには合衆国本土として初めて日本人の入植者がいたこと。さらに異国の地で望郷の念を抱きながら19歳の若さで亡くなった少女がいたこと。その跡地が今では沢山の人達に大切に見守られていること。

このカリフォルニア州エルドラド郡と我が蕨市は45年前から姉妹提携を結んでいるが「若松コロニー」と「おけい」のことは今回塾長からのミッションでブログに投稿することになり初めて知りました。

f:id:jiajiawarabi:20201221185614j:plain

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

12月10日に行われた第5回オンライン公開講座弓道の真善美」は『蕨ケーブルテレビWink』で放送します。
放送日時は1月8日(金)~1月14日(木)の間で、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第6回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

また、第6回オンライン公開講座は1月7日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「電動機と製鉄」と題して、世界一の製鉄所で活躍する世界最高性能の日本の電動機についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

次回は、第24回笑楽日塾定例塾会(オンライン)です。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

「戊辰戦争・エルドラド・若松コロニー・伊藤おけい」

以前の記事「鉄道のはじまり第一話 産業革命と鉄道の2回目」の中で、ジョン万次郎がアメリカに渡ってから11年後、日本に帰国する費用を捻出するため『ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアのエルドラドへ行った』と書きました。

この時「エルドラド」と「おけい(伊藤おけい)」のことについて触れていますが、「エルドラド」はNHK大河ドラマ「八重の桜」に登場した会津の人たちが入植した所でもあります。

今回の投稿は我が蕨市姉妹都市カリフォルニア州エルドラド郡のゴールド・ヒルに1869年(明治2年)、日本人が作った若松茶と絹の農場「若松コロニー(Wakamatsu Tea & Silk Farm Colony)」と、そのきっかけとなった戊辰戦争です。

 

戊辰戦争会津戦争

f:id:jiajiawarabi:20201214213027j:plain

戊辰戦争は明治の新政府と旧幕府軍との内戦で、勃発した慶応4年(明治元年)の干支が「戊辰(十干の戊と十二支の辰)の年」だったことが名前の由来。

会津戦争戊辰戦争の局面の中にある戦で、飯森山で自刃した白虎隊の悲劇は今なお語り継がれている。詩吟に合わせて舞う白虎隊剣舞はあまりにも有名で、飯盛山の白虎隊士墓前では会津高校の生徒による「白虎隊剣舞」が隊士の霊を慰めるため毎年奉納される。

≪歴史の経緯≫

1862年文久2年)9月24日会津藩松平容保京都守護職に就任し、新撰組を配下に置くなどして尊皇攘夷派の倒幕勢力を強引に武力で抑えた。このため容保薩摩藩長州藩土佐藩中心の、新政府軍からの恨みを一身に背負うことになってしまう。

1867年(慶応3年)11月9日:江戸幕府最後の将軍第15代徳川慶喜大政奉還により、250年以上続いた徳川幕府は終焉を迎えた。

1868年(慶応4年):会津藩松平容保会津で政府軍との戦に備え、交流のあった貿易商(武器商人)でプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部)出身のジョン・ヘンリー・シュネルを軍事顧問に迎えた。シュネルは日本人女性「ジョウ」と結婚して子供が生まれたため、近くに住む大工の娘(桶屋の娘説もある)「おけい(伊藤おけい)」を子守りとして雇った。

1868年(慶応4年)1月27日:「徳川慶喜」を擁する旧政府勢力と、王政復古の後に明治新政府を樹立した薩摩藩長州藩土佐藩を中心とする「新政府軍」が争う戊辰戦争が勃発。「鳥羽・伏見の戦い」を皮切りに「江戸無血開城」や「会津戦争」等で新政府軍が勝利し続けた。

1868年(慶応4年)11月6日:鶴ヶ城開城。シュネルはゴールドラッシュに沸くアメリカ合衆国のカリフォルニアで金鉱を探し、農場を経営して『新天地に若松を再興しよう』『未来をアメリカで開拓しよう』と主君容保に提案。容保がこの壮大で無謀な計画に資金援助をしたということは、新政府の強引な締め付けにかなり切羽詰まっていたということか。

戦いに破れた会津藩士や農民・大工・その家族が開拓移民団に加わり、一行はカリフォルニア州エルドラドで金鉱を探しながらお茶や桑の木を栽培して、絹の産業を興す夢を持って横浜港から米国船「チャイナ号」で出航した。

1869年(明治2年)6月9日:シュネルは藩士を含めた会津の人々数十名(先発隊と後発隊あり)と共に、アメリカ合衆国本土には初めての日本人移民としてカリフォルニア州エルドラド郡のゴールド・ヒルに到着し、故郷の名前を冠にした「若松コロニー」と名付けた入植地を築いた。(アメリカ本土で暮らした日本人はこれ以前にもジョン万次郎や浜田彦蔵がいたが、彼らは海で遭難してアメリカの船に救ってもらったためで、移民として計画的に暮らしたものではなかった)。

