笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

「笑楽日塾だより」シニアの風⑭

2022年11月2日投稿分「笑楽日塾だより シニアの風⑬」の続きで14回目になります。

シニアの風も今回で14回目の投稿で24編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々な思いを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回のコラムは「お盆にふるさと帰省」を、新型コロナウイルス感染拡大と絡めて「8月に想う」と題して書かれています。皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。

なお、この記事は2020年8月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。

第24篇:「8月に想う

8月15日ご先祖様に挨拶しに車で1時間弱の実家へ行くべきか悶々として、実家へ電話したら、「何もないけど、今年も仏様を迎える準備をするから来ても良いよ」と。

実家へ行く前に、館林のインターチエンジ近くの91才の姉の家へ寄った。ここでも客間に大きな仏様飾りが設えてあった。そこから真言宗のお寺に挨拶してお墓参りし、実家の近くの74才の妹のところへ寄った。ここでも仏様飾りが客間に用意してあった。昼前に実家に着いた。両親の事や兄弟姉妹10人の状況を話すうちに、「昔はこんなに暑くなかったなー、こんなに暑くては昼寝も出来ないね」。昔は畑仕事が終わると両親は昼寝して3時頃まで休んだ。わたしは近くの川と沼へ泳ぎに行った。

暑さの原因は、地球温暖化だけではなく、子供の頃は家の周りや近所にも樹木が多かった。それが少なくなって日陰が少ない。近くにあった大きな沼(板倉沼)は、渡良瀬川を浚渫した泥を運んで埋め立てられ、工場団地になってしまった。沼があった頃は、今頃は蓮の花がいっぱい咲いていた。冬には白鳥がたくさん舞い降りていた。そのような景色はもう見ることが出来ない。

コロナで田舎へ行ってそんな思い出に浸っていた。ちょうど12時に戦没者追悼式が報じられて天皇のお言葉があった。「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たに致します」。続けて、今年は次のお言葉があった。

「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていく事を心から願います」。天皇のお言葉にコロナが出てきたのです。連日1,000人以上のコロナウイルス感染者が発生していますが、なんとしてもコロナウイルスに打ち勝って、戦後最悪のGDPの落ち込み(年率27.8%)を乗り切って行けるようにと8月15日に祈りました。        以上

シニアの風の中から第24編「8月に想う」をご紹介しました。 今年も季節は冬に向かって邁進中です。テレビでは「新型コロナの第7波がようやく収まってきたと思われるこのタイミングで、まもなく第8波が来る」と話をしています。本当に第8波は来るのでしょうか、来るとしたらいつ頃になるのでしょうか、それはどの程度の規模になるのでしょうか。そして、もしきたらどう備えるべきなのか。悩ましい問題です。

なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。


本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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