笑楽日塾の事件簿blog

笑楽日塾の事件簿

就労からリタイアした、又はリタイア間近な男性に読んでいただき、リタイア後も家にこもりきりにならないで社会と繋がりを持つための参考にしていただけたら嬉しく思います。

蕨・現代の偉人「潮地ルミ先生」訪問記

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2018年10月20日、笑楽日塾塾長荒井貞夫他蕨遺産発掘グループ3名がフィールドワークの一環として、蕨市在住の歴史研究家・潮地ルミ先生への自宅訪問インタビューを実施しました。先生は東京でお生まれになられましたが、昭和24年(1949年)に蕨・三和町に引っ越してこられ、昭和26年(1951年)からは蕨市立第一中学校で教えることになりました。蕨に引っ越し蕨の学校に勤務したことから「この地域を調べなきゃ」と思い、はじめは地理に重点を置いて調べ始めたとのことです。

 ≪インタビューに関しては、笑楽日塾の月刊会報誌「笑楽日塾だより」で2018年10月23日に号外として発行され、以下のように紹介しています。≫

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潮地先生のお宅では建築の専門家であり、蕨市の歴史・地誌に造詣が深い知人方にも加わっていただき大変中身の濃いものになりました。

主要な質問項目と所見等は『第1部:潮地先生ご自身の生い立ち等について 第2部:旧三和町(現南町2丁目・3丁目)について 第3部:蕨の織物について』の3部構成です。

以上の質問項目について、主に荒井貞夫塾長が自ら作成のメモを元に順を追ってうかがい、潮地先生がその都度お答えいただく形で進みましたが、潮地先生の滑舌は90歳超とは思えない滑らかさで、言葉によどみがありません。次々とお話が紡ぎ出され、聞いている私どもはついて行くのが大変でした。また、知人の方もお見受けするところまだ若い方ですが、なぜこんなことまで知っているのだろうと思うくらい蕨のことについて博覧強記、的確に潮地先生をフォローされるので、話がどんどん深みにはまっていきました。換言すれば、当グループとして今後取り組むべき課題がどんどん顕在化していったとも言うべきでしょうか。予定していた2時間で済むはずがありません。結局、辞するまで3時間近く経過したのでした。

因みに、蕨に生きてこられた潮地ルミ先生は著書のひとつ「蕨の糸ぐるま」(2002年)で、こう語っておられます:「…どうしても忘れてならないのは、今日の蕨の繁栄は、はたおりの町蕨の人々が汗をかき、涙をこぼし、知恵をしぼって働き出したものだということを」。

そして、笑楽日塾の荒井貞夫塾長は、当塾にとって初めての試みであるこの訪問インタビュー後に、「(潮地先生の)全く実績を誇らない、飾らない生き方に感動を覚えた」と興奮冷めやらない表情で語りました。他の参加者も全く同感で、穏やかに淡々と、しかし、地元への深い愛情を持って熱く語られるスーパー・アクティブシニアの潮地先生には圧倒されるとともに、我々一同、シニアとしてかくありたいと決意を新たにいたしました。

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≪以上が会報誌の内容ですが、後日、この訪問記を荒井塾長が塾内資料として冊子「蕨・現代の偉人 潮地ルミ先生 訪問記」にまとめてくださいました。「第2部:三和町について」の中から「オリンピックと戦争・住宅営団」。「第3部:蕨の織物について」からは「豊田佐吉と蕨」についての感想をご紹介します。≫

 「第2部:三和町について」

昭和12年(1937年)蕨町(現蕨市)に隣接する、北足立郡戸田村(現戸田市)が3年後に開催予定の東京オリンピックのボート会場に決定。そのボートコース開削で出る大量の土砂は蕨の湿地まで運び埋め立てることとなり、戸田の現場から蕨の湿地まで線路を敷いてトロッコ積み蒸気機関車で運びました。

日中戦争が勃発しオリンピックは中止になりましたが、工事は続きボートコースは完成。埋め立てによって出来た蕨の広大な土地の一部は、戦争での食糧不足を補うため「報国農場」として近隣学校(旧制中学校)の生徒も参加し、サツマイモなどの苗を植えて収穫。

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戦争の激化に伴い軍需産業労働力確保が必要となり、昭和16年(1941年)住宅営団この蕨の埋め立て地に、労務者用の住宅として住宅の建設を開始し、後にこの住宅地は三和町(現南町2丁目・3丁目)と名付けられました。町名の由来は旧蕨町大字蕨字穂保作(あざほぼさく)、大字塚越字大荒田(あざおおあらた)、旧戸田村字後(あざうしろ)の三つに跨がる埋め立て地の中にできた事で、住み手と蕨町の協議により付けられたもの(昭和41年10月まで)。