会津でシュネルに子守として雇われていた「おけい」も開拓移民団に同行しており、「おけい」はシュネルの日本人妻「ジョウ」等と共にアメリカ本土への日本人初の女性移民となった。

1869年(明治2年)6月27日:新政府軍が「五稜郭の戦い(函館戦争)」で勝利したことによって、1年5ヶ月に渡る戊辰戦争はすべて終了した。

f:id:jiajiawarabi:20201214213231j:plain

シュネル一行がゴールド・ヒルに到着したのは、1869年6月9日(明治2年4月29日)で、箱館戦争が決着したのは、1869年6月27日(明治2年5月18日)。この時系列から見るとシュネルは会津戦争での敗戦から先を読み、函館戦争も勝てる見込みがないと判断して次の行動(開拓移民団)に出たものと思われる。シュネルの判断・決断・行動から推し量ると相当頭が良かった人物の様です。

1871年(明治4年)シュネル達が入植したゴールド・ヒルは、既にゴールドラッシュの最盛期は過ぎており、金の採掘で土地は荒らされ、水は汚染してしまい、お茶や桑の栽培には不向きであったことに加えて干ばつにも見舞われ、若松コロニーはすぐに資金繰りに行き詰まってしまいます。シュネルは『資金調達に行ってくる(行き先は日本説とドイツ説あり)』と言い残し、家族と共にコロニーを離れるが二度と帰ってくることはなかった。日本で秘密裏に暗殺されたとの説もある。

移民団はシュネルの帰りを待ちわびたがいつまで経っても戻ることはなかったため、手持ちの資金に余裕のあるものは夢見みて入植した新天地に別れを告げて日本に帰り、資金が底をついてしまったものはカリフォルニア各地に残るなどしてコロニーの入植者は散りじりになってしまった。(後年岩倉使節団として渡米した嘗ての敵、岩倉具視に頭を下げて帰国したものもいたとのこと)。

「おけい」と元藩士「桜井松之助」の2人はコロニーに残ってシュネルの帰りを待ち続けたが、ついに手持ちの資金が枯渇してしまい「若松コロニー」は隣の農場主ビーア・カンプが所有することになった。

行くあてもない「おけい」と「桜井松之助」の2人はカンプ家の使用人として働くことになり、「おけい」は家族全員に可愛がられて息子との結婚も望まれるようになった。幸せな未来の生活が見えてきたかに思えた「おけい」だったが、ある日突然高熱に冒され19歳という若さで死去してしまい、日本人女性として初めてアメリカ大陸に眠ることとなった。

10数年後に「桜井松之助」が現地に残った仲間に声をかけ、それぞれが苦しい家計の中からお金を持ち寄り、嘗ては夢を描いた入植地「若松コロニー」の見える丘に「おけい」の墓碑を建立した。

f:id:jiajiawarabi:20201214213528j:plain

カンプ家に残り「おけい」の最期を看取った松之助も日本に戻ることなく、カンプ家の使用人として67歳の生涯を全うした。最後までこの土地を離れなかったのはお世話になった当時の主君「カンプ家」への忠義心か。亡くなるまで会津の武士魂を忘れなかったものと思う。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

12月10日に行われた第5回オンライン公開講座弓道の真善美」は『蕨ケーブルテレビWink』で放送します。
放送日時は1月8日(金)~1月14日(木)の間で、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。しかし、残念ながら蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で第6回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。

また、第6回オンライン公開講座は1月7日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「電動機と製鉄」と題して、世界一の製鉄所で活躍する世界最高性能の日本の電動機についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

次回は、「おけい(伊藤おけい)」に絞ってもう少し書きます。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第三話 新幹線電車発祥の地

11月12日(木)に開催された、第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」を5回に分けて投稿しました。今回の投稿分が最後になりますが、第一話1回目12月2日(水)と2回目4日(金)・3回目6日(日)・第二話12月08日(火)に投稿分の続きですので、まだお読みになられていない方はこちらもご覧ください。

 第一話ではロシアのプチャーチンアメリカのペリーが汽車模型を日本で走らせたこと、最初に汽車に乗った日本人は誰か、ジョン万次郎と蕨とエルドラド、咸臨丸でアメリカに渡ったサムライと鉄道、埼玉県人で最初に汽車に乗ったのは誰か。

第二話では井上勝とロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設についてお話しいただきました。

 

