笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

毎年8月に思うこと(米兵の捕虜と大統領の広島訪問)

笑楽日塾では毎月末に塾生向けの「笑楽日塾だより」を発行し、「塾長挨拶」「塾会報告」「シニアの風」等の記録を残しています。今回は2021年8月号(8月末に発行)に載った荒井塾長の挨拶文「毎年8月に思うこと(米兵の捕虜と大統領の広島訪問)」をご紹介します。3年前の記事ですので当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。

 

8月の蕨市広報は「平和特集 あの日を忘れない、いま、伝えたい」と題して、戦争体験者の証言を載せている。その一人、南町2丁目にお住いの女性(88歳)の語りに、「米軍機が日本車両蕨工場の土地に落とす食料を拾いに行った」とありました。同じような話は中央一丁目旭町町会の男性2名(1名は故人)からもお聞きしました。何故米軍は蕨工場へ食料を落としたのか。そこに米軍の捕虜がいたからです。

POW研究会 本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」(POW prisoners of war米兵の捕虜)の調査報告によると、「1945年7月東京捕虜収容所第11分所として川口市大字芝に開設。使役企業は日本車両蕨工場・終戦時収容人員100人(米73人、伊27人)。収容中の死者なし」と記録されています。(蕨工場では捕虜を虐待しなかったので、戦後米国から訴追されなかった)。

第2次大戦中、約36,000人の連合軍捕虜が日本に連行され、国内130か所の捕虜収容所において過酷な労働を強いられました。そして飢えや病、事故や虐待、さらに友軍の空襲や原爆などによって、終戦までに約3,500名が死亡しました。

76年前蕨の隣、川口市にB29が落ちて米兵が犠牲になった。広島では米兵の捕虜が被爆し亡くなった。5年前にオバマ大統領が広島を訪問された。その影には、広島で被爆し死亡した米兵達の記録をまとめた一人の日本人が当時のキャロライン・ケネディ大使に一冊の調査記録を送ったことがきっかけとなった。その人の名は森重明さん(84歳・歴史研究家)。オバマ大統領が献花を終えて、歩み寄り抱きかかえた人、それが森さんでした。

広島、長﨑への原爆投下、敗戦から76年の夏です。私は真夏の東京オリンピックパラリンピック開催に反対でした。一方で、8月開催は五輪を機会に世界の目が日本に注がれる中で、原爆の日を、核兵器廃絶を願う私たちの思いを伝える絶好の機会だったのではないでしょうか。

2016年5月27日オバマ大統領が広島の平和記念公園を訪れ、核廃絶への決意を語ってから5年。しかし現実世界では核兵器廃絶は全く進展していません。

核を巡る事態はより深刻になっています。8月になるとそのような事を心配していても、8月が過ぎれば何もなかったように、私の心はありふれた日常に戻ってしまいます。

以上

 

当ブログ管理者の 私はかろうじて戦後の生まれですので戦争の体験はなく、平和に暮らすことが出来る生活を当たり前のように享受しています。日本は戦争が終わってから79年経ちましたが、世界中には今まさに戦争をしている国や地域が沢山あります。改めて戦争の恐ろしさと平和の尊さを考えさせられました。戦争、空襲、捕虜、市民の体験、これからも途絶えることなく語り繋がなくてはなりません。

蕨市の広報誌「広報WARABI」には、毎年8月号に「終戦に関する特集が」が載っています。

 

笑楽日塾の活動は下記ホームページに記載されていますのでご参照ください。

 

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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