埼玉県蕨市中央3丁目にある中央公園の中には「蒲団」や「田舎教師」の作者であるばかりか、紀行文の大家としても知られる田山花袋「1871年~1930年(明治4年~昭和5年)」が蕨の夕暮れを詠んだ歌碑があります。
その表面には『山は皆 夜になりゆく 大空に富士がねのみぞ 暮れのこりける』と書かれ、裏面には歌碑を建てた謂れが書かれています。
田山花袋は現在の群馬県館林市生まれで、ふるさとの群馬県では子どもたちが親しむ「上毛(じょうもう)かるた」の中で「誇る文豪 田山花袋」と紹介されているとのこと。
「田舎教師」の舞台となった埼玉県羽生市には羽生名物「花袋せんべい」がありますが、花袋をご存じない方からは「硬いせんべい」と間違われるとか。
≪以下は蕨市中央公園の歌碑裏面より引用したものです≫
田山花袋は小説『田舎教師』などの作者として、著名であるばかりか、また紀行文の大家としても知られている。
この花袋の『東京の近郊』(大正五年刊)には‟『山は皆夜になり行く大空に富士がねのみぞ暮れのこりける』これは私がある初冬の薄暮に、東北から来て、暮色の中に黒く残った富士を望んで、そして詠んだ歌であった。丁度汽車が蕨駅を通ってゐる頃であった。”とある。
このように蕨の夕暮れの富士は、花袋の詩情をそそった。
昔から私たちの祖先も、富士の霊峰を蕨八景の第一にかかげ、また私たちも、朝夕、その雄姿に親しんできた。
ところが、この二十年このかた、経済界の高度成長がもたらした大気汚染のため、富士はほとんどその姿を、あらわさなくなった。そして私たち市民からも忘られようとしている。
このとき蕨ライオンズクラブは、市政二十周年を記念し、あわせて公害のない、住みよいふるさとづくりを念願して、この歌碑を建てるという。
私はその意に賛し、乞われるままにこの小文を草した。ちなみに碑面の書体は、ご遺族が家蔵する色紙によった。
昭和五十四年十一月三日
撰 文 金子𠮷衛
蕨ライオンズクラブ建立
施工 石 勘
≪以上が歌碑裏面です≫
この時の花袋は『出来るなら富士の稜線が暗闇に同化して見えなくなるまで、このまま汽車を止めてくれないものか。それほど長い時間ではないし、急ぐ旅でもないのだから』。こんな気持ちで蕨駅を通る汽車の中から富士の暮色に見入っていたのではないしょうか。
笑楽日塾の塾活動フィールドワークの一環でこの碑も取り上げることを考えていましたが、コロナ禍の今は塾としての活動が制限されるため塾生個人として動いてみました。
≪碑文注記≫
今では大気汚染は無くなりましたが、金子𠮷衛氏が書かれた文章から40数年前の状況が思い起こされました。また、現在は市内の建物も高く大きくなったため、富士を見るためには建物の上層階に上がらなくてはなりません。なお、蕨市は明日(4月1日)から市政62年になります。
金子𠮷衛:1904年7月4日~1990年12月19日(明治37年~平成2年)第四代蕨市長1967年~1975年(昭和42年~昭和50年)
蕨ライオンズクラブ:1965年(昭和40年)に設立。
石勘:株式会社石勘石材店(蕨市内の石材店)
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