笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

会報誌「笑楽日塾だより」シニアの風⑬

2022年10月5日投稿分の「笑楽日塾だより シニアの風⑫」の続きで13回目になります。

シニアの風も今回で13回目の投稿で23編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々な思いを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回のコラムは「自死」という大変重たい問題を「ケ・セラ・セラで今を生きる」と題して書かれています。皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

なお、この記事は2020年7月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

第23篇:「ケ・セラ・セラで今を生きる」

7月下旬の4連休中は、昨日高校の同級生と千葉でゴルフをしてまいりました。今日と明日はこんな天気でもありますので、家でおとなしくしております。

最近考えさせられるのはやはり、死についてです。三浦春馬さんや筋ジストロフィーで、自殺幇助を依頼した女性など、コロナ禍のとはまた別の大きな問題となりそうです。日本では年間3万人弱の方が自ら命を断つと聞いたことがあります。最近のデータは調べておりませんが、単純に考えて毎日100人弱の方々が自殺していることになります。

日本人はよく真面目で几帳面で周りに迷惑をかけたくないと思ってしまう民族であると聞きます。私も総じてそう思います。自死を考えてしまう人って、自分がこの世からいなくなった方が世の中のためだとか、生きていてもなんにも役に立たないという気持ちから行動を起こしてしまう方が殆どではないかと思います。

一つ自分が申し上げたいのは、他人は自分のことで精一杯で自分以外の事は己の視点で深く何も考えず、思った事を口に出し仲間割れをしたり、せっかく巡り合った人達と別れたりしてしまいます。要は、他人はそんなに自分を見ていないし、関心も持っていないと言う事です。自分をよく見ているのは他でもない自分自身なのです。気まじめな本人は言われたことに対して気に病むことで時によって自殺という最悪な状況化に自分を追い詰めてしまいます。言った他人はそんなに深く考えて言った訳では無いのに。

せっかく、親から生まれてこの地球という素晴らしい水の惑星で自分の人生を磨くために生かされ、生まれてきたのにもったいないと思いますが、この頃は親が自分の身勝手で子供を置き去りにしてパチンコや旅行にいったり、虐待したりと昨今の子供は大変です。SNSもしかりです。見えない他人は平気で攻撃をかけてきます。私は、SNSなどは何が楽しいのか分かりませんがそんな時間があれば、もっと自分を磨くことに専念すれば人生は楽しいのにと思います。

そして私は幼い時から、自分自身が何をやりたいというよりも、周りの人達から変な人だと思われたくな いと思って生きてきました。盛岡といっても、首都圏に比べれば田舎ですから、やれ、あそこの誰それが何処の高校に入ったとか、何処の大学に入ったとかは、家族間でよく出る会話でした。そんな中で〇〇さんちの三番目は、大したことないねとは言われたくない一心で、スポーツや勉学にそれなりに取り組んで来ました。ここ、5年位でしょうか?そんな事を気にしてきた自分が、妙に馬鹿馬鹿しくなって来たのです。多分、周りの人達は私の事よりも自分自身が大切。(私自身もそう思っていたように。)ということに50歳を過ぎてようやく気づく事ができたのです。

死を思いついて実行してしまえば、それでおしまいです。何年か後に、あの時は馬鹿なこと考えていたと、振り返ることも出来ません。何でもかんでもその場で結論を出そうとするのも真面目で几帳面な人の特徴だと思います。私は、白黒をハッキリつけなくても良いのだ、もっといい意味で適当にやろうと、思えたときに本当に肩の荷がおりました。余り物事コン詰めて考えなくてもいい、ケ・セラ・セラで楽しく生きて行きたいと今心から思います!極論を言うと一番大切なのは「自分と家族」それ以外はあまり深く考えず、ケ・セラ・セラで「今を生きる」事が重要でしょうね。諸先輩方も何時までもお元気で、ご活躍下さいませ!!(塩梅よく。)              以上

以上、シニアの風の中から第23編「ケ・セラ・セラで今を生きる」をご紹介しました。縁あって両親から頂いた命ですからもっともっと大切にしたいものです。江戸時代の臨済宗古月派の禅僧で画家の仙厓義梵和尚が画いた絵には、柳の横に「気に入らぬ風もあろうに柳かな」と書いています。

また、多くの噺家さんが演じる古典落語「天災」の中で「気に入らぬ風もあろうに柳かな。むっとして帰れば門の柳かな。風の吹く方を後ろに柳かな。」「堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍。堪忍の袋を常に首に掛け、破れたら縫え、破れたら縫え。」と語っています。これも「ケ・セラ・セラ」に通じるものがあると思います。私はこの言葉が大好きです。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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