唱歌「牧場の朝」は岩瀬牧場が発祥
今回は「笑楽日塾だより2022年7月号」に載ったA氏担当のシニアの風から。「唱歌「牧場の朝」は岩瀬牧場が発祥」と題し、霧に包まれた朝の牧場から鐘の音が聞こえてくる幻想的な風景、誰でも知っている唱歌に心和まされたお話です。以下にご紹介しますが、この記事は約2年前の笑楽日塾だよりに載ったものです。当時の時代背景をご考慮のうえお読みください。
姉が住んでいる福島県鏡石町では、朝・昼・夕に防災無線から「牧場の朝」が流れます。ご存知の方も多い唱歌である「牧場の朝」は、鏡石町にある岩瀬牧場が発祥だそうです。

かつてここは荒れ果てた土地でしたが、那須疏水が作られたことにより開拓されました。敷地内には、尖がり帽子をかたどった建物や、牧場の歴史を紹介する看板などが立てられています。
散策のおり、同牧場に立ち寄り場内の施設や大きなプラタナスの木々を目の当たりにすると、100年を超える歴史を感じます。また、資料館ではオランダより贈られた大きな「鐘」を見ることができ、近くの公園では「牧場の朝」の歌碑も見ることが出来ます。
義兄が「牧場の朝・オランダ交流会」のボランティアとして活動していたこともあり、個人的には「唱歌と鐘と岩瀬牧場」の関係について興味が深いため、その成り立ちについてお話ししたいと思います。
(以下、岩瀬牧場発行の「岩瀬牧場の歴史を今に」“明治・大正のロマン香る岩瀬牧場” 発行:岩瀬牧場 平成18年7月6日より引用 以下の青文字部分)
1.明治9年、明治天皇は第一回東北巡業で矢吹が原と言われたこの地の開拓を命じた。内務大臣の伊藤博文が宮内省御開墾所を創設し大規模開拓の適地として計画、巨額の国費を投じたが、効果が上がらず福島県に管理を委任。

2.明治19年、宮内省御料局岩瀬出張所開設し開墾計画策定された。このころ農耕として北海道新冠牧場、千葉県高堀牧場を含め3か所が指定された。
3.明治23年、国営管理地であったこの御料地を一個人より拝借申し出があり監理などの国費負担を考慮し申し出を許可した。申出人は岸和田藩最後の藩主、岡部長職(おかべながもと)の管理地となり初の民間牧場経営者として明治23年から昭和4年まで経営。
4.地元村長は岡部の民有地が利用できなくなり、農業経営が成り立たなく鏡石村長他2村長と岡部民有地の一部返還を求める拝借願書を御料局に申し出許可された。

~~ 前置きが長くなりましたが、やっと鏡石村にたどり着きました。 ~~
町制施行は1962(昭和37年)面積は蕨市の約6倍、人口は約1/6で、現在の牧場は観光地としての様相で牛が数頭と生乳精製時の建物や機具が大切に保存されております。

「牧場の朝」の原点は「鐘」。唱歌の鍵となる「鐘」は、明治40年(1906年)ホルスタイン種牛13頭をオランダより輸入し欧米式酪農経営がすすめられた。(当時1頭2,000円、現在=760万円 明治1円=現在3,800円)。オランダでは外国がホルスタインを購入した際には「鐘」を贈る風習があり、岩瀬牧場にも贈られた(鐘は町指定文化財として牧場歴史資料館に保存されている)。
歌詞は誰が?杉村廉太郎(杉村楚人冠)で朝日新聞記者。岩瀬牧場を訪れた際、連載原稿(5編)の中の「牧場の暁」が元とされている。
曲は誰が? 舟橋栄吉 昭和5年(1932年)文部省視察兼教科書編集委員に委嘱され作曲を命じられた。(音楽才能があり、ドイツ・ベルリン国立音楽学院に留学。東京音楽学校教授 他)その後、小学生唱歌として4年生の音楽教科書に掲載された。

かつては草原にひびく鐘の音が、乳牛の世話をする人々の心を癒していたのではないでしょうか。牧場からの帰り道、田畑の広がる風景が、60年ほど前の蕨の様子と重なり、懐かしい気持ちになりました。
似たような事例が6月に話題となりました。千葉県・富津市では防災無線から流れる「夕焼け小焼け」の唱歌に対して、一部の市民よりうるさいとの苦情があり「廃止の危機」に追い込まれたそうです。
しかし、25年間続けられたことにより生活の一部となっている。という復活を望む声も多くあったため、7月には放送回数などを改善し再び流されるとのことでした。
それぞれの地域住民の受け取り方を決めつけるべきではありませんが、誰もが知っている唱歌は心和むものではないかと、個人的には考える次第です。
以上
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≪ 重 要 ≫
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