第三話 新幹線電車発祥の地 世界最初の新幹線電車は蕨駅から出発した。

148年前に開業した日本の鉄道は、今や世界の最先端を行っています。

去る7月1日に、最新鋭の新幹線電車N700Sが営業運転を開始しました。

新幹線電車の進化の過程です。

(0系~100系~200系~300系500系~700系~N700系~N700S)

f:id:jiajiawarabi:20201206065441j:plain

f:id:jiajiawarabi:20201206063445j:plain 新幹線は台湾へも輸出されました(2007年3月2日台北~髙雄営業開始)

 東海道新幹線は日本の経済発展を支える大動脈になり、日本の高度経済成長期を象徴する存在になったのです。

これが刺激になって、17年後にフランスで高速鉄道TGVが、27年後にドイツで高速鉄道ICEが開業しました。

戦後、世界の鉄道界をリードしていた誇り高いフランスが、日本に追いつこうとしましたが、TGVの開発に17年掛かったのです、ドイツでICEが開業したのは、更に10年後のことでした。

 これは新幹線電車の総合技術開発が、いかに難しく、困難で、優れたものであったかを物語るものです。その基礎を固め先端を拓いたのが芝にあった蕨工場なのです。

そこで働いたのは蕨や川口の人たち、その人たちの日々の暮らしを支えたのが川口や蕨の商店街の人たちでした。

f:id:jiajiawarabi:20201206063850j:plain

f:id:jiajiawarabi:20201206063922j:plain

 昨年10月14日、世界最初の新幹線電車が誕生した日本車輌・蕨工場、現在の芝園団地に「新幹線電車発祥の地記念碑」が建立され、除幕されました。是非ご覧になってください。

f:id:jiajiawarabi:20201206064047j:plain

 今日は短い時間でしたので、「鉄道の始まり」についてお話ししました。

次回は「蕨と鉄道、世界最初の新幹線電車が蕨駅から出発した事実」を語りたいと存じます。

 ご静聴いただき有り難うございました。

 

以上が笑楽日塾塾長荒井貞夫(鉄道の専門家)の講演録ですが、鉄道の歴史をやさしく分かりやすくお話しいただきました。長文になりましたので5回に分けて投稿しましたが、日本の鉄道の歴史を知るうえで大変貴重な資料と思います。ご苦労された先人たちに感謝です。

また、過去に『新幹線電車発祥の地・記念碑除幕式』を投稿していますので、こちらもご覧ください。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

 現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

第5回オンライン公開講座は本日12月10日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「弓道と真善美」と題して、日本人の精神文化に深い影響を与えた弓道の神髄についてお話しします。

今回の講座は来年の1月8日(金)~1月14日(木)までの間、わらびケーブルビジョン(11チャンネル)の『ウインクパラダイス』で放送されます。蕨市内の方しか見ることは出来ませんが、朝10時からと午後8時からの1日2回放送されますので是非ご覧になってください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

次回は戊辰戦争・エルドラド・若松コロニー・伊藤おけいです。なお、次回からは週1回(毎週水曜日)投稿に戻ります。

第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第二話 ロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設

第一話ではロシアのプチャーチンアメリカのペリーが汽車模型を日本で走らせたこと、最初に汽車に乗った日本人は誰か、ジョン万次郎と蕨とエルドラド、咸臨丸でアメリカに渡ったサムライと鉄道、埼玉県人で最初に汽車に乗ったのは誰か、についてお話ししました。

今回は、第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第一話1回目12月2日(水)と2回目4日(金)・3回目6日(日)に投稿分の続きです。まだお読みになられていない方はこちらもご覧ください。

 

第二話では 井上勝とロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設についてお話しいたします

f:id:jiajiawarabi:20201205163341j:plain

160年前、日本の侍達84名がアメリカの軍艦ポーハタン号で、咸臨丸で96名の侍達がアメリカへ渡り汽車に乗りました。それから2年後 、文久2年(1862年)ヨーロッパへ派遣された榎本武揚ら幕府の留学生はヨーロッパで汽車に乗っています。このとき、福沢諭吉も一行に加わっていました。諭吉はロシアのサンクトペテルブルグからパリまで汽車に乗っています。

 この文久2年、神奈川で生麦事件が起きています。その後、薩摩と英国が戦争し、とても英国には敵わないとわかって、明治維新が早まったという説があります。

 このようにして初めて汽車に乗った人たちでしたが、彼らが日本の鉄道建設を推進したのではなかったのです。それでは、一体誰がそれを成し遂げたのでしょうか。

 歴史の本には伊藤博文大隈重信がそれをやったと書いてありますが、幕末から明治への大激動の時代に、この人物がいなければ日本の鉄道建設は為し得なかったと私は確信しています。

