笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

新幹線電車発祥の地・記念碑除幕式

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今回はめでたいお話で『新幹線電車発祥の地・記念碑除幕式』ですが、 記事前半の歴史的部分はほとんど荒井塾長からの受け売りです。

1964年2月19日に初代新幹線電車『0系新幹線電車』が蕨駅の隣(川口市芝)にある日本車輌製造㈱東京支店蕨工場(現芝園団地)で生まれ、蕨駅から巣立っていきました。

2019年8月荒井塾長の講演記録によると『明治に入って鉄道が開業し、蕨に停車場と呼ばれた駅が出来てから126年の間に、蕨が鉄道の分野で脚光を浴びた時代があった。1934年この小さな町の近くに鉄道車両工場が誕生し、1962年世界最初の新幹線電車を生みだし、その10年後に工場が消え去るまでの間である。』と話されています。

1972年に蕨工場は愛知県の豊川市に移転しましたが、移転先の豊川市の工場もそれまでの名称『豊川製作所』を『豊川蕨製作所』と改名し、1996年4月まで蕨の名前を残してくれました。蕨工場で開発され培われた0系新幹線電車の技術を引き継ぐことや、蕨工場から豊川に転勤して工場に新しい命を吹き込んでくれた社員に対して敬意を表してくれたものと思います。

夢の超特急1号車の源流を探っていくと川口市芝園団地とその最寄り駅の蕨駅にたどり着くのですね。

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2019年10月14日(鉄道記念日)に嘗ての日本車輌製造㈱東京支店蕨工場跡地(現芝園団地)に『新幹線電車発祥の地・記念碑』が建立され、その除幕式が関係各位の方々ご参加のもと盛大に挙行されました。また、荒井貞夫記念碑建立実行委員会代表の挨拶に続き、川口市長 奥ノ木 信夫様から頂いた祝電も披露されました。

もちろん我が笑楽日塾の塾生も多数参加(お手伝いの方もおられます)して式を盛り上げています。

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除幕式では多くの関係者の方が記念撮影を行っていましたが、なかでもOBの方は大変感慨深そうに碑に見入っていました。お若い頃に大車輪の活躍をされていた事を思い出されたのかもしれません。

取材も『朝日新聞』『埼玉新聞』やケーブルTV『J-COM』と蕨市の『ウインク』が来られて、除幕式の後にはあちこちにインタビューの輪が出来、取材を受けるOBの方たちも丁寧にお答えしていました。

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記念碑は現在の芝園団地敷地内にありますが、公道の歩道にも近いため通行される方も興味深そうに『今日は何があるんですか?』との質問攻め。帰りがけには駅に向かう女性に問いかけられたので、歩きながら説明し『帰りに覗いてみてください』とお願いしたら、快諾を得たので自己満足。

曇天のため傘を持って参加された方が多くおられましたが(私を含め)、何とか最後まで持ちこたえてくれた天気にも感謝です。

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昨年笑楽日塾は講演会やシンポジウム・公開講座を開催しましたが、今年は『新型コロナウイス感染拡大』の影響を受け、多数の方にお集まりいただく公開講座等は自粛しています。

現在は皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催していますので、今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

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