2022年11月9日投稿分「笑楽日塾だより シニアの風⑭」の続きで15回目になります。
シニアの風も今回で15回目の投稿で25編目になりました。シニアの風には笑楽日塾塾生が硬軟様々な思いを書かれており、それぞれの多彩なお話しに敬服しっぱなし。今回のコラムはご自身の日常を「何気ない毎日を考える」と題して書かれています。このコラムに皆様が興味をお持ちいただけるようでしたらご紹介冥利に尽きます。
なお、この記事は2020年9月に書かれたものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。(塾生全員が持ち回りで書いています)。
「何気ない毎日を考える」
新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出をシニアは特に感染しないように、毎日に気を使って、我慢して生活しています。人と接したり、外出したりと楽しかった日がいつ戻るのでしょうか?
そして、なんとなく過ぎて行く毎日は皆、平等に訪れ、そして去っていきます。
とても良い1日であったり、悪い日であることもあり、日常はするりと過ぎ去るからこそ日常です。
でも、その中から「角度を変えて見つめなおす、見えないものと向き合う」事によって「小さな幸せ」を見出すことができるのではないでしょうか?
では、日常に隠れた「幸せ」とはなんでしょうか。
当たり前の毎日は、するっと過ぎて特にとりたてて幸せだと感じることはないと思うかもしれない。
日常はあくまでも日常。そこから幸せを見つけるには、自分の日常を細かくくだいて「探す」ことが、必要なのではないでしょうか。
私が「小さな幸せ(ささやかな幸せ)」を感じる瞬間
・毎日が平和で生きられること
・気の置けない仲間と会話、飲食するとき
・美味しいものや、甘いものなどを食べたとき
・家族団らんで過ごしているとき
・子ども(孫)と遊んでいるとき
・布団に入って寝る瞬間に感じるとき
・お風呂にゆっくりと浸かったとき
・旅行やレジャーなどに仲間と出かけたとき
・晩酌をしているとき
・青空の広がった晴天を見たとき
・夏の青い空に浮かぶ入道雲をぼんやり観ているとき
・夕焼けや夜空に浮かぶ月や星々を観ているとき
・道端や庭に咲く花々を観るとき
等々、大したお金をかけるものは何もない。
しかし、「小さな幸せ」と感じることも、もしそれが出来ない状況(病気、入院など)になればなんとしても手に入れたい「大きな幸せ」になり得るものばかり。布団で眠ること、お風呂に入ることなど、本当は大きな幸せなのかもしれない。見えないものに思いを馳せると「幸せ」を感じる。
毎年、花が咲くことや季節によって吹く風が違うことを、大人になると当たり前と捉えてしまいがち、青空や夕焼けも綺麗だと感じる日常の1つにすぎない。でもそこには自然の大きな力が働いていて、そう思って観ると、美しいものが実は自分の周りにたくさん溢れていて、お金では買えない自然の美しさや四季を感じられることは、最近では小さいとは言い難い「幸せ」かもしれないと感じています。
会社に勤めていた時は「企業戦士」として活躍していた私も、年金生活者になったシニアは自分を誇示したり、他人と駆け引きをしたりをする必要は無くなりました。今もそれをしているとしたら考えを改める必要があると私は考えます。そんな事をする必要がどこにあるのでしょうか? 疲れるだけです。
人は亡くなる時は手になにも持って「あの世」には行けません。無一物です。そんな仏教的考えもこの頃は、浦和にあるお墓に関連している寺院で開催している仏教勉強会と称して少人数ですが、副住職を交えて仏教の話や仏陀の話などの法話を聞く時間を持つようになりました。これも何かのご縁だと思っています。
そして、この頃は鈍ってきた刃を研ぎ澄ます意味でも持っている感性を、いつまでも子どもであった時の「幼心」をシニアになっても忘れないようにしたいものだとも考えます。
以下は私の好きな格言です。
『「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない』= sense of wonder Rachel Carson
「人間はじぶんの時間をどうするかは自分できめなくてはならない」 Michael Ende
以上
シニアの風の中から第24編「何気ない毎日を考える」をご紹介しました。
日常の一つの事がらである「小さな幸せ(ささやかな幸せ)」を感じる瞬間。素晴らしいですね。青い鳥は間違いなく身近なところにいることを信じましょう。
今年も季節は冬に向かって邁進中ですが、新型コロナの第8波やインフルエンザの流行が案じられています。ご用心、ご用心。
なお、笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。
≪ 重 要 ≫
本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。