 ② それは文久3年と申しますから、今から157年前、1863年5月夜半のことでございました。横浜から上海行きの蒸気船に便乗し、ロンドンへ密航しようとする5人の青年がおりました。彼らはみな長州藩士で、国の将来を思い、欧米の優れた文明を導入しようとする藩の密命によって、幕府の禁制を犯し、渡航しようとする情熱に燃えた青年たちでありました。その中に伊藤博文や、後に鉄道の父と仰がれる最年少若干21歳の井上勝がおりました。

f:id:jiajiawarabi:20201205163631j:plain

 ③ アフリカ南端の喜望峰を回って、一行がロンドンに着いたのは実に4ヵ月後のことでございます。

f:id:jiajiawarabi:20201205163743j:plain

 ④ 彼らはイギリスで政治・経済・文化などあらゆることを学びます。井上はロンドン大学に入学し、そこで鉱山・土木・鉄道工学を学びます。一行が日本に戻りましたのは5年後、時に明治元年1868年のことでございます。

   ここで、長州の侍達が本当にロンドンで学んだという証拠があります。

ジョン・ホワイト 

UCL ロンドン大学

f:id:jiajiawarabi:20201205163851j:plain

ここに長州ファイブの侍5人についての報道記事があります。7年前に朝日新聞(2013年7月15日付け)が報道しています。

 長州ファイブの顕彰碑をデザインした人です。

88歳のジョン・ホワイトさんです。次のように紹介されています。

伊藤博文ら長州の若者5人が150年前の幕末に、英国へ密航留学した。現地で身元引受人となったユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のアレキサンダー・ウイリアムソン教授夫妻の顕彰碑が今月、ロンドン郊外の夫妻の墓地近くに建立された。

 ジョン・ホワイトさんは、UCLの元副学長として顕彰碑をデザインしました。

除幕式の挨拶では、教授夫妻が伊藤らを自宅に下宿させ、社交マナーを教えたことを思い「留学生を公私ともにお世話した。これが日英交流の始まりだった」と述べました。

 日英交流は英国艦隊司令官の来日(1613年)からとされますが、その後鎖国が続いたため、ウイリアムソン夫妻と長州ファイブとの出会いこそが真の両国交流の始まり、というのがジョン・ホワイトさんの持論です。ジョン・ホワイト元副学長の専門は美術史ですが「長州ファイブ」と英国で呼ばれた留学生の存在を知り、四半世紀前に来日、山口県萩市で一人の旧家を訪ね、手がかりを調べました。1993年には日本企業や研究者の協力を得て、ロンドン大学構内に長州ファイブの留学生の努力を称える碑を立てた』と報じられています。

f:id:jiajiawarabi:20201205164132j:plain

 もう一つ、同じ7年前の10日後の新聞記事があります。平成25年8月5日 朝日新聞です

この写真が、彼らがロンドンで学んだことの証明です。

 

2.2 鉄道建設開始

f:id:jiajiawarabi:20201205164340j:plain

① 明治2年に鉄道の建設が決議され、翌明治3年にイギリスから鉄道技師エドモンド・モレル一行115名を招いて鉄道の建設が始まりました。

 ② そして遂に明治5年(1872年)陰暦9月12日、現在の暦で10月14日、日本で最初の鉄道が皆様ご存知のように、新橋~横浜(現在の汐留~桜木町)間に28.8キロメートル開通するのであります。

f:id:jiajiawarabi:20201205164455j:plain

f:id:jiajiawarabi:20201205164531j:plain

 以来148年間世界をリードする鉄道王国に成長した過程は、そのまま近代日本発展の歴史でもあります。

以上が第二話日本の鉄道の始まりです。

 

 ここまでが日本の鉄道のはじまり第一話『産業革命と鉄道』、第二話『ロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設』でした。10日(木)には第三話『新幹線電車発祥の地』を投稿しますのでご期待ください。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

第5回オンライン公開講座は12月10日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「弓道と真善美」と題して、日本人の精神文化に深い影響を与えた弓道の神髄についてお話しします。

今回の講座は来年の1月8日(金)~1月14日(木)までの間、わらびケーブルビジョン(11チャンネル)の『ウインクパラダイス』で放送されます。蕨市内の方しか見ることは出来ませんが、朝10時からと午後8時からの1日2回放送されますので是非ご覧になってください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第一話 産業革命と鉄道の3回目

第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第一話1回目12月2日(水)と2回目4日(金)に投稿分の続きです。まだお読みになられていない方はこちらもご覧ください。

 

渋沢栄一

f:id:jiajiawarabi:20201204150513j:plain

処で、埼玉県人で誰が最初に汽車に乗ったか、荻野吟子か渋沢栄一か。それはどこだったのでしょうか。

それは渋沢栄一でした。栄一は徳永慶喜の弟・徳川昭武随行し、パリ万博へ行きました。

f:id:jiajiawarabi:20201204150610j:plain

 徳川昭武一行は、慶応3年・1867年4月3日マルセイユに着きました。マルセイユからツーロン行きの汽車に乗り、リヨンに一泊して4月11日にパリに到着し、4月28日にナポレオン3世に謁見しました。

