笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

復活のご挨拶

ご無沙汰しております。

勤務先の現場が変わったため昨年11月から超多忙になってしまい、ブログ更新の手抜きをしてしまいました。その慌ただしさもようやく落ち着いてきましたので、これからは目標としている週1回の更新に戻りたいたいと思っています。

ブロブの管理人とマンションの管理人をしている私が、W管理人の『管理太郎』として2020年7月19日から投稿し始め、早いもので3年半経ちました。今回は昨年11月からの復活初回でもあり、3年半の間に途中からご覧いただいている方もおられますので、より分かり易くするために初回投稿分を引用して蕨市や笑楽日塾の紹介から始めてみます。

タイトルは『笑楽日塾の事件簿』などと大層な名前を付けましたが、当ブログでは殺人事件は起きませんし名探偵も登場しません。タイトルはミステリー好きな管理人の単なる気まぐれですので気楽にお付き合いください。埼玉県と蕨市を愛してやまない管理人が笑楽日塾の活動を軸に、構成上の脈絡もなく淡々と綴る備忘録もどきのものとご承知おきください。

笑楽日塾は埼玉県蕨市で活動する団体ということで蕨市の歴史を少し紹介します。

蕨は江戸時代に整備した中山道板橋宿の次に位置する2番目の宿場『蕨宿』として発展し、大名の参勤交代や生活物資の運搬にも街道の中継点として重要な役割を果たしました。蛇足ですが、蕨と板橋の距離について三代目三遊亭金馬師匠は、古典落語『雑排』の中に登場する人物の「八っつぁん」が『蕨とは板橋からは一里半』と詠んでいます。ただし、正確にはもう少し長いようです。また、蕨は江戸時代後期から昭和30年代頃までは織物業が盛んになりました。絹糸に比べて丈夫で着心地の良い綿糸を使った織物は、蕨の特産品双子織の先駆けになる「ニタ子縞」の開発によって大きく町の発展に貢献しました。

今では全国的に行われている成人式(蕨市では成年式と呼ばれ、蕨城址公園の中にこの記念像がある)発祥の町でもあります。

 

笑楽日塾とは 埼玉県南部に位置し、全国に数ある市の中で面積が1番小さく、人口密度は全国の市町村で最も高い蕨市で活動する、『就労からリタイアした、又はリタイア間近な男の集団』です。

男の集団『笑楽日塾』は2018年1月『これまでの人生で得た知識を塾生の間で分かち合おう』『余裕の出来た時間を使って地元のお役にも立ちたい』との意気込みで、既にリタイアした男13名・リタイア間近の男2名の計15名で立ち上げ誕生しました。

笑楽日塾は今から6年前に発足しています。当ブログ内では当時と現在の出来事が混在しており多少混乱するかもしれませんが、出来るだけ分かりやすく進めたいと思っていますのでご承知おきください。また、笑楽日塾6年間の歴史と経緯を綴ったこのブログを、多くのリタイアされた男性やリタイア間近の方に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで、社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

当ブログは笑楽日塾の日々の活動を脈絡なく書きなぐりますが、個人情報保護のため多少理解し難いことがあるかもしれません。スケジュールとしては毎週水曜日の更新を予定していますので、お手すきの時にでもお立ち寄りください。

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

 

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