「第3部:蕨の織物について」

かの発明王豊田佐吉氏が若かりし頃の、明治23年(1890)と明治27年(1894)に蕨に来ていたらしいというお話は興味深いこと。「豊田式木製人力織機」や「自動織機」を発明した豊田佐吉氏ですから、機織りで栄えていた街「蕨」まで来て学んだり、教えたり、稼いだり、していても何ら不思議はありません。また、佐吉氏は苦労して浅草で機屋を開業していますので、距離的にも近い蕨まで研鑽に来られたのも当然のことと思います。

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名産品「双子織」を考案して蕨の発展に貢献した高橋新五郎家に泊まり込み「二人で織機の研究をしていた」との言い伝えも残っています。

しかし、当時の佐吉氏はまだ有名人になる前だったため、残された資料が少なく詳細についてははっきりしません。『佐吉伝』や佐吉氏の片腕として活躍し、渡米にも同行した西川秋次氏の『西川伝』の中で僅かに伺い知れるようですが、今後の調査が待たれます。

 ≪荒井塾長による訪問記の締めくくりです。≫

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私が潮地ルミ先生のお名前を初めてお聞きしたのは6年前、蕨駅開業120周年記念講演を頼まれ、地元のことをいろいろと調べているうちに、知人(蕨市立第一中学校での潮地ルミ先生の教え子)から「蕨のことは潮地先生に聞け」と教わりました。しかし、残念ながら今日まで先生にお会いする機会がありませんでした。

このたび、笑楽日塾・蕨遺産発掘フィールドワークの活動として、蕨の郷土史三和町物語、蕨の織物の歴史の泰斗である潮地先生を訪問することが実現し、わくわくしながら長い長いお話をお聞きしました。先生は年齢を感じさせない聞きやすいなめらかな語りで、3時間弱お相手してくださいました。お礼申し上げます。

締めくくりとして、潮地ルミ先生の蕨と織物への熱い思いが伝わってくる一文をその著書(「蕨の糸ぐるま」潮地ルミ著<2002年>)から抜粋・掲載します。

【はじめに】

そして私は蕨を知って蕨を愛し、やがてこの地で終焉を迎えたいと思う今、県史・市史の限られた紙数の中では表しえなかった、はたおりの町を盛んにし、また支えてきた多くの人びとの思いを少しでも残しておかなければと思うようになった。

【結びに】

この五〇年間に歴史の歯車は想像もできなかったスピードで回転して、はたおりの町蕨は過密な住宅都市に変貌し、かつて綿棉を植え、糸車を廻して糸を紡ぎ、トントンと機織りをしていたころの昔話も次第に忘れられようとしている。ただどうしても忘れてならないのは、今日の蕨市の繁栄は、はたおりの町蕨の人々が汗をかき、涙をこぼし、知恵をしぼって働き出したものだということを。そのことを少しでもこの小史が読者に伝えることができたならばと思う。 2002年

【潮地ルミ先生の著書紹介】

  • 双子織考―潮地ルミ 平成4<1994>年11月3日 誠光堂印刷
  • 蕨の糸ぐるまー潮地ルミ 2002年 さきたま出版
  • 機織りの町蕨を支えた人々―潮地ルミ 1992年 蕨市立図書館
  • 埼玉県南部織物工業の史的研究聞き書きー潮地ルミ 1980年

現在笑楽日塾では皆様がご自宅から参加できるオンライン公開講座(無料)『あなたの知らなかった世界への扉を開いてみませんか』を開催しています。今までとは違った世界へ興味をお持ちの方は是非ご参加ください。

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 8月12日(木)に行われたオンライン公開講座PartⅡ第1回目「シニアの地域活動」は『蕨ケーブルビジョン㈱Wink』で放送されます。9月3日(金)~9月9日(木)の間で、ウインクパラダイス10時~、及び20時~、の1日2回です。なお、残念ながらTV放送は蕨市内の方しかご覧になれません。市外の方で次回PartⅡ第2回目以降の視聴をご希望の方は是非オンライン公開講座にご参加ください。Zoomの参加ID番号は 817 2214 7316 です。

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また、オンライン公開講座Part-2の第2回は9月9日(木)20時より「環境にやさしい緑のカーテン」と題し、鶴ヶ島市を中心に活動されている「つるがしま緑のカーテン市民実行委員会(愛称:みどりかぜ)」代表で「埼玉県環境アドバイザー」を務める前田則義様が、夏の強い日差しを和らげエアコンの使用頻度を減らした省エネ効果等、ヒートアイランド対策に効果があると言われる「緑のカーテン」普及を広めながら、人生100年を楽しむ生き方をお話してくださいます。

なお、オンライン公開講座のご案内は下記『笑楽日塾』のホームページに記載されていますのでご一読ください。

本ブログの内容は、著者の個人的見解も多く含まれており、著者の所属する笑楽日塾の意見、方針を100%示すものではありません。

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