 この時、ヨーロッパ各地を鉄道で移動しています。スイス、イタリア、オランダ、イギリス。ベルギーなどを表敬訪問しています。当時、これらの国々ではその30年前に鉄道が開業していました。(1867年10月 大政奉還

 渋沢栄一の伝記を読みますと、渋沢が鉄道建設に関わっていたことがわかります。

時代は江戸から明治に移り、新政府は殖産興業を実現するために、近代的輸送手段の確立が急務と考えました。

蒸気を吐きながら疾走する巨大な蒸気の車、または火の車と呼ばれた鉄道は、日本でも知られていました。

 建議書

新政府内で鉄道建設に熱心だったのは大隈重信伊藤博文らでありました。

鉄道建設の建議書が太政官に提出されました。この建議書を書いたのが渋沢栄一でした。そして、明治3年3月に新橋横浜間の測量が始まりました。イギリスから鉄道技師エドモンド・モレル一行115名を招いて鉄道の建設が始まったのです。

f:id:jiajiawarabi:20201204150711j:plain

 蕨の第4代市長・金子吉衛さんが昭和58年に発行された「埼玉の先人・渋沢栄一」(約300頁の大作、その60頁)にも記載されています。

慶応3年(1867)1月11日フランスの船で横浜港出港。サイゴンシンガポール~セイロン~アデン~スエズマルセイユ~リヨンを経て3月7日パリに到着。56日間。スエズ地峡を汽車で超えてマルセイユへ入った。ナポレオン3世に謁見したのは3月24日(日付けは旧暦)。

 

以上が、第1話『鉄道のはじまり』で、次回からは12月8日(火)に第2話『ロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設』、10日(木)に第3話『新幹線電車発祥の地』を投稿しますのでご期待ください。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

第5回オンライン公開講座は12月10日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「弓道と真善美」と題して、日本人の精神文化に深い影響を与えた弓道の神髄についてお話しします。

この講座はわらびケーブルビジョン、テレビ11チャンネル『ウインクパラダイス』内で放送していただく予定です。蕨市内の方しか見ることは出来ませんが、放送日が決まりましたらお知らせします。朝10時からと午後8時からの1日2回放送予定ですので、是非ご覧になってください。

市外の方で第5回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン講座にご参加ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第一話 産業革命と鉄道の2回目

12月2日(水)に投稿しました第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第一話1回目の続きです。まだお読みになられていない方はこちらもご覧ください。

 

1.3 初めて汽車に乗った日本人・ジョン万次郎

日本人がはじめて鉄道というものを見て、そして乗ったのは1860年、いまから160年前のことでございます。

① 例外があります。中浜万次郎・ジョン万次郎です。初めてアメリカ本土で暮らし、帰国した最初の日本人です。

f:id:jiajiawarabi:20201202150712j:plain

② ペリーが2度目の来航の13年前、天保12年・1841年、土佐の漁師だった14歳の万次郎はカツオ漁の最中に嵐にあって難破してしまいました。

万次郎を救助したのはアメリカの捕鯨船ジョン・ハラウンド号の船長ウイリアム・ヘンリー・ホイットフィールドでした。

万次郎が難破したのは鳥島の近海です。そしてハワイから南米の最先端を回って東海岸のフェアヘブンに入ります。

③ 船長は万次郎をアメリカまで連れて帰り、自宅から学校に通わせました。

実直な万次郎は家族や近所の人にも好かれました。

彼は学校で、数学や造船、航海術を学び、11年後に捕鯨船を乗り継いで帰国します。その後は幕府の通訳として大活躍します。

万次郎はアメリカで暮らしながらも、日本のこと、とりわけ土佐清水の母親のことがどうしても忘れられません。彼は日本への帰国を船長に相談します。しかし、帰国の旅費までは船長も余裕がありませんでした。

万次郎はどうやって帰国したのか、その資金をどうやって稼いだのか、この時代は西部開拓、ゴールドラッシュの時代でした。万次郎が住んでいたのは東海岸のワシントン、ニューヨーク更に北のボストン近郊のマサチューセッツのフェアヘブンという漁港です。

万次郎は、俺も西部へ行って、金を掘ってそのお金で日本へ帰ろうと決断します。

 金が採れるのは5,000km離れた西部です。

f:id:jiajiawarabi:20201202150906j:plain

万次郎がアメリカ西部のエルドラドへ行ったことがあるのではないかという仮説があります。

それは、

④ 万次郎は帰国の旅費を稼ぐために、西部開拓・ゴールドラッシュの土地カルフォルニアへ行きます。そこがエルドラドではなかったか。

エルドラド?どこかでお聞きになられた地名です。

45年前から蕨市と姉妹提携をしている所です。

エルドラドは、7年前のNHK大河ドラマ「八重の桜」に登場した会津の人たちが入植した所でもあります。

万次郎はその20年前に既にエルドラドへ入りました。エルドラドのゴールドヒルの丘に会津の伊藤おけい(OKEI)さんのお墓があります。

万次郎はどうやってアメリカの東部から西部へ移動したのか。この時代に西部へ行くには、西部劇でおなじみの幌馬車があります。幌馬車は速く移動できますが、料金が高く、インデアンに襲われる危険もありました。

万次郎は船乗りですので、木材船の仕事を見つけて、船に乗って東部から西部へ行くことを決断します。

f:id:jiajiawarabi:20201202151029j:plain

⑤ 1849年10月、22歳の万次郎はアメリ東海岸から木材船に乗り、南米の最先端ホーン岬を回って翌年5月サンフランシスコに入ります。

そこからサクラメントを目指して130㎞、川をさかのぼり、サクラメントから汽車に乗り、シエラネバダ山脈のふもとへたどり着きます。

実はこれが、万次郎が初めて汽車に乗った時です。すなわち、日本人が初めて汽車に乗ったのです。1850年ですから今から170年前のことです。

 

1.4 もう一つ記録があります 幕府の一行がアメリカで汽車に乗っています

① 万次郎がマサチューセッツ州のフェアヘブンでウィリアム・ヘンリー・ホイットフイールド船長一家と別れてから11年後、万延元年・1860年、万次郎が命の恩人と再会を果たすチャンスが訪れます。

② それは 日米通商条約批准書交換のために、幕府の外国奉行新美豊前守正興を団長とする一行がアメリカ合衆国に向けて品川沖を出発したのは万延元年(1860年)1月16日のことでした。

一行は84名で、彼らはアメリカの軍艦ポーハタン号に乗って、太平洋を横断し、ハワイからサンフランシスコに渡りました。

f:id:jiajiawarabi:20201202151131j:plain

③ 実は、このときポーハタン号より数日早くサンフランシスコに入港していた船がありました。それは軍艦奉行木村摂津守喜毅・船将・勝麟太郎義邦等が乗り組んだ幕府の軍艦咸臨丸は福沢諭吉中浜万次郎ら96人を乗せてサンフランシスコに渡りました。太平洋を横断した最初の日本の船です。

こうしてポーハタン号の84名、咸臨丸の96名の侍達がサンフランシスコに集結しました。彼らはここから批准書交換のために、西海岸からワシントンのある東海岸へ抜けなければなりません。彼らはどうやって移動したのでしょうか。

④ 一行は西海岸から鉄道でアメリカ大陸を横断しました。当時、アメリカ横断鉄道は完成していませんし、パナマ運河も完成していませんでしたので、太平洋側から大西洋側 に出るには鉄道が必要で1855年に開通したパナマ鉄道でした。遣米使節の一行はこの鉄道を利用したのです。このとき中浜万次郎は既に汽車に乗った経験がありましたが、一行は初めて汽車に乗ったのです。それは1860年、160年前のことでした。

実はこの時、万次郎は密かに命の恩人との再会を夢見ていましたが、会えませんでした。万次郎はどんなにか船長と会いたかったことでしょう。何故なら、彼はワシントンまで来ています。万次郎が暮らした町フェアヘブンは、もう目と鼻の先にあるのです。しかし、万次郎は宮仕えの身で、勝手な行動は許されず、サンフランシスコで修理が終わった咸臨丸が5月に帰国することになり、ハワイ経由で帰国したのです。

万次郎がマサチューセッツ州・フェアヘブンで、命の恩人と再会を果たしますのは、明治 に入ってからです。明治3年・1870年8月、43歳の万次郎は新政府から命じられてヨーロッパ出張します。

f:id:jiajiawarabi:20201202151256j:plain

この時、太平洋を渡って、サンフランシスコからサクラメントへ、そこから完成したばかりのアメリカ大陸横断鉄道でニューヨークへ入り、その年10月28日、晩秋のマサチューセッツ州のフェアヘブンに入り、命の恩人ウイリアム・ヘンリー・ホイットフィールド船長と21年ぶりに再会します。船長が65歳になっていました。

⑤ 中浜家、ウイリアム家、両家の交流は今も続いています。万次郎の5代目が中浜京さん、船長の5代目はロバートソンさんです。

フェアヘブンの図書館に一振りの日本刀が飾られています。

万次郎が贈ったという説がありますが、実際は、万次郎の長男・中浜東一郎医学博士が大正7年・1918年7月4日アメリカ合衆国独立記念日に地元フェアヘブンに贈ったと The Morning Starという新聞が大きな写真入りで報じております。

 以上が、日本人が汽車に乗った記録です。

 

ここまでは第1話の2回目『鉄道の始まり(最初に汽車に乗った日本人は誰か)(ジョン万次郎と蕨とエルドラド)(咸臨丸でアメリカに渡ったサムライと鉄道)』で、6日(日)には第1話の3回目『鉄道の始まり(埼玉県人で最初に汽車に乗ったのは誰か)』、8日(火)は第2話『ロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設』、10日(木)は第3話『新幹線電車発祥の地』を投稿しますのでご期待ください。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催していますので、今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

第5回オンライン公開講座は12月10日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「弓道と真善美」と題して、日本人の精神文化に深い影響を与えた弓道の神髄についてお話しします。

この講座はわらびケーブルビジョン、テレビ11チャンネル『ウインクパラダイス』内で放送していただく予定です。蕨市内の方しか見ることは出来ませんが、朝10時からと午後8時からの1日2回放送予定ですので、是非ご覧になってください。

市外の方で第5回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン講座にご参加ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

第4回オンライン公開講座「鉄道のはじまり」第一話 産業革命と鉄道の1回目

f:id:jiajiawarabi:20201202060251j:plain2020年11月12日(木)20時よりオンライン市民講座【鉄道の始まり】が開催され、笑楽日塾塾長荒井貞夫がPowerpointのスライドで資料写真等を表示しながら、鉄道について様々な角度から大変分かりやすくお話しくださいました。

今回は講演記録から第1話を3回に分け、第2話と第3話は各1回ずつで、合わせて5回分を隔日に投稿します。大変貴重なお話しに加え写真も多数ありますので、照らし合わせながらお読みいただくとより分かりやすいと思います。是非ご一読ください。

  2020年11月12日(木)オンライン市民講座 【鉄道の始まり】

f:id:jiajiawarabi:20201201180048j:plain

始めに

 皆様、こんばんは 荒井貞夫です。

日本が世界に誇れる技術はたくさんありますが、その中で、生まれてから

56年間ずーっと進化し続け、世界中の誰もがあれは日本のオリジナルだ、日本人が世界に先駆けて開発したんだと認める技術、それが新幹線電車です。

いきなり時速210kmを実現して世界をアッと言わせた夢の超特急・新幹線電車その第1号車はいつ、何処で生まれたのでしょうか、どこから出発したのでしょうか、その源流を探って行きますと、埼玉県・蕨市に突き当たるのです。

f:id:jiajiawarabi:20201201180203j:plain

 東海道新幹線が1964年に開業して今年(2020年)で56年、その試作車からすでに58年経ちました。新幹線システムは56年間、より早く、より快適に、より安全へと年々進化しています。今や世界一安全で、乗り心地も世界最高の高速鉄道です。

f:id:jiajiawarabi:20201201180302j:plain

 その出発点となった鉄道が日本で建設されたのは何時頃だったのでしょうか。

幕末から明治への大激動の時代に、誰が日本の鉄道建設を成し遂げたのでしょうか

今夜は近代日本発展の魁けとなりました「日本の鉄道の始まり」からお話しいたします

 

今夜のお話は次の3つで構成されています。

 第1話 鉄道の始まり  産業革命と鉄道

第2話 ロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設  幕末から明治へ

第3話 新幹線電車発祥の地  世界最初の新幹線電車は蕨駅から出発した

 

1鉄道の始まり

 

1.1 始めに「産業革命と鉄道」についてお話いたします

  第一話でお話ししますのは、次の5点です。

ロシアのプチャーチンアメリカのペリーが運んできた汽車模型

   最初に汽車に乗った日本人は誰か

   ジョン万次郎と蕨とエルドラド

   咸臨丸でアメリカに渡ったサムライと鉄道

   埼玉県人で最初に汽車に乗ったのは誰か

  ① わが国で鉄道が開通したのは欧米に遅れること47年です。

イギリスでは1825年に、ストックトンダーリントン鉄道44.3kmが石炭輸送鉄道として開業しました。

そして1830年9月15日、世界最初の本格的な旅客鉄道であるリバプールマンチェスター鉄道が開業しました。

ベルギーでは、1835年にブラッセルとマリンーズの間に、

続いて、ドイツのニュールンベルグとファースの間に鉄道が開通しました。

 ② フランス最初の本格的な蒸気鉄道は、1837年に開通したパリとサンジェルマン間の鉄道であります。

アメリカ最初の鉄道は、1830年東海岸のバルチモアとエリエッツの間に開通した、バルチモアーオハイオ鉄道21kmです。

次いで、1831年サウスカロライナ鉄道が開業しました。

アメリカ大陸横断鉄道が完成したのは1869年でした。

こうしてイギリスに誕生した鉄道は、産業革命の進展ともあいまって急速に世界に広がっていきました。

 ③ では、わが国はどうであったか。誰が幕末から明治に移った短期間の内にこの鉄道建設を推進し完成させたのでしょうか。

 皆さんは福沢諭吉中浜万次郎伊藤博文勝麟太郎などのお話をお読みになられたことがあると存じます。こういう偉い人たちが活躍した時代、幕末から明治にかけて日本の鉄道建設は動き出したのです。

 

1.2 江戸時代にロシアとアメリカから持ってきた鉄道模型が走った

次に、日本の鉄道の夜明けについてお話いたします。

 ① 横浜港が安政6年(1859年)に開港して、今年は161年になります。

これがいつごろの時代かと申しますと、この翌年3月3日に桜田門外の変が起きています。その前年には日米修好通商条約が調印されています。

f:id:jiajiawarabi:20201201180414j:plain

 ② 横浜港が開港する6年前、嘉永6年(1853年)に、ロシアの通商使節団長プチャーチンが長崎にやって来ました。

このとき佐賀藩エジソンと言われた田中久重らが停泊中のロシアの軍艦パルラダに乗り込み、そこで彼らは大変珍しいものを見ました。

 ③ それは焼酎で動く長さ20センチばかりの蒸気機関車でした。当時の様子は【かの士官室における蒸気車の雛形は、これに熱湯を注入し、焼酎の器に点火し、その沸騰の音起こりて、煙突より煙を生ずるに及びて、前に施せる螺旋を捻れば、車輪忽ち盤上を回(メグリ)り、而(シコウ)して押さえて捻金(ネジガネ)を捻れば、忽ち止む装置なり】と鍋島公に報告されていました。

 ④ プチャーチンが長崎を発った8日後の安政元年(1854年)1月、アメリカ合衆国使節ペリーが江戸湾にやって来ました。彼は2度目の来航です。

f:id:jiajiawarabi:20201201180538j:plain

 ⑤ ペリーが最初に日本に来たのは、その前年、嘉永6年(1853年)6月でした。いわゆる「黒船来る」でした。

ペリーは浦賀から久里浜へ上陸し、日本へ開国要求書を突き付けていったん引き揚げました。

 ⑥ ペリーはこの2度目の来航のとき、将軍に宛てて、アメリカ大統領(フランクリン・ピアース)からの贈り物・献上品33品目を携えていました。

その中に蒸気機関車の模型があり、これを横浜の応接所の庭にレールを敷いて運転して見せました。

f:id:jiajiawarabi:20201201180628j:plain⑦ このとき幕府は余り興味を示しませんでしたが、南の佐賀藩ではそれから2年後に独力で長さ40センチの蒸気機関車の模型を完成させました。

そして佐賀藩製錬方の広場に円形にレールを設置して、その模型を運転しました。

この時18歳の大隈重信もこれを見学したと伝えられています。

この模型は佐賀県立博物館に保存されています。(佐賀県・鍋島報効会所蔵)

 ⑧ 先ほども申し上げましたが、安政6年1859年に横浜港が開港して今年で161年経ちました。

ヨーロッパやアメリカではその34年も前に既に鉄道が開通していましたがそのころ日本はまだ江戸時代末期でもちろん鉄道はありませんし、鉄道とか汽車というものを知っている日本人はおりませんでした。

日本人がはじめて鉄道というものを見て、そして乗ったのは1860年、いまから160年前のことでございます。

 

以上が第1話の初回分『鉄道の始まり(ロシアのプチャーチンアメリカのペリーが運んできた汽車模型)』です。明後日の4日(金):第1話の2回目『鉄道の始まり(最初に汽車に乗った日本人は誰か)(ジョン万次郎と蕨とエルドラド)(咸臨丸でアメリカに渡ったサムライと鉄道)』。6日(日):第1話の3回目『鉄道の始まり(埼玉県人で最初に汽車に乗ったのは誰か)』。8日(火):第2話『ロンドンへの密航から始まった日本の鉄道建設』。10日(木):第3話『新幹線電車発祥の地』。を投稿しますのでご期待ください。

f:id:jiajiawarabi:20200719161052j:plain

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

今回の講座は明日12月3日(木)までわらびケーブルビジョン、テレビ11チャンネル『ウインクパラダイス』で放送中です。蕨市内の方しか見ることは出来ませんが朝10時からと午後8時からの1日2回放送中ですので、是非ご覧になってください。

市外の方で第5回以降の視聴をご希望の方は是非オンライン講座にご参加ください。

また、第5回オンライン公開講座は12月10日(木)20時より当笑楽日塾塾生が「弓道と真善美」と題して、日本人の精神文化に深い影響を与えた弓道の神髄についてお話しします。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

span.author.vcard{ display